五風十雨




  −4−


 お気に入りの羊羹も団子もまだ君を笑顔に出来ないらしい。
 どれほど君は心を痛めているのか。
 政務ともろもろの根回しで手一杯で、君への配慮が足りなかったとは思う。
 けれどそうやって心を痛めているのを見せまいとしていた君だって悪い。
 遠慮しているだけでは、これからはやっていけないのだから。
 もう少し本音をさらしてくれなくては。
 君と私は夫婦になるんだよ?
 目線を向けても、君はいつかのように嬉しそうな顔をしてはくれない。

「では、次は誰」
「では俺が伺おう。
 小松殿、……桂から訊いた話なのだが、
 蓮水を正妻として迎えないというのは本当か」

 高杉が重々しく口を開くと、一同は騒然となった。
 どういうことだ、とチナミが掴みかかろうとするのを龍馬が押し留めている。
 こういう反応をされることは想定内だ。
 しかしこうも理解されないというのは寂しいものだね。
 お目付だけが苦笑いしてそれを見ている。

「桂君も存外口が軽いね。
 まあ、君だから漏らしたのか」
「どういうことだ。
 蓮水を慰み者と扱うつもりなのか」
「……何処からそんな発想に辿り着くのかな。まったく。
 帯刀くんがそんなことするわけないのに」
「しかも本人がいる前で慰みものと言うなんて。
 高杉、心配ゆえの失言だろうけどそれ以上の侮辱は私が許さないよ。
 ゆきくん、君にも形が整ったらきちんと話そうと思っていた。
 いい機会だからちゃんと聞いて欲しい」
「……わかりました」
「まずは、龍神の神子を薩摩藩家老である私が正室として迎えるということが
 どういうことなのか、考えてみてくれる?
 我が藩は今は一橋公を次期将軍として擁立することに全力をあげている。
 龍神の神子の名声を一橋派の為に使ってしまった以上、
 私がそれを娶れば一橋派へ集まった人望が薄れてしまう可能性がある。
 それは今の情勢からすれば避けねばならないことだろうね」
「今は慶くんの足場を固めたい時期だからね。
 慶くんはそれを望まないだろうけど圧力をかけなきゃいけないかもしれない。
 だから僕は神子殿が再度この地に降り立ったのは感じていたけれど、
 帯刀くんは僕にそれを知らせなかった。
 それを考えればわかると思うんだけどね、晋作くん」
「しかし……」
「私は他に妻を迎えるつもりはない。
 ゆきくんはただひとりの私の妻だよ。
 正室として届け出は行わないが、実質正室として扱うつもりでいたのだけれど
 これでも納得してはもらえない?」
「しかし何だか納得いかんなあ」
「そう?
 では建前でなく本音を言おうか。
 私がゆきくんを肌身離さず側に置きたいからだよ。
 正妻として迎えれば、ゆきくんは薩摩の小松領の本家に置くのが慣例だ。
 江戸と国元の往復に家老ともあろうものが正妻を連れ歩くなんて外聞が悪いからね。
 正室として迎えなければ側に置いておける。
 それだけのことだよ」

 少し難しかったのか君はよくわからないという顔をしたので

「ゆきくんとずっと一緒にいる為にそうしたいと思うのだけれど、
 それではいけない?」
「良く、わかりません」
「……君と上げる祝言の規模が変わるだけだよ。
 私の正室として上げるのなら諸藩のお偉方やなんかばかりの
 華やかだけれど形式ばって味気ないものになる。
 けれど非公式に、八葉や君のゆかりのひとを招いて
 極内輪に催せば暖かいものになるだろう。
 君はそちらを望むと思ったのだけど、違う?」
「違いません」
「私なりに君の事を思って事を進めているけれど、
 言葉が足りなかったね。……ごめん」
「小松さんが謝ることはないです」
「君ももっと素直に話して欲しいね」
「はい……」

 頬を染めて君は頷いた。
 改めて一同を見回すと龍馬だけが腑に落ちないという顔をしている。

「言いたいことがあるのなら、言えばいいでしょ、龍馬?」
「帯刀……」
「それともここまで話してきても言い辛いようなこと?」
「……少し前、俺がここに来たとき、
 来客が来たからと俺を待たせたことがあっただろう」
「いつのことかな」
「お前があまりにも酷いことを言ったから俺は信じられなかった。
 あの時、お前はお嬢のことを、神力を失ったただの小娘って言ったんだ。
 行き場がないのが哀れなので、ここに置いているとか、
 元八葉としてかつて仕えた神子を蔑ろにはできませんとか、
 利用する価値などありませんとか、聞くに耐えない暴言をお前は吐いた。
 帯刀、お前何を考えているんだ?」
「聞いていたの」
「あんな大きな声で言えば、聞こえるさ。
 ……お嬢にだって聞こえていたんだろ?」

 ゆきくんはこくりと頷いた。
 ああ、それで君はそんな不安そうな顔をしていたの。
 駆け寄れば、ゆきくんは俯く。
 ごめんと呟いても、君は何も応えてくれない。
 それまで黙って聞いていた西郷が、がばっと土下座をした。

「誠に申し訳ない。
 それについては御家老の責任ではない。
 全て悪いのはこの西郷だ」
「西郷……」
「御家老。庇って頂かなくとも結構。
 坂本殿、あれは自分が国父殿の前で御家老の婚姻の話をしてしまったのが
 全ての元凶。
 御家老の妻が龍神の神子であれば、安泰ですなと申し上げてしまったのです」
「じゃあ。あの時の客って」
「……国父殿だよ。
 あの方は悪い方ではないけれど権威と言うものに弱い方でね。
 龍神の神子をどう利用するかそればかりお考えになってこの屋敷に来たんだよ。
 私の妻なんて勿体無い。
 若殿の正室、帝の后や、次期将軍一橋卿の御台所にだって推せるとすっかりその気になり、
 龍神の神子の再来を声高く宣伝されようとお考えだった。
 それを諌めるには強い言葉と勢いが必要だったんだよ。
 君を護ろうとして言った言葉だけれど、
 君を傷つけたのは事実だ。ゆきくん……本当にごめん」

 ゆきくんは目に涙をためて私を見た。

「これはあくまでも僕の考えだけれど……あえて付け加えるとね。
 君たちは意外に無頓着だけど、帯刀くんは真面目に神子殿の将来を
 考えた結果こういう判断をしたんだよ。
 龍神の神子が再度降り立ったなんて評判が立ったらどうなると思う?
 また何かあるんじゃないかと心配になるものもいるだろうし、
 飢饉や日照りが起こったら何とかしてくれと詰め寄ってくるものもいるでしょ。
 もう江戸に溜まった瘴気も祓ったし、江戸城の強い怨霊も祓った
 これ以上何もすることが無いのにただ存在しているというだけで
 また役立たずと罵るものもいるだろうね。
 昔、院による治世が行われ始めていた頃京に百鬼夜行が起こり、
 空を一面怨霊が埋め尽くしたそうだ。
 その時の龍神の神子がその身を糧に金色の龍を降ろし、怨霊を祓ったと伝わっている。
 それくらいわかりやすく奇跡が見えないと民衆は納得しない。
 麹町の火事の時、色々言われていたのを忘れたの?
 民衆って本当に身勝手で気が変わりやすいからね。
 あんなことを起こさない為に帯刀くんは神子殿を守ろうとしたんだよ。
 だから僕に神子殿が帰ってきたのを知らせなかった。
 僕が書く文献を『神子は役目を果たして天へ帰りました』で結ばせるためにね」

 お目付はゆきくんの頭をぽんぽんと撫でた。

「だから神子殿。お役目ご苦労だったね。
 神子を今やめてしまいなよ」
「リンドウさん」
「そしていい加減僕を星の一族のお役御免にしてくれる?
 窮屈で仕方ないよ」
「そうだよ。
 君はただの蓮水ゆきに戻って……私の妻になるんだからね」

 手を伸ばせば君は私の腕に納まった。
 震えているのは泣いているせいだろう。
 心細い思いをさせてごめん。そう背中を撫でれば、小さく君の嗚咽が聞こえた。


背景素材:空色地図

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