玉草
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四条の館の車寄せで待っている貴方を見て私は心が浮き立った。
紫姫と深苑殿も見送りに立ってくれていた。
会釈をすれば、紫姫は花梨様をよろしくお願いいたします、と頭を下げた。
花梨を邸に迎え入れるときもこんなだろうか。
……ふいにそんな想いに囚われる。
京を移動するときは、体面というものがあるから、きちんと貴方は盛装して待っていてくれた。
そんな貴方を抱えて牛車に乗る。
これで暫くは貴方と共にいられる。
貴方を抱き寄せた腕に力がこもり、自然と笑みがこぼれるのがとめられない。
そんな私に貴方も微笑んでくれた。
この場所に来るのは何年ぶりだろうか。
紅葉に包まれ、見えてきた別邸に、様々な思い出が蘇る。
少しの不安を抱えながら過ごした……けれど穏やかな日々。
母はこちらに頻繁に訪れ、不慣れであった私に細々と世話を焼いてくれた。
この世界の決まりごとをひとつずつ教わっていく日々。
記憶を持たなかった私は染み込む様に覚え、馴染むのにそう時間がかからなかった。
そんな私を褒めてくれた父、励ましてくれた母。
今はもうその尊敬した父はいない。母も宇治で仏行に励み静かに暮らしている。
また、母を訪ねなければ。今度は花梨も一緒に。
記憶の中のその場所は、もっと静かな場所だった。
今思えば、父や母の信頼を特に受けたもののみがいたように思う。
人も少なく、こんな風に喧騒に包まれてはいなかった。
皆、着いたばかりの不慣れなこの場所を少しでも居心地の良いものに、と励んでくれている。
そんな活気も悪くはない。
花梨が私の邸に移れば、この者たちと暮らすことになる。
心配はしていないけれど、上手く馴染んでくれればいい、と思う。
花梨は気を使うのが上手だ。時に自分を殺しても人とのつながりを大事にする。
そんな風に気を使うことなく、のんびりして下さるといいのだが。
目を輝かせ、邸を見てまわる花梨の笑顔がどうか曇ることのないように。
案内しながら私は祈った。
貴方は髪をひとつに纏めると、着慣らして少し糊の落ちた水干の気楽な格好になった。
別邸についてしまえば、堅苦しい装束などは必要ない。
それは自分がこの世界に迷い込み、暫くこの邸にいた頃に来ていたものだ。
貴方には少し大きいけれど、着慣らした着物の気安さはよく知っている。
糊の利いた新しい衣は気持ちが引き締まるけれど、少しでも寛いで欲しかったので、
ずっとしまわれていたそれを出させた。
「今の幸鷹さんの衣より、小さいですね」
「まあ十五のころですから。その後背が伸び着られなくなったものですが、
懐かしいですね」
「でも綺麗な淡萌黄色。すごくいい色ですね。縫い目も本当に綺麗」
貴方は袖をじっと見入り溜息をついた。
それは母が初めて仕立ててくれた衣。
今思えば出逢った頃から母は細やかな愛情を注いでくれていたのだな。
不意に目頭が熱くなる。
「こんなに丁寧に仕上げるなんて。幸鷹さんはお母様に大事に想われていたんですね。
すごく気持ちが伝わってくる気がします」
「そうでしょうね。今になって本当にそれがわかります」
「でも、そんな大事な衣、わたしが着てもいいんでしょうか?」
「貴方にだから着て頂きたかったのですよ」
「そうですか。じゃあ大切に着させてもらいますね」
貴方は微笑むとくるりと回ってみせてくれた。
水干を着た貴方を見ると、この世界で出会った時のことを思い出して少し胸が熱くなる。
そうして颯爽と髪を結いあげるとまるで少年のようですね。
と言えば花梨は笑う。
初めてこの世界に来たときには肩につかないほど短かった花梨の髪も伸び、
今は背中にかかるほどになった。
かもじをつければ十分婚儀に間に合うだろう。
短い髪の貴方も好きですが。
この髪が伸びた時間だけ、貴方と共にいられたと思うと愛おしい。
漆黒の、鏡のような艶を持つ髪がこの世界では尊ばれる。
けれど貴方の髪は少し色素が薄い上、猫っ毛だ。
そんな少し柔らかい髪をくるくると指で弄ぶのが私は好きだ。
貴方は少し照れた顔で、嬉しそうに笑うから。
貴方が身支度が終わるのを見届けて、
私も着古して馴染んだ狩衣に着替え、久しぶりに散策に出た。
勢い良く駆けて行く貴方の背中を眺める。
貴方のそんなのびのびとした顔を見るのは久しぶりだ。
やはり貴方は陽の下にいるのが似合う。
そんな貴方を見ることが出来ただけでもここに来た甲斐があったと思う。
「秋ですね〜」
「京の空気も秋ですが、こちらはもっと秋めいている。
山だからでしょうか。
空気が澄んでいますね。やはり、こちらはいい」
「わたしもここが好きです」
「好きと言っていただけて嬉しいですよ。
……この季節に貴方と来れて良かった」
「わたしも嬉しいです。
幸鷹さんはいつも無理しすぎなんですからゆっくり休んでくださいね」
「そうですね」
ひらり、と風に舞い落ちて来た紅葉の一枚を貴方は手に取る。
そういえば、そんな風にして貴方はこの世界に来たと言っていた。
貴方と出会ったのは秋の始まりの季節だった。
紅葉の終わらない秋に雪を降らせ冬を呼び、新しい年を呼び、
……金色の龍が神泉苑の空を埋め尽くした。
あの時抱き寄せた腕の中に、今も貴方がいる。
その幸福感に、息が詰まる。
もう一年も経ったのに。まだ慣れない。
その腕の中のぬくもりにはもう馴染んでしまったのに。
貴方が一瞬遠い目をしたので、私はぐっと握る手に力を入れた。
「貴方を、もう、何処にもいかせはしません」
「……何処にも、いきませんよ」
少し力を込めて手を握り返して、貴方は微笑んでくれた。
あけびをさがしてみようか、ということになり、
道から、林の中へ足を踏み入れた。
けれど土地勘のない私たちにあけびを見つけることは難しく、
暗くなる前に邸へ帰ろう、ということになった。
あけびとは違うけれど、蔓が這う先に見つけたのは明るい赤のからすうり。
指でこづけば、少し枯れかけた蔓がかさりと鳴った。
「ああ、玉草ですね」
そう言えば貴方は一瞬何を言ったのかよくわからないという顔で尋ね返す。
「なんですか?たま……?
これ、からすうりじゃないんですか?」
ああ、そうか。
くすり、と笑えば貴方は少し面白くないという顔をする。
「そうですよ。からすうりです。
玉と草と書いてたまずさ、とも言うのです」
「そうなんですか」
「ええ」
「そうやって言うと、何か風流な感じがしますね」
「そんなものですか?」
「はい」
貴方はしげしげとそれを眺めている。
この明るい赤、オレンジ色に私は何かを思い出しかける。
「幸鷹さん、今日っていつですか?」
「ええと、神無月の三十日ですね」
「10月30日……あ、そっか」
ジャック・オー・ランタン。
オレンジ色の西洋南瓜を連想したのか。
ハロウィンの南瓜、か。懐かしいな。
南瓜は京にはない。
勿論ハロウィンも。
貴方が蔓ごと、からすうりを取ろうとして、引っ張ったのを見て、
手を怪我するといけませんから、と小刀で蔓を切る。
それを受け取った貴方は、にっこり笑ってありがとうと言うと大事そうに袖の中にしまった。