4.綺羅星






 こんなに精密な印刷が出来るとはね。
 蓮水邸のワインセラーで、ラベルを見ながら小松は感嘆の声を上げた。
 確かに木版の技術はこれ以上ないほどまでに上がっている。
 庶民の娯楽であった浮世絵も、アーネスト等外国から来た人間に言わせれば
 芸術の域にまで高められているらしい。
 それにしてもこの細かさ、色。
 これほど文字が小さければ、一冊の本にどれほどの情報を込められるのだろう。
 図書館に収められていた蔵書の数を思えば気が遠くなった。
 その中からゆきが見つけてくれた本の一冊に自分の名前があったことを思い出し、
 苦笑いした後、こちらの世界での小松帯刀のあと数年を思いため息をついた。

「今何年とゆきくんは言っていたっけ?サトウくん」
「2011年だったかと」

 ボトルに刻印された日付は二人からすれば全て未来のもの。
 作られた年数が古ければ古いほど良いというものでもないけれど、
 何年物なのかくらいは一応知っていたいとは思う。

「古ければ古いほど良いわけでもないだろうけれど、
 これだけ本数があるとね」
「しかも世界中のワインですよ」
「……こんなものを作るくらいなのだから、蓮水氏の目は確かだと信じることにしようか」
「そうですね。
 私も良くわかりませんから」
「では、お互いが良さそうだと思ったものを頂くとしようか」
「そうしましょう」

 お互い数本の瓶を抱え、地下から上がると、居間にクリスマスツリーが立っていた。
 組み立てているのは桜智とゆき。
 屋根裏から見つけてきたらしい。
 ゆきは桜智に屈託のない笑顔を向けている。
 あんな笑顔は自分には見せない.それはどうしてなのだろうかと小松は思う。
 見せてくれたとして、自分はどうするのだろうか。
 距離を埋めたところで、この先にどれほどの時間が残されているのだろう。
 年の差を考えるのなら今のゆきの態度は自分を尊重したものだとも思える。
 けれど龍馬にもゆきはあの笑顔を見せる。
 嫌われてはいない自覚はある。好かれている感触もある。
 けれど腕の中へ納めようとするといつのまにか手ごたえがない。
 引き寄せるにも手が届かないような曖昧な距離。
 確かにその手を捕らえることは出来ても、彼女の何故と問いかけるような視線に、
 自分を省みるうちにゆきはいなくなってしまう。
 本物の雪のように。
 ふんわりと舞い降りた雪が気が付けば解けて消えていくように、彼女はどこか頼りない。
 他の人間といるときはそんなそぶりも見せないのに、何故だろうか。
 そこまで考えて小松は思考を止めた。
 アーネストがツリーを見上げて感嘆の声を上げる。
 
「それにしても大きいですね」
「サトウ君がそういうのならきっとそうなんだろうね。
 私には良くわからないから」
「しかも、この飾り、……見てください。
 とても綺麗です」
「そうだね」

 赤に金の飾りは確かに常緑の葉の色に映える。
 その赤と金の色はかなりシックで蓮水夫妻の趣味の良さを感じさせた。
 ゆきには背の届かない場所を、桜智が指示に従って飾り付けている。
 ゆきは近づいたり遠ざかったりしてバランスを見ながら、
 桜智に指示を出していたけれど、うまく伝わらないのか、
 椅子に上がって自分で直しはじめた。
 ではこれを冷やしてもらってきます。
 アーネストは瓶を抱えると台所へ行った。

「もう少し、このへんを……」
「……(ああ、ゆきちゃんの顔がこんな近くに!!)」
「少し曲がってる気がするから」
「……(髪からいい香りがする……!!)」
「届かない」
「……(真剣な瞳がたまらなく綺麗だ。嗚呼)」
「……桜智さん?」
「……なにかな、ゆきちゃん。
(そのかわいい声が、唇が私の名を呼んでくれている!)」
「話きいてます?」
「ああ、勿論聴こえているよ(君の言葉は一句残らず聞き届けたい)」
「そっち側なんですけど……」

 反対側に手を伸ばしたゆきは、椅子のクッションでバランスを崩し、
 グラっと体を傾けた。

「危ない、ゆきくん!!」

 帯刀が椅子から滑り落ちたゆきをかかえると、
 驚いたのかゆきは呆然としている。

「ゆきくん?
 怪我はないはずだけど、……驚いた?」
「小松さん?
 どうしてここに?」
「さっきから見ていたのに、私に気づいていなかったの?
 相変わらず酷いね、君は」
「助けてくれたんですか」
「そうだよ。
 それとも私には君を助けれるほどの力がないと思っているの?」
「そんなことは」

 しゅんとうなだれた桜智が今にも死にそうな顔でゆきに謝る。

「ゆきちゃん、……ごめん。君を危険な目にあわせて」
「いいの、桜智さん。
 わたしの不注意だったし」
「まあお互いが悪いね。
 ゆきくんは不注意だったし、桜智は陶酔して意識が散漫だった」
「ごめんなさい」
「ここはありがとう、でしょ。
 ……謝るよりは礼を言ってもらえる方が気分がいいね」
「ありがとうございます」
「良く出来ました。さあ、これを飾り付けるのかな。
 私も手伝わせてくれない?良いかなゆきくん」
「いいんですか?」
「特にすることもないし、
 君と桜智に任せていたらいつまでたっても終わらなさそうだからね。
 アーネストと菓子の仕上げをするんでしょ。
 だったら早く終わらせてしまった方がいい」
「わかりました」

 ゆきは淡々と返事をして、飾り付けに戻る。
 本当は桜智にゆきを助けられないこともなかった。
 どんなに意識が夢と現実を行ったりきたりしていても、
 桜智がゆきを危険にさらすわけがないことを小松は理解していた。
 ただ一瞬小松の方が早かっただけだ。
 あんなに嬉しそうな顔をして彼女の隣を独占するなんて、
 許せることではなかったからね。
 折角の二人きりの時間を邪魔して申し訳ないね。
 小松はちらりと桜智を見たけれど、きっと桜智には自分はいないも同然なのだろう。
 思い切りの良すぎる無視だな。
 鮮やか過ぎるほどの無視は、おかしさを感じさせることはあっても、
 腹立だしさなど感じさせないのか、それとも単に慣れたのか。
 それでもこの自分の対にあたる男は以前よりは自分を認識するようにはなったとは思う。
 桜智には細かく指示を出すのに、自分には何も言わないゆきに小松は不安を感じ、

「ゆきくん、私には何も言わなくていいの?」
「だって、小松さんのセンスいいですから。何も直す必要ないんです」
「……何だかつまらないね」
「褒めているんですけど、いけませんか?」
「ま、いいけどね」

 小松は、自分の器用さが何だか損をしているように感じてため息をついた。
 何でもそつなくこなせる自分を誇ったことはあれど、つまらなく感じたことなどなかったのに。
 もしかして彼女に甘えたいとでも思っているのだろうか。
 そんな自分に苦笑いして、ごまかすように片目をつぶっておどけて見せても、
 ゆきは一瞬じっと見つめたけれど、何もなかったように自分の作業に戻る。
 本当に君はつれないな。
 まあ信頼されているのならそう悪いことでもない。
 小松はそう思い直すと作業を進めた。
 最後に残っていた大きな星。何処につけるのかと言えば頂点につけるのだという。
 背の高い桜智につけさせようとゆきは手渡したけれど、小松がさえぎった。

「あのねえ。こういうものはゆきくんがつけるべきでしょ。
 ぐるりと確認して、完了したのならそのしるしに君がつけるといい」
「うん、小松さんの言うとおりだ。
 ゆきちゃん、君にその星……とても似合うよ」
「うん、わかった」

 ゆきはツリーのまわりをくるりと回って確かめると、
 にっこり笑って椅子に登り星をつけた。


背景素材:素材通り

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