香合せ




 ー現代EDー


「幸鷹さん、これなんですか?」

 流石に目敏い。
 普段見当たらないものがそこにあったので直ぐに気付いたのか。
 花梨は不思議そうにそのダンボールの箱を見つめている。

「ああ、それですか。
 貴方が来たら開けようと思っていたのですよ」
「幸鷹さんがお取り寄せだなんて、珍しいですね」

 確かにそうかもしれない。
 いつも何事も自分の目で確かめなければ気がすまない性分だ。
 貴方はよく私のことを見てくれているのだな、とじわっと嬉しくなった。
 ペーパーナイフでざっくりと梱包を解いていけばその中には、
 乳鉢と粉末類が収まっていて、花梨は首をかしげた。

「これって」
「……こういうものがあると知って久々にやってみたくなったのですよ。
 もっともこうなってしまうと、何だか実験のようですね」

 袋に入った各種の粉末がきっちりと仕舞われた箱。
 その綺麗な箱には、王朝への憧れをかきたてられる人もいるのかもしれないけれど、
 実際はそんなに優雅なものでもない。
 あちらで自分であわせていたときにはもっと原型がごつごつしたものばかりだった。
 小さくした香木を丁寧に粉にしていくあの作業は今思えば好きだった。
 香を合わせる、と言えばどこからともなく皆が用意してくれた。
 自分のことは自分で、と思ってはいたけれど、何処にしまわれていたのか
 正確に思い出すことが出来ないのは、結局知らなかったからだろう。
 秘伝、と伝わってきた伽羅の香木はあちこち切り取られた跡が残り、
 歴史を感じさせられた。
 これが家に伝わる香の合わせ方だと教えてくれたのは父だった。
 あの頃いつも一緒にいた母は、秘伝ですからねと微笑んであの時には席を外していた気がする。
 自分で合わせた香を、貴方の香りだからと私の着物に焚き染めてくれたのは母だった。
 ここが自分の場所なのだと。
 心の何処かで行き場を探していた私に、心住まう場所をくれようとしたのだろう。
 あの頃の父と母の暖かさを忘れることはない。
 仮初の記憶を植えつけられ、幼い頃からあの両親に生まれた子供だと信じていたとは言え、
 家族であることを始めたのはあの頃なのだから。
 自分ももし子供を迎えたとして、あんな風に接することは出来るだろうか。
 ぼんやりと考え込んでいた私を、貴方は不思議そうな顔で見上げた。

「幸鷹さん?」
「ああ、いえ、少し思い出していたのですよ。
 父に秘伝と言われて私は香の合わせ方を習ったのです」
「彰紋くんも言ってました。
 あちらの合わせ方は秘伝で門外不出なんですって。
 合わせられるかわかりませんが挑戦してみましょうかって言ってくれたんです」
「……そうですか。
 貴方は彰紋様に香の合わせ方を学ばれたのでしたね」
「学んだなんて、そんな。
 これをあわせてくださいといわれたものを混ぜて練っただけなんです」
「……でも、貴方のそんな初めてに私も立ち合いたかった。
 それは今でも残念に思っているのですよ?」
「でも、それは……」

 貴方は顔を真っ赤にして困ったように顔を背けた。
 少し意地悪が過ぎただろうか。
 顔を隠してしまっている前髪を、指でそっとよければ、
 さらに貴方は顔を赤くした。

「……あの時に差し上げたお守りはお役に立てましたか?」
「はい」

 貴方に触れれば気が変じ、頭に激痛が走った。
 貴方から生じる白龍の気配は記憶の封印を解き時の流れを正そうとして働いたのだろう。
 それをさせまいと阻む封印の力と、本当には真実を知る勇気のなかったあの頃の自分自身が
 せめぎあいあんな痛みになったのだろうと今は思う。
 今目の前にいる貴方とこうしてここにいる資格は、
 あの痛みと苦しみを乗り越えなければ勝ち得なかった。
 初めは拒否し嫌悪しつつも、貴方のその暖かさ、柔らかさに触れ皆惹かれずにはいられなかった。
 長く澱んだ空気を振り払って進む貴方を誰もが最後には助けたいと願っていた。
 一番初めから傍にいたからこそ良く知っている。
 私は貴方の傍に一番初めからいたはずなのに、いつしか手をとることも出来なくなった。
 中納言と検非違使別当の兼帯するという身分も、貴方の元へと参じる時間を奪う。
 ……検非違使別当など結局はお飾りの職に過ぎず、実質的には検非違使佐が実務を執り行うことが
 多いのだからと投げてしまおうかと考えてみても結局自分にはそれが出来なかった。
 怖かったのだろう。
 そうやって全てを投げ打ってみても貴方の心が私に無かったら。
 考えるのが怖くて私は仕事に義務に逃げていたのかもしれなかった。
 だからあの時私の香が欲しいと言われて嬉しかったのだ。

「あの時……」

 心なしか私の声は震えていたかもしれない。
 貴方はじっとわたしの言葉を待っている。
 どんなに時間がかかっても、口に出したいと願った言葉を
 貴方はいつでもきちんと受け止めようとしてくれた。

「貴方が、私の香を欲しいと言ってくださって嬉しかった」
「……はい」
「貴方はどうして私の香が欲しいと思ってくださったのですか」
「……あの、その……えっと」
「ずっとそれが聴きたいと思っていたのですが、教えてくださいませんか」
「……幸鷹さんはあの頃からお仕事で忙しかったでしょう?
 だからあの薫りがそばにあったら心強いかなって」
「……私が傍にいると心強かったのですか?」

 貴方の声が、熱がそうだと言っているのに言葉で聴いて確かめたい。
 傍にいて欲しいと貴方の言葉で聴きたい。
 それは単なる私の我侭なのに、貴方はそれを口にしてくれた。

「………はい」

 あの日、貴方が私の香を欲しいと言ってくれた時、
 私は嬉しくて、自分の顔が耳まで赤く火照っているのを感じていた。
 貴方がまるで私を欲しいと言ってくださってるように聞こえて。
 だから貴方が顔を上げる前に立ち去ろうとした。
 ……貴方にそんな私をまだ知られたくなくて。
 初めて恋を知った少年のように、真っ直ぐに向ける眼差しを貴方に向けてしまう
 ……そんな自分が気恥ずかしかった。
 恋を知らない歳でもないのに。
 妻がいないほうがおかしいくらいの年齢で、貴方よりもずっと年上で。
 貴方に年上の頼れる男として見ていて欲しかったのかもしれない。
 人払いをしていても女房の目は必ずあった。
 貴方以外の誰かにそんな姿を見られたくはなかったのかもしれない。
 けれど、今は。
 ここには貴方と、私以外の誰もいない。
 だからこんな私も素直に貴方の前で晒すことも出来る。

「……幸鷹さん?」

 貴方の瞳に映る私はどんな顔をしているのだろう。
 貴方は私を見て、さらに赤くなり、俯いた。

「折角こうして会えたのだから貴方の顔をもっと良く、見せてください」

 頬に手を添えれば、一瞬抵抗したものの素直に顔を上げたので、
 そのいつもより色の鮮やかな唇に、キスをした。

「!」
「貴方がそんな可愛い顔をされるからいけないんですよ?」
「……幸鷹さんのばか」

 ぽかりと腕をたたいて、貴方は私の胸に顔を埋めた。
 逆効果だとわかっていて貴方はそんなことをするんだろうか。
 きゅっと握られたその手のぬくもりが愛おしくて私はそれ以上貴方をいじめることを止めた。

「……では、花梨。
 これを作ってみましょうか。
 上手くできたら貴方にもう一度香袋にでもしてもらいましょうか」
「秘伝なのに、いいんですか?」
「……貴方にならいいですよ」

 そう言えば、貴方は嬉しそうに笑ってくれた。
 かつて合わせていた時の記憶を辿り、小分けにされた原料の袋を開け、
 匂いを確かめてみた。
 ……かつての私の家は、一時京の権力を握っていたほどの家だった。
 家柄としては勿論帝には及ばないものの、及ぼす影響はこちらの方が上だった時期もある。
 それほどの家に伝わってきた香木、集められた香料は勿論当代随一のものだったのだろう。
 私は何気なくそれを使ってきたけれど、本当はとても贅沢なことをしていたのかもしれない。
 私はそれの値段も、謂われも知らずに当然のように使っていた。
 本当の価値は如何ほどだったのだろうか。
 私は確かに彰紋様や翡翠のように雅を解することはなかったけれど、
 ものの良し悪しはわかる。
       匂いを確かめてから動きの止まった私を花梨は不思議そうに見上げた。

「匂い、変ですか?」
「……変というか。
 かつての私がいかに贅沢な暮らしをしていたのか思い知ったのですよ」
「どういうことですか?」
「……何気なく今まで香を合わせてきましたが、どれほど上質で、
 選び抜かれたものを私に父と母が与えてくれていたのだろうと思うと、
 少し気が遠くなったのです。
 それも愛情だったのでしょう。
 ……確かにこの沈香は沈香の香りがしますが、深みが足りず薫りが薄い。
 私はもっと重い香りの沈香しか知りませんでした。
 この麝香も。
 当代風の洗練された軽やかな薫りなのかもしれませんが私には少し物足りない」

 匂いを確かめた花梨も不思議そうな顔をした。

「彰紋くんが持ってきてくれたものよりも薫りが確かに薄い気がします」
「……質としては悪いものではないのかもしれませんが、
 やはり粉にしてから時間が経ってしまっているせいでしょうか、
 少し薫りが逃げてしまっている気がするのが勿体無いですね」
「……でも、折角だから作ってみましょう、ね?」

 気を取り直すように貴方は言ってくれた。

「わたしは幸鷹さんが香を合わせているところ、見てみたいです」
「……そうですか」
「わたしは本当は幸鷹さんに侍従の香の作り方を教えて欲しかったんです。
 でも忙しい幸鷹さんにはそれもお願いできなくて。
 だから彰紋くんに手伝って貰ったんですよ」
「……はい」
「翡翠さんが」

 翡翠、と聞くだけで私の顔色が変わったのを貴方は面白そうに見つめる。
 気にしたくないのに、あの男のことは忘れられない。
 一度も勝てたことの無いあの男のことを考えると忘れていたコンプレックスが頭をもたげる。

「……翡翠が、何か」
「彰紋くんが合わせてくれた侍従の香を使っていた時に、
 まるで幸鷹さんの移り香が残っているみたいで気分が悪いって言っていたんですよ」

 移り香。
 その響きの艶っぽさに、一瞬眩暈がした。
 あの男が、そう言ったのか。
 そう言われると何だか悪い気分でもない。
 あの時は、貴方が香を変えたのが、彰紋様の香だと知ってどういうことなのか迷っていて、
 貴方が何を思ってそれを選んでいたのか知らなかった。
 今思えば悩んでいた私は既に貴方の虜だったのだ。
 ……かつての様な薫りは出せないかもしれないけれど、
 父が教えてくれたあの秘伝の配合を忘れてしまうのは寂しいことだ。
 上手く出来れば二人で今度は同じ薫りを纏うこともできる。
 私の薫りを移すほど貴方の傍に寄り添っていたいけれど今はまだ無理だろう。
 貴方は私が何を考えているのかも知らずに無邪気に、原料の匂いを確かめている。
 私はひとつため息をついて、始めましょうかと言えば、
 貴方は満面の笑顔ではいと頷いてくれた。


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