五風十雨




  −5−


 折角集まったのだし一緒に膳を囲もうかと言ったけれど、
 皆はもっとゆきくんと二人で話す時間を持てと言って帰っていった。
 これまで山積みだった問題はほぼ解決しつつあった。
 残っているのは君の婚礼衣装の問題くらいなのだけれど、
 君はその気になってくれるのだろうか。
 もう少し時間が必要かな。
 泣き疲れた君はいつかのように私の膝で眠ってしまった。
 いい夫になると約束したのに、なかなか上手くいかないものだね。
 髪を撫でると君は安心したように寝息を立てた。
 こういうのもいいが、やっぱり君を抱きしめて眠りたい。
 そう口に出したら君はどんな反応を見せるのだろうか。
 ただ一緒に眠るだけだと、そう思うのだろうか。
 都くんや瞬が、風に当てないように過保護にし過ぎたせいだろう。
 君は歳のわりにそういうことにとんと疎い。
 君のそういうところも好きなのだけれど、さてどうしようか。
 頬をそっと撫でると、君は目を覚ました。

「おはよう」
「……おはよう……ございます?
 あれ、皆は?」

 慌てて起き上がり君はきょろきょろとあたりを見回す。
 すっかり日が暮れ、庭には篝火が焚かれていた。

「君が眠っている間にとっくに帰ったよ。
 おなかがすいたなら一緒に夕餉をとろうか」
「小松さんはまだ……」
「膝に君を乗せたまま食事なんて出来ないでしょ」
「すみません」
「いいんだよ。
 私が君を不安にさせていたんだしね」
「……」
「最近君の様子がおかしいとは思っていたんだけど、
 何も出来なかったのは私が悪いよ。
 でも君も私にもっと遠慮せずに話してごらん?
 君の父上や母上もそうしていたのでしょ」
「……はい」

 一陣の風が吹き抜け桜の花びらが舞い、篝火が火花を散らす。
 後ろから抱きしめれば、君は一瞬身を堅くしたけれど私の腕に身を預けた。

「まったく君にはあきれたね」
「どうしてですか?」
「君、私に相応しくないなんて思っていたの?」
「はい」
「龍神の神子でなくなった君に価値がなくなるなんて悲しいこと
 本気で思ってたの?」
「……はい」

 しゅんと君は俯く。

「君の教育係としてつけた者に聞いたけど、
 君はお茶もお花も行儀作法も文句無い出来だったって言うじゃない?
 そこらの姫君とも引けは取らないと驚いていたよ」
「そうですか?」
「そう聞いているけどね。
 それに、君は語学も堪能のようだし、学問も教養も並以上だ。
 それでどうして私に相応しくないなんて考えるんだろうね」
「でも、……小松さんのお役に立てていません」
「じゃあ聞くけど、君はどういう風に私の役に立ちたいの?」

 隣に腰を下ろせば、君はきょとんとした顔で私を見た。

「ええと……」
「わからない?」
「……よく、わかりません。
 でもお役に立てないと」

 役に立たなければ私の傍にいられないと君は思っているのだろうか。
 思いつめたような表情が愛らしい。
 悪いなと思いつつも私は笑いをかみ殺す。

「確かに龍神の神子の名声は一橋派の勢力の基盤を固めるのに役に立った。
 君が怨霊を浄化してくれたから、瘴気に覆われた江戸の町は救われた。
 確かにそうだけど、君が私の役に立つとはどういうこと?」
「……もう私は龍神の神子ではないですから、どうしたらいいか」

 君は私のことを好きだからここへ戻ってきた筈なのに、
 それを忘れてしまったの?
 それとも私が好きだから、君は考えすぎてしまっているのか。
 何も考えずにいられなくなるほど愛してあげたいとも思うけれど、
 押し付けられるだけでは君はきっと駄目になる。
 君自身考える時間も必要だろう。
 ただ私の言葉が足りないせいで迷わせることはしたくない。

「私に必要なのは君自身だ。
 龍神の神子である君ではないんだよ。
 勿論龍神の神子と八葉であったからこそ私たちは出会いこうして一緒にいるけれど、
 それは単なるきっかけでしかない。
 私には君が必要なんだよ、わかる?」
「でも……」
「君の隣が私の幸せのある場所なんだよ。
 ……君が私の隣で幸せを感じてくれればより良いけどね。
 君は私とこうしていると幸せを感じてくれないの?」
「幸せです、
 でも……」
「君は本当に受取らない子だね。
 私が与えたいと思っているのに、君は遠慮ばかりする。
 それが良いとも思うけれど、度か過ぎたら可愛くないし、
 ………………寂しいよ」
「寂しい……小松さんが?」
「そう。
 君は何度言っても私を帯刀と呼んでくれない」
「えっ……あの」
「それに誰にでも等しく優しいのは君の美徳だけれど、
 八葉の皆と私の扱いも平等なのだもの。
 多少は特別扱いしてくれないと……私が自信を失いそうだよ」
「小松さんはわたしの大切な人ですよ?」

 よくわからないという顔をして君が振り返った。
 本当にわからないらしい。
 君の頬に手を添えて口づけると、君は驚いたように身を捩った。

「私はね。
 ずっと君にとってただの良い人でいてあげられないくらいに君のことを
 男として欲しているんだよ。
 本当に……君はつれない子だね」
「……え?」
「私の妻になるということがどういうことなのか今すぐ教えてあげたいけれど、
 膳が運ばれてしまったからね。
 今日のところははい、これでおしまい」

 良くわからないと混乱する君に、夕餉にしようとにっこりと笑いかければ、
 君はこっくりと頷いてくれた。
 その不器用さが愛おしい。
 まだわからなくてもいい。ゆっくりと花開く様を私だけに見せて。
 夕餉を終えたら、庭で夜桜を見ようか。
 そう言えば君ははい、と嬉しそうに頷いた。


背景素材:空色地図

ここまで読んで頂きありがとうございました。
お気に召していただけたらぽちっとして頂けると幸いです