SOMETHING OLD
−2−
あの角を曲がったら、おうちがある。
目を閉じると砂の世界にぽつりとあったあの家が思い浮かんだ。
あんな寂しい風景は二度と見たくない。
きゅっと都の手を握ると、都は大丈夫だよと囁いた。
車が緩やかにその角を曲がると、懐かしい記憶のままの家が近づいてきた。
お母さんが待っていたのか、車に気付いて門のところで手を振っていた。
懐かしい笑顔で。
車が止まった瞬間にドアを開けて、お母さんに駆け寄った。
「ゆき、お帰りなさい」
「ただいま、お母さん」
抱きつくと、懐かしいにおいがした。
背が伸びたせいか、お母さんともうそんなに目線の高さが変わらない。
どん!と衝撃を感じて隣を見れば祟くんがお母さんに抱きついていた。
「お母さん」
「お帰りなさい。祟。
背随分伸びたんじゃない?」
「うん。
お母さん……」
「どうしたの?祟」
「何でも、何でもないよ。お母さん」
祟くんは、ぎゅうっとお母さんに抱きついた。
お母さんはよしよしと祟くんを撫でる。
祟くんが今までどれだけ寂しかったのかやっとわかった気がした。
これから本当の家族の家族になるんだな。
嬉しいと思うのに、ちくりと胸が痛んだ。
振り返れば瞬兄がお父さんと全員の荷物をトランクから出している。
「ごめんなさい、瞬兄」
「いいんだよ。瞬にやらせとけって」
そう都がニヤニヤと笑った瞬間、かばんが飛んできて、都は慌ててキャッチする。
「何だよ、瞬」
「……自分のことは自分ですると昔言っていなかったか」
「あー、本当にうるっさいな!」
都は大きなため息をつくと、わたしの手を引いて、
家に入ろう!と歩き出した。
ドアを開ければ懐かしい匂いがした。
何度も帰ってきたはずなのに、全然違う。
まるで眠りから醒めたように、生きている匂いがした。
庭の樹も、部屋の中の鉢植えも。
お母さんとお父さんがいるせいか、生き生きして見える。
本当に、帰ってきたんだ。
ぽろりと涙が零れた時、瞬兄がぽんと肩を叩いてくれた。
ずっとここに帰りたかった。
お父さん、お母さん、瞬兄、祟くん、そして都。
ほっとして力が抜けたせいかぺたんと座り込む。
部屋で少し休みますか?と瞬兄が声をかけてくれたから頷いた。
「もうすぐごはんだけど、それまで降りてこられる?」
「うん。ちょっと休めば大丈夫」
「そう?じゃあごはん期待しててね」
「ありがとう」
ふらつく足で、階段を登り、自分の部屋に入る。
窓から見た景色は記憶の通り、懐かしい街並みが広がっていた。
荒涼とした砂の世界じゃない。
この風景を見せたかったな、とふと思う。
わたしの世界を見て、どんな感想を言うんだろう。
それを聞いてみたかった。
ぼうっと窓からの景色を見ていたら、ノックが聞こえて返事をすると、
「ゆき」
気遣わしげに、瞬兄が顔を出した。
いつものように熱を確かめるようにおでこに手を当てようとするのを、
身を捩って避けてしまった。
どうしてだか、自分でもわからない。
瞬兄は驚いて、そして悲しそうに笑った。
その顔を見て申し訳ないような気持ちになった。
でもどうして避けたのかは自分でも良くわからない。
今まではそれが普通だったのに。
「瞬兄、大丈夫だから。
少し疲れただけ」
「そうですか」
瞬兄はドアを静かに閉めると、少しいいですかと言う。
わたしは瞬兄にベッドを勧めると机の椅子に座った。
「貴方にお礼が言いたくて。
ゆき、ありがとうございます」
「お礼なんて。わたしこそ瞬兄にはたくさん助けて貰ったもの」
「でも貴方には、感謝してもしきれないものを貰った。
正直戸惑っています。
これからどうして生きたらいいかと。そんなことを考えるのは初めてです」
「……うん」
「貴方の八葉として、星の一族として生きると思い定めてきたので、
これから与えられた可能性を真剣に考えたいと思います」
「瞬兄は真面目ね」
「そうでしょうか」
「時間がたっぷりあるのに、楽しようとしたり、楽しいことをしようとか
あまり考えたりしないでしょう?」
瞬兄は、驚いたような顔をして、照れたように顔を背けた。
「それは、性分ですから」
「うん。
でも祟くんにも言ったけど、瞬兄にも好きに生きて貰いたいの。
好きにって言うと少し乱暴だから……、自由に、もっと自分の為に。
瞬兄にも夢はあるでしょう?」
「俺の、夢……」
瞬兄は顔を背けたまま、ぽつりと呟いた。
「俺の夢は、……もう叶わないですから」
「えっ?」
「でも、俺の願いはまだ叶わないことはない。
ゆき、貴方に幸せになって貰いたいんです。
誰よりも、他の誰かの為に命をかけた貴方だからこそ、
幸せになる権利があると俺は思います。
だから、貴方が幸せになる為に迷ってほしくありません」
「どういうこと?」
「俺から言えるのはこれくらいです。
母さんがそろそろ仕度が出来ると言っていました。
久々の家なんですから手伝ったほうが良いのでは?」
「うん、……でも瞬兄。
夢が叶わないなんて言わないで」
椅子から立ち上がったわたしを、瞬兄はベッドに腰掛けたまま見上げ、
かすかに諦めたように笑う。
「そうですね。貴方らしい。
新しい夢を持てるように、俺は精一杯生きます。
……貴方がくれた未来なんですから」
階下からごはんだよー!と都と祟くんが叫ぶ声が聞こえた。
思い切るように瞬兄はベッドから立ち上がると、行きましょうとドアを開けた。