風待草 −月−




  −3−


 日が落ちて、庭に篝火が焚かれる頃、人がぽつりぽつりと集まり始め、
 ゆるゆると宴は始まった。
 案内された席に座りチナミはあたりを見回し、

「おい、ゆきがいないじゃないか、どうしたんだ?」
「主役のゆきがいなければ意味がありません」
「ああ、チナミ。サトウ君。
 ゆきくんはもう少し支度に時間がかかるから気にせず始めていいよ」
「小松殿、いいのでしょうか」
「おう、チナミ気にせずはじめようぜ」
「……はあ」

 いつものように端に座ろうとした晋作を帯刀がやんわりと制する。

「君の席はそこじゃないよ。あっち」
「どういうことだ?」
「さあ、どういうことだろうね?」
「……小松殿」

 いつになく困ったように見えるのは気のせいではないのだろう。
 帯刀が示した席は少し離れた上座。
 しかも二つ膳が並べられている。

「そこに一人で座るのが恥ずかしいのなら、ゆきくんを呼んでくるといい。
 もう宵の口、妻を娶るにはいい時間帯でしょ」
「小松殿ッ」
「まあまあ、帯刀。あんまり晋作をからかうなよ。
 金屏風はないにしたって、これじゃあまるで祝言だろ」

 祝言。
 その俺の一言に、まわりの喧騒がピタリと止んだ。
 ばつが悪そうな顔をした晋作は、姿勢を正し、頭を下げた。

「小松殿、恩に着る」
「単なる私の自己満足だよ。君が気にすることはない。
 けじめはつけたほうがいいでしょ。………皆のね」
「まあ晋作は故郷で追われているからなあ。
 実家(さと)で祝言を挙げたいだろうが、なかなか難しいだろうし、
 落ち着いたらあっちで改めてちゃんとあげたらいいだろ」
「……ああ」

 神妙な顔をして宛がわれた席へ向かった晋作は意を決したか、
 結局いつものようにどっかりと胡坐をかいて座った。
 帯刀に女中が目配せをする。

「そろそろゆきくんの支度が終わったみたいだね。
 乾杯の準備を」

 それぞれに杯が配られ、皆が待つ中、お嬢が入ってきた。
 いつもの珍妙な着物ではなく、帯刀が見立てた打掛を着ていた。
 帯刀の指示かほとんど化粧もせず、同じ髪型を簪で結い上げただけなのに
 いつもと雰囲気が違う。
 その薄紅色の柄は派手な模様はないものの、織りが凝っているのか
 光が当たるたびに印象が変わる。
 桜智が綺麗だ……と目を潤ませ、何か必死に書き付けをしていた。
 長い裾が歩き慣れないのか、そろそろと歩くその姿に駆け寄りたくなったけれど、
 それは俺の役目じゃない。
 お嬢に困ったような微笑みを向けられた晋作は立ち上がり、その手をひいた。
 お嬢が慎重に席に座ると帯刀はおもむろに、

「では乾杯の音頭は、龍馬に任せようかな」
「お、俺か?
 いきなりふるなよ。帯刀。
 まあ、いいか。
 んー、ええと、まずはそうだな。おつかれさん。
 今日は硬いことは抜きだ。
 それぞれの立場も今日は忘れよう。
 今ここには瞬と都はいないが、二人の分まで楽しくやろう。
 俺たちの世界を守ってくれた龍神の神子と八葉、
 そして陰陽師殿の健闘を称え、
 お嬢と晋作のこれからの幸せと、俺たちの幸せを祈って、乾杯!」
「乾杯」

 杯を飲み干して、周りを見回せば、杯に口をつけて酒に驚いたお嬢に、
 無理して飲み干す必要はないと、微笑む晋作が見えた。
 女中を呼びとめ茶を持ってきて欲しいと頼んでいる。

「意外に甲斐甲斐しい男だったのだね」
「まあ今までは瞬がいたからなあ」
「成程ね」
「高杉さんは本当にすみにおけない人ですね」
「まったくだ」

 ぼそぼそと話す俺たちをちらちらと横目に見ながらも、
 嬉しそうに膳の料理を食べるゆきに微笑み晋作は酒を口にする。

「ではチナミは暫くお目付けの邸にいるのですか」
「そうだね。
 慶くんの声がいつかかるかによるのかな」
「いずれは御奉行の元で働くことになると思う。
 兄上の分まで誠心誠意働くつもりだ」
「まったく、チナミくんは真面目ですね。
 私はこの国を離れることになりそうです。
 皆さんの頑張りのお陰でこの国の情勢もかなり良くなりましたから、
 もっと外交官が必要とされている場所へ向かうことになるでしょう」
「おう。アーネストならいい仕事が出来るだろうからな。
 でもまた、この国に来ることもないとは言い切れないんだろ?」
「……そう、ですね。
 また赴任したいとは思っていますが。本国の指示はわかりませんから」
「総司は新選組に戻るんでしょ?
 京に戻るの?それとも江戸?」
「近藤さんは、暫く江戸に留まるようにと言っています」
「そう」

 状況の報告や思い出話に華が咲き、杯が重ねられていく。
 いつもと違った着物でお嬢は歩き回ることが出来なかったから、
 思い思いにお嬢の近くへ行き、話をした。
 アーネストがすっくと立ち上がりお嬢の前にどかっと座った。
 英国紳士然としたいつもの態度とはまったく違ったその姿に
 一同は驚き、喧騒が止んだ。

「ゆき」
「……アーネスト?」
「本当にいいんですか、この男で。
 後悔はしませんか?」
「後悔なんてしないよ?
 どうしたの?」
「どうもしません。
 ただ貴女の良き、友人として心配しているだけです」
「アーネスト、酔ってる?」
「酔ってません」
「…………酔っていないという人間ほど酔っているものだけどね」
「酔ってませんよ、小松さん!」
「はいはい」

 じろりと睨まれた帯刀は好きにしなさいとばかりに口をつぐむ。
 帯刀を睨んだアーネストは再度お嬢に向き直った。

「こんな極悪非道で魔王のような男と、貴女が魂を分け合うなんて!
 世も末です」
「……まったくだ」
「高杉さん、貴方は黙っていてください。
 私は、ゆきの友人として、最後の忠告をしているんです」
「アーネスト」
「......Yuki,
 Do you promise to love and cherish him, in sickness and in health, for richer for poorer,
 for better for worse, and forsaking all others, keep yourself only unto him,
 for so long as you both shall live?」
「 I DO.」
「........Yuki do you pledge to love him and throughout your years together to be honest,
 faithful, and kind to him.
 Do you pledge to give to him the same happiness he gives to you,
 to react to him as only you can, and to respect him for who he is,
 not who you want him to be?」
「 I DO.
 ごめんね、アーネスト。この言葉は日本語で言いたいの。
 高杉さんや皆に……聞いていて欲しいの。
 だからこの先は、日本語で言うね」
「私は、貴女の決心がこれからも揺るがず、後悔もないというのなら、
 友人として祝福をしたいとは思っていますよ。
 誰よりも貴女の幸せを願っていますから」
「うん、ありがとう、アーネスト」

 ハグ、という抱擁の習慣はこの国には馴染みのないものだけれど、
 お嬢とアーネストの繰り返すそれには隠微さのかけらもなく、
 親愛のしるしという言葉がぴったりと来るものに見えた。
 早口で、その上この場にそぐわない真剣な表情でかわされた異国の言葉は、
 不思議に厳かなものに感じられ、一同はじっと見守るしかなった。


背景素材:空色地図

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