風待草 −月−




  −4−


 その抱擁が終わると、ちらりと晋作に視線を向けた後お嬢はまっすぐにこちらを向いた。
 何か大事な話なのだろうか。
 俺達はめいめいの膳の前に戻ると居ずまいを正した。
 すすり泣く声が聞こえたと思えばはらはらと桜智が涙を零している。

「さっきアーネストと話してたのは、結婚の誓いの言葉なの」
「けっこん?」
「夫婦、めおと?になる二人が交わす誓いの言葉。
 アーネストはそれを聞くことで私の決心を見定めようとしてくれたの」
「……ありていに言えば、そうです。
 我が国の言葉になってしまったのは、この国の結婚の定義や意義、習慣などが
 よくわからなかったせいなのです。
 まあこれは私が信仰する神へ誓うものなので、貴女方に誓ってもらうのは
 少し間違っているのかな」
「確かに神様には誓うのは何かが違う気がするけれど、
 皆の前で誓いたいの。だから、続きを言うね」
「……その誓いとは二人でするものではないのか、ゆき」
「そうです、高杉さん」
「では、サトウ殿、ゆきに問うていた内容を俺に聞かせてくれないか」
「……まあ、いいでしょう。
 こう二人の意思の疎通が上手く行き過ぎているのを
 見ているのは何だか面白くないですね。
 恥ずかしがり屋で、感情をあからさまにするのを良しとしない
 美徳をもったこの国の人に尋ねるのは、なかなかに躊躇われる内容ですが、
 ……勿論答えて頂けるんですよね」
「無論だ」
「……男に二言は?」
「ない」

 ふふん、とアーネストが笑う。
 その笑いに一瞬嫌な予感がしたけれど、雰囲気を察するにお嬢は、
 設問に応と返事をしていたのだろう。
 晋作が覚悟を決めて頷けば、アーネストはいつもの大きな身振りで優雅に一礼をすると、
 胸に十字を切った。

「貴方は私と同じ神を信仰しているわけではありませんので、
 神ではなく今ここにいる全員を証人とし、誓っていただきます」
「……わかった」
「高杉晋作。
 貴方は、蓮水ゆきをただ一人の妻として娶り、尊重し、敬意を払い
 愛しぬくことを誓いますか?」

 ぐふっ、と誰かが噴く音が聞こえた。
 チナミが酒を気管に入れてしまったのか、出来るだけ音を立てないように悶絶している。
 桜智が心配そうに背中をさすってみても、小刻みに震えたままだ。
 チナミにはこの言葉は刺激が強すぎたのか。

「高杉晋作?」
「誓おう」
「……いいでしょう。
 高杉晋作。
 その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、
 富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、
 これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

 いい言葉だな。
 素直に思える問いだった。
 ひとつの文節のたびにお嬢と晋作の目線が合うのには正直妬けた。
 晋作は躊躇いもせずに答えた。

「誓おう」
「では宣誓の言葉を復唱してもらいましょう。
 まずはレディーファーストでいきましょうか。
 蓮水ゆきは死が二人を分かつまで、愛を誓い、互いに添うことを誓います」
「うん、わかった。
 蓮水ゆきは」
「ゆき、それは誓うな」
「……どうしてですか?」
「お前と俺に残された命の残量は同じ。
 つまり、死で引き裂かれることもない。
 逝く時も共に、その先も離しはしない。だからその言葉は悪いが撤回させてもらおう」
「……貴方って本当に強引ですね。
 時々羨ましいですよ。
 わかりました。では最後に、二人で誓いのキスを、お願いします」
「アーネスト!?」

 ここまで慌てるお嬢を見たことがない。
 ばたん。
 と音がした方を向けば泡を噴いて桜智が倒れている。……何があったのか。

「キス、ですよ。ゆき。
 結婚式に誓いのキスはつきものでしょう?」
「キスとは何だ、ゆき。言ってみろ」
「あの、それは」
「……ああ、この国の言葉では、口付けだったでしょうか」

 さらりとアーネストが口にした言葉に一同が騒然となった。

「は、破廉恥な!」
「その口付けというのは、必ずされるものなのでしょうか」
「総司くん、いい質問です。
 ゆき、答えてあげてください」
「アーネスト、ずるい」
「外交官は小狡いものだと何度も言ってきたでしょう?ゆき」
「だって」
「……ゆきくんの反応を見る限り、
 その口付けでその儀式は終わるのでしょ。
 早く済ませてしまえばいいじゃない。
 高杉、君もしかして躊躇っているの?
 とっくに君とゆきくんはしているじゃない」

 その一言に場が固まった。

「ああ。君、覚えていないの?
 魂を注ぐときゆきくんは君に口付けをしたんだよ」
「小松さん!」
「誰も見えていなくても不思議はないかもね。
 あの直後強い光に包まれてすぐにこの世界に戻ってきたから」
「目付け殿も?」
「ん?
 まあ命は残っていたとしてもほぼ反魂に近いことでしょ?
 陰陽師としては何が起きるのか見てはおきたいじゃない?
 一応星の一族だから文献は残しておかなきゃ怒られるだろうからね。
 いや、さすが薩摩藩家老は目敏いね」
「まあ、……なんだ、晋作。
 なんなら俺等は背中を向けてるからさ、こう……ささっと、……な」

 じっと黙って聞いていた晋作は、お嬢の手をとると、強引にその口を塞いだ。
 思わず指で数えたくなるほどの時間口を塞がれたお嬢の目が次第に潤んでいき、
 俺は見ていられなかった。

「これでいいのか」
「さすが、高杉さんはやることが派手ですね。
 しっかりとここにいる全員で見届けましたよ。
 しっかりと、ね」
「ではこの宴はお開きということでいいか、小松殿」
「かまわないよ。もう夜もふけたことだしね」

 女中を目線で帯刀は呼ぶと、離れへ。と言っているのが聞こえた。

「祝福。いたみいる。
 では」

 晋作は頭を下げるとお嬢をそっと抱き上げ、女中について行ってしまった。
 呆然と見送る一同に帯刀はパンパンと手を叩き声をかけた。

「これでお開きにしよう。
 帰るものは気をつけて。
 駕篭が要るなら言って。用意させるから。
 ああ、桜智はそこに寝かせておけばいい。
 誰か上掛けだけかけてやってくれない?
 気がつけば勝手に帰るでしょ」
「帯刀、明日高杉はここを発つと言っていた。だから泊めてもらってもいいか。
 見送ってから帰るさ」
「そう」

 かなり呑んでいたくせにまったくそのそぶりもみせずに淡々と歩く沖田、
 目付け殿に仕方ないなといわれながら背負われて駕籠に乗せられたチナミ、
 明日も朝から執務がありますのでまたと優雅に一礼をして帰っていったアーネスト。
 瞬や都と違って会おうと思えば会えるだろうが、
 もう一同に会する機会はないのかもしれない。
 立場も国も違う人間がひとつにまとまったのはお嬢が中心にいたからだ。
 楽しかったな、そう呟けば帯刀はまあ退屈はしなかったね、と呟いた。

「帯刀はもう休むのか?」
「珍しく前後不覚になるくらい呑みたい気分でね。
 もう少し呑もうかな」
「俺でよければ付き合うぜ」
「そう?
 もうどうせお役目も終わり政務に打ち込むだけの生活に戻るのだから、
 明日一日くらい使い物にならなくなっても差しさわりなどないでしょ」
「違いない」
「それに長かった君の初恋の最後の夜でしょ。
 呑みたいのは龍馬、君のほうじゃないの?」
「言ってくれるなぁ」

 女中に上掛けをかけられてもピクリとも動かない桜智を
 横目に見ながら帯刀は持ってこさせた焼酎をぐいのみで煽った。
 もう、杯で綺麗に呑むのでは間に合わないからね。
 ぼそりと帯刀は呟いた。
 明るかった月が、雲に隠れ、さっと視界が暗くなった。
 目指してきた明るい何かが目隠しされて、道に迷ったような気持ちになった。

「最後まで鮮やかにやってくれたね。
 まああれくらい見せ付けてくれれば、諦めもつくというものじゃない?」
「お嬢が幸せなら、それでいい」
「本当に、いいの?
 ……踏み込むのなら援護するよ」
「しないさ。俺だって命は惜しい。
 そんなことを言うなんてお前本当に酔ってるな」
「酔いたいのだから、当たり前でしょ」
「まあな。
 再会できたと思ったあのお嬢は、確かにお嬢だったけど、
 俺のお嬢じゃなかったんだなあ」
「……目標を見失った?」
「いいや。
 お嬢はただ俺の可能性を引き出してくれただけだ。
 夢は、あくまで俺の夢だからな。
 叶えるのなら俺自身に力がなければ駄目だろう」
「青いね」
「何とでもいってくれ」
「……褒めているんだよ、これでもね」

 帯刀はひっそりと笑い、ぐいのみを煽る。

「帯刀こそ、お嬢を気に入っていたんだろ」
「まあね。
 失ってこそあの花の得難さが身にしみる。
 手に入らないからこそ欲しくなるのか、本当に欲しいものだったのか、
 今となってはわからないよ」
「そうか」
「でも、閉じ込めてしまうよりは、自由が似合う花だから」

 帯刀はお嬢の幸せを直に見ることで想いを断ち切ろうとしたんだろう。
 ここまでやってしまうのは、極端に走りやすい帯刀らしいやり方だったのかもしれない。
 黙ったと思えば、帯刀がうつらうつらとし始めたので、ぐいのみから手を離させる。
 こっそりと覗っていた側用人に頷くと、側用人は帯刀をかついで居室へ戻っていった。

「もう少し付き合ってくれると思ったのになあ」

 ぐいのみに残った焼酎を注ごうとして、壜を持ち上げれば空だった。
 帯刀が呑みきってしまったらしい。
 ため息をついて、空を見上げれば、隠れていた月が再度雲から姿を現していた。
 見下ろせば、池に月が映っている。

「空の月も、水面の月も本質はそう変わりはしないか。
 決して手に入らないところも、……同じように美しいところも」

 昔出逢ったお嬢も、再会したお嬢も、お嬢であることにかわりはない。
 時間がたてばどちらも等しく思い出になっていく。
 そしてどちらのお嬢に望むのも同じことだ。

「お嬢、幸せになれよ」

 全身の力を込めて立ち上がれば、魚でも跳ねたか、水面の月が滲んで見えた。


背景素材:空色地図

『風待草−雪ー』に続いています。よろしければ。
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