玉草




  −2−


 貴方と出逢ってもう一年になるのか。
 少しずつ色づいていく木々を眺め朝餉を取る。
 日が短くなってきたな。
 そして少し寒くなってきた。
 貴方を抱きしめて眠りたくて、あちらの邸で過ごすことも増えた。
 婚儀の準備は進んでいる。
 馬鹿げたことだ、とは思うがあとは吉日を待つのみ。
 しかるべき日を泰継殿に占ってもらっている。
 藤原の宗家の出で、中納言たる自分には体面もあり、適当に婚儀を行うことも出来ない。
 きちんと『正式な婚儀』を行わなければ花梨の立場が揺らぐことだってありえるのだから。
 花梨という存在を知りつつも、縁談の話は相変わらず持ち込まれる。
 『正妻』として迎えなければ、正妻に迎えてはどうか、と縁談を持ち込まれ続けるだろう。
 それは花梨を傷つける。
 自分は花梨以外に妻を持つつもりはないのだと強く示さなくてはならない。
 本当にそう思っていても、過ぎるのは母の面影。
 正妻でありつつ、子を持てなかったあの人は、
 自分という子を得るまで立場を脅かされ続けたのだろうから。
 今思うに、兄が私を疎んでいたのは、私がいなければ兄の母こそが正妻に取って代わった
 可能性があったからではないのだろうか。
 私の母の存在もありつつも、自分は宗家の嫡男であるという自負もあったのだろう。
 そこに唐突に私という息子が現れた。
 兄の気持ちは……私にはわからないけれど、複雑なものであったのだろう。
 でなければあのような卑屈にもとれるほどの態度は示さないだろうから。

 涼しくなって、今は肌寒いくらいだが……、花梨の体調も良くなってきた。
 酷暑ともいえる京の夏に、花梨の体調は優れなかった。
 夏の間婚儀を見送ったのは、花梨の体調を慮ってのことだ。
 無理もないだろう。
 ここには空調機械の類はいっさいない。
 扇で扇ぐぐらいしかない。氷も貴重な氷室に貯蔵された限られたものだけ。
 そして慣れない衣服。
 自分はもう体が慣れたこの夏も、花梨にとっては厳しいものだったのだろう。
 日に日に弱っていく彼女を見るのが忍びなかった。
 元八葉の皆も花梨のために色々心を砕いてくれた。
 氷など本当に貴重なものなのに。
 彰紋様や、泉水殿が手を尽くして届けてくださった。
 本当にありがたい、と思う。

 けれど花梨は決して笑顔を絶やさなかった。

 そんな花梨に救われつつも、迷う。
 そんな迷いは今は意味はないと知りつつも、本当はあちらに戻った方が
 よかったのではないか、と。
 そんな迷いが透けた私の顔を少し困ったように見上げて、
 これで良かったのだ、と花梨は繰り返した。
 誰よりも貴方を幸せにしたい、と願うのに。
 本当に私に出来るのだろうか。そんなことを思う。
 ……そんなことは考えたことはなかったのに。
 誰かの幸せを願うなど。
 母の幸せは願ったことはある。
 けれど……こんな切実に誰かの幸せを願うなんて。
 そしてこんなに自分の無力さを噛み締める時が来るなんて。
 一年前には考えもしないことだった。
 
 貴方の笑顔を見たい。できれば自分の力で。
 夏のはじめ、イサトに薦められ、勝真殿も一緒に出かけた蛍狩り。
 貴方の笑顔が見られて嬉しい反面。
 それが他の男によって引き出され、むけられたことに苛立っていたのか。
 その後催された宴でいつもより多くの酒を口にした。
 今思えば情けない。
 それにかこつけ、私は貴方の元に留まったのだ。
 婚約をした私が貴方の元に泊まることは別に変なことではない。
 ……私は、見せ付けたかったのだろうか。
 貴方が既に私のものである、と。
 それが貴方との最初の夜であったなど、貴方にとってはどうだったのだろうか。
 酔った私を介抱してくれた貴方の手をとり、口付ければ、
 不慣れな貴方は震えていた。
 いじらしくて、抱きしめれば貴方は身を堅くした。
 はっ、と我にかえれば、貴方は覚悟を決めたような目で私を見ていた。
 こんな酔った勢いで貴方を抱くなんて。
 酒宴の後に女を抱く。女房であったり、宴の主催に宛がわれた娘、であったり。
 この京ではもう当たり前の情景。幾度となく繰り返された状況。
 それに慣れきった自分に嫌悪感が込み上げて来て、貴方を放した。

「申し訳ありません」

 謝った私に貴方は困惑した。それはそうだろう。
 押し倒し、口付けた後に謝るなど、酒の勢いでしたと言わんばかりだ。
 けれど私があまりにも情けない顔をしていたのだろう。
 貴方はくすり、と笑ってくれた。
 貴方はその手のことに慣れた相手、ではない。
 貴方のことは大切にしたい。どうすればいいのかわからないけれど。 
 けれど傍にいたい。抱きしめたい。
 どうしようもなく膨れ上がった気持ちを貴方に押し付けたくもない。
 貴方にはまだ、この気持ちはわからない。
 けれど、貴方もまた私を想ってくださっているのでしょう?
 そう信じても良いのでしょう?
 縋るような眼差しをしていたのだろうか。
 貴方は少し困ったように微笑んで、私を抱きしめてくれた。

「幸鷹さん、……好きです」

 おそるおそる添えられた震える手に手を重ねる。
 それだけで貴方の体温があがったのを感じた。
 貴方に無理を強いたくはない。
 私は体勢をかえ、自分の肩に貴方の頭を乗せた。
 柔らかに手を繋ぎ直す。
 ……思えば一緒にいられた時間は短い。
 仕事の忙しさにかこつけて逢いに来られない日も多かった。
 今はこうして寄り添っていられたらそれでいい。

「……ずっとこうしていてもいいですか」
「こんなんじゃ、眠れないです」

 貴方は顔を真っ赤にしているのか、小さな声でそう答えた。

「けれど、今日は出かけましたし、疲れているのではないですか?」
「そうですけど」
「……私はずっと貴方とこうやって眠りたかった。
 私の我侭ですね。申し訳ありません」

 貴方は本当に疲れていたのだろう。
 久しぶりの外出に宴。
 これだけの人数と顔を合わせるのも久々だったに違いない。
 髪を撫であやす様にすれば、貴方の規則正しい吐息が聞こえてきた。
 疲れていた貴方に無理を強いなくて良かった。
 貴方の体温が、伝わってくる鼓動が切なかった。
 そして貴方が私の腕の中に身を委ねて眠っているという事実がただ、私を酔わせていた。
 
 それから私は夜も貴方を訪ねるようになった。
 戸惑っていた貴方も次第に慣れ。
 仕事で夜遅くなって、尋ねることを遠慮していた頃よりも、
 私の訪ないが増えたことを喜んでくれた。
 何よりもゆっくりと流れるふたりだけの夜の時間。
 自然と寄り添うことも増え、貴方を初めて抱くまでにそれほど時間はかからなかった。


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