SOMETHING OLD






 −3−

 久々のお母さんのごはんはとても美味しかった。
 ひとつひとつにしっかりと愛情がこめられているのがわかる。
 こんなにもわたしは愛されていたんだな、と思った。
 日の落ちて夜の闇が落ちてきた中、この暖かい光に包まれた部屋は、
 窓の外から眺めても幸せに満ちているように見えるだろう。
 何て幸せなんだろう。
 お母さんの飾ったクリスマスツリーは、見慣れているのに、
 幸せの象徴みたいにキラキラしていて少し胸が苦しいくらいだった。
 何故こんなに胸が苦しいのかわからないまま、幸せな夕食がおわり、
 名残惜しむように食後のお茶を飲むと、それぞれの部屋に引き上げていった。
 幸せすぎて胸が一杯で、夜風に当たりたくなって、部屋の扉を開けてベランダに出る。
 冷たい風が火照った頬には気持ちいい。
 睡蓮を眺めながら、こんな風に独りで過ごした時間が遠い。
 本当にあの時間はあったのだろうかとわからなくなっていく。
 今日帰ってきたばかりなのに。
 帰ってきた現実は圧倒的で。あの世界の記憶を簡単に塗りつぶしていく。
 頭を振って空を見上げれば、地上の光で霞む星空が見えた。
 あの世界の星空はもっと星が見えた。
 月は怖いくらい明るかった。
 この月を見上げているのだろうか。
 そうぼんやりと見つめていたら、コンコンと硝子を叩く音がした。
 硝子越しの都の姿にあの日の小松さんの姿が重なる。

「つかまえた」

 その言葉まで都はなぞり、ぼふっとブランケットでわたしを包んだ。
 暖かさに包まれた瞬間、気持ちがすとん、と落ちてきた。
 わたし、本当にすきだったんだ。
 ……もう、会えないのに。

「こんなに冷えてまったくもう。
 ノックしても声かけても返事してくれないんだもんな。
 ゆき……」

 都はわたしの頬に手を当てる。
 その暖かい手が触れたとき、ようやく頬を濡らす涙に気付き、
 都はそんなわたしにため息をついた。

「都?」
「今夜は久々に一緒に寝てもいい?
 いいって言わなくても一緒に寝よう。
 こんなゆきをひとりにしてなんかおけない」

 対だからね、とウィンクして都は手を繋いでわたしを部屋に戻す。
 ゲストルームから枕を取ってくるから、お風呂に入っておいでと都は部屋を出て行った。
 今はここにいても、考えてしまうだけ。この部屋の中には思い出がありすぎる。
 久々におうちのお風呂に入った。
 足を伸ばして、すべらかなバスダブにはられた湯に身を浸す。
 白いふわふわの海綿、使い慣れたいい香りのボディソープ。
 いつもの生活に戻ってこれて嬉しいのに、どうして素直に喜べないんだろう。
 確かにほっとしているのに。
 その暖かさに包まれて穏やかに過ごしていけば、きっと……忘れられるのに。
 あの時のことがぐるぐるまわる。
 小松さんは、わたしに好きだと言ってくれた。
 今ならどんなに嬉しかったか。
 告げられたのが今だったらわたしの答えは多分違っていた。
 でもあの世界と、あの世界にいる小松さんだからわたしは好きになった。
 それも確かだった。
 小松さんは、優しいけど……ずるい。
 全部自分が悪いふりをして、ご褒美をあげるなんて言い方をして、
 笑顔のままで行ってしまった。
 お風呂から上がって、パジャマに袖を通す。
 ベッドに腰掛けたままぼんやりと首にかかるペンダントを握り締めていたわたしに、
 戻ってきた都はため息をついた。
 二人で手を繋いで、ベッドに横になる。

「私余計なこと言ったかな」
「どうして?」
「私があんなこと言わなければ、小松はもっとゆきのこと
 強く引きとめられたのかもしれないのかなって。
 でも間違ったことはしていないと思うんだ」
「……うん」
「小松もどうして本当に好きならあそこで強引に掻っ攫わないんだよ!
 ってずーっとイライラしてたんだけどさ。
 でもあそこで小松が引いたのは、ゆきのこと真剣に好きだったからだよな。
 あいつずーっとおちゃらけた振りしてたけど根が真面目だったんだな」
「…………うん」
「龍馬とか、高杉だったらさ、こう掻っさらっていくんだろうけど、
 あいつには出来なかったんだろうな。
 ゆき、ここに帰りたがってたし」
「……うん」
「それ知ってたから、小松には出来なかったんだよな」

 仰向けに寝ていた都が、まっすぐにわたしを見る。
 唇が乾く。うまく言葉が出てこない。
 そんな風にうまく口に出せないわたしの言葉を都は辛抱強く待っている。

「……都、わたしってずるいのかな」
「……何で?」
「こうやってちゃんとおうちに帰ってこれて初めて、
 ちゃんと小松さんのことを考えられた気がするの」
「あんなことがあったんだ、ゆきは悪くないって」
「おうちに帰ってこれて、ようやく自分の気持ちに素直になれたの。
 小松さんの傍にいるとね、守られてるみたいでほっとしてた。
 でも小松さんに守られるばかりで、自分の考えで動けなくなったらって、
 わたしはちょっとだけ怖かった。
 わたしは、神子だから。
 自分が正しいと思うことの為に、自分の意思でみんなの為に力をつかわないといけないのに。
 そうできなくなったらどうしようって」
「……うん、そういうところなんかちょっとわかるな。
 小松ってちゃんとした大人だったからさ。
 案外っていうか、今思うとかなり頼りになったし」
「……うん。
 でもわたしはこの世界も救いたくて、
 もう一度お父さんとお母さんに会いたかったし、
 瞬兄も祟くんにも生きていて欲しかった。
 一度立ち止まったり、振り返ったら進めなくなるのが怖くて、
 前しか向かないって決めたの。
 それしか考えないようにしていたんだと思う」
「当たり前だよ」
「挫けそうな時、小松さんはしかってくれて、
 心配して真剣に怒ってくれて、
 倒れそうな時は休ませてくれて、ずっと支えてくれたの」
「……そっか」
「……ごめんね。都。こんな話ばっかりで」
「でもさ、帰って来れたって感じたとき嬉しかったんだよ。
 ゆきもほっとしてたよな。
 前しか向かないって難しいけど、
 そうさせるために小松が支えていたんだろ。
 そりゃ、私たちも頑張ったけどさ。
 じっとゆきのことを見つめて、ゆきがやりたいようにやらせてくれたんだろ」
「うん……。
 小松さん、わたしの名前を利用するとか言ったけど
 悪いことには絶対に使わなかった。
 結局わたしは小松さんに色々してもらったのに、何一つ返せなかった」
「悔しいけどさ。
 あいつらってちゃんとした大人で。
 かなわない部分って確かにあってさ。
 ゆきが何も出来なかったって言うけど仕方ないよ。
 でも、……ゆきは何かしてやりたかったんだな」
「うん……」

 そっか。そうだよな。
 都はまた天井を見つめ、ぽつりと呟いた。

「ゆきの気持ちもわかるよ。
 でも小松は、……何も出来ないゆきでも傍にいて欲しかったんだと思う」
「えっ?」
「だって私はそうだから。
 ゆきが例え何の力もない普通の女の子でも、
 私にとっては天使だったから。
 龍神の神子でもなんでもないゆきだから、必要なんだ」
「都」
「だから今はちょっと小松の気持ちがわかる。
 でも私もゆきが必要で、おじさんやおばさんに会わせてあげたかったから。
 あの時のことは、もう謝らない」
「……うん」
「色々大変だったけどさ。ゆきが私の対って言われて嬉しかった。
 本当だよ」
「わたしも都が対で良かった」
「今日帰ってきて、ゆきがどれくらいの奇跡を起こしたのか実感して、
 ちょっと怖くなったよ。
 でも何が起きたのか、何が起きなかったのか誰も知らないだろ?
 どれだけ頑張ったとしても誰にも褒めてもらえない。感謝されない。
 それが龍神の神子なんだって妙に実感した。
 ゆきはそれでいいって笑うと思うけど、私は知ってるから。
 私だけは忘れないから」
「うん……、でもわたしひとりの力じゃどうにもできなかった。
 皆の力があったからわたしにもできたの。
 元通りになったこの世界を一緒に見たかった……」

 もう一筋流れた涙を都は拭うと、泣いていいよと頭を撫でた。
 今まで泣かずに頑張ったんだもん。我慢することない。
 都の手が、暖かくて、優しくて。
 堪えきれずに、じわりと涙が溢れてくる。
 今日は泣いていいんだよ。やっと安心できる場所に帰ってこれたんだもん。
 私に遠慮なんてしたら許さないんだから。
 そう言った都の目にもうっすらと涙が浮かんでいた。

背景素材:少年残像

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