玉草




  −3−


 邸の外を歩けないわたしは庭を歩くのを日課にしている。
 そのときだけ短い袴に沓をはいて、庭の中を歩いた。
 最初はそんなわたしに皆驚いたけれど、紫姫が笑って許してくれたから
 今はただの習慣になっている。
 あんまりにも庭にいるので最初小姓か何かだと思っていたらしい、
 庭師のお爺さんは、ある日わたしが幸鷹さんの婚約者であることを知って驚いていた。
 何にでも興味を示すわたしに、最初は渋々ながら色々教えてくれている。

 今日庭師のおじいさんはあるものを届けてくれた。
 あけび。
 栗や山葡萄といった秋になる楽しみのひとつだ。
 甘い果物はあまり多くないから、これはとても貴重なもの。
 幸鷹殿と一緒にどうぞ。
 穏やかな微笑とその一言と共に、受け取った。
 幸鷹さんは喜んでくれるだろうか。
 紅葉が始まったら別邸へ行きましょう。幸鷹さんはそう約束してくれている。
 嵐山にある別邸は、幸鷹さんがこの世界に飛ばされてきた時に、
 元服まで……この世界の生活に慣じむまでに過ごした場所だ。
 幸鷹さんの好きな神護寺も近い。
 幸鷹さんは休みを願い出て、一週間ほどの休暇をとってくれるらしい。
 どれほどの労力をさいているのか想像もつかなくて、
 申し訳ないような気持ちになるけれど、本当に嬉しい。
 仕事の鬼、と呼ばれる幸鷹さんが休暇をとるのは初めてのことで驚かれたらしい。
 こんなに驚かれるとは思っていなかったと幸鷹さんは苦笑いした。
 検非違使別当は中納言との兼帯というのが慣例。
 従来兼帯した中納言は名ばかりのことが多くて、
 実際は別当の次官、佐が裁可を行うことが多いというか当たり前だったらしい。
 じゃあ幸鷹さんはお仕事を頑張りすぎているんですか?
 いつかそう聞いてしまったら、幸鷹さんは

「自分の仕事は好きですし、責任はきちんと果たしたいという気持ちがあるのです。
 実質的な責任者である佐がやればいいと言う人も多くいる。
 けれど別当職は私自身なのです。
 私の名の下に多くの裁可が下るのならば人任せになどしたくはなかったのですよ」

 と少し困ったように笑って教えてくれた。
 確かに自分の名前で物事が決まってしまうなら、
 自分がおかしいと思うようにはして欲しくない。
 それは当然だと思う。
 でも、検非違使別当と中納言を兼ねることはとても大変なことだ。
 朝真っ暗な時間に起き出して朝議に向かう幸鷹さんを見送った後、
 二度寝してしまう上、幸鷹さんが寝る時間に起きてもいられない
 自分が本当に申し訳ないな、と思う。
 せめておいしい食事や、のんびり寛いで欲しいから居心地のいい部屋にしたい。
 幸鷹さんは泉殿や、内裏に伺候する上達部なのだから着心地も見目もいい装束を揃えたい。
 そう思って、ぎこちなく針を運び、布を染めるわたしを
 幸鷹さんは穏やかに見守ってくれている。
 今は慣れて、少しは思ったような形になっているけれど、
 最初の頃は酷かった。
 けれど幸鷹さんはそんな出来のものでさえ大事にしてくれた。
 だからわたしは頑張れた。
 琴も、香合わせも。ただ、幸鷹さんに喜んで欲しくて。
 そんなふうに頑張っていた日々の『ご褒美に』連れて行ってくれるらしい。
 そして頑張って来た自分への褒美でもありますねと幸鷹さんは目を細めた。
 たまに京の街中を二人で歩くこともあるけれど、不自由のほうが多い。
 奇異な目で見られるのも悲しい。
 それは仕方のないこと。でも、別邸ではそんなことはないかもしれない。
 二人で邸の周りを散策し、人の目を気にせずに思うまま歩き回れる。
 幸鷹さんはどうしたら、二人で自由に歩くことが出来るか考えた末、
 相続したものの暫く放置していた別邸に手をいれ、『休暇』をとることを思いついたという。

「かつての世界のように自由に、とまではいきませんが、
 気兼ねなく貴方と歩きたかった。
 普段忙しくして貴方と過ごせる時間が少ないのもまた、
 私は寂しいことだと感じたのですよ?
 ……こんなことは初めてだったのです。
 貴方とこうして一緒にいるのに。それだけでいいと思っていたのに。
 思ったよりも私は欲張りだったようですね」

 実質の現場責任者である佐がいれば問題ない、とはいえ、
 幸鷹さんはぎりぎりまで自分で裁可を下して、
 出来うる限りの仕事はこなしていた。
 中納言を兼帯する幸鷹さんは秋の除目の審議にも加わっていたから、
 それが終わるまでは京を離れられなかったみたいだ。
 誰かが困ることのないようにぎりぎりまで細心の注意で仕事をこなし、
 幸鷹さんはようやく休暇に入った。

 嵐山への道中、牛車に揺られた幸鷹さんは疲れのせいか、
 それとも気が緩んだのかこっくり、こっくりと揺れていた。
 座ったままの体勢だと疲れてしまうから。
 袖を引けば、ゆっくりと幸鷹さんは膝の上に横になり、
 すうすうと寝息をたてて眠りについた。
 わたしは袿を一枚引き抜いて、幸鷹さんにかける。
 温まった袿からふわりと幸鷹さんの香の薫りが立ち上がる。
 ……のんびりしてくださいね。
 額にはりついた髪をそっとすけば、少し強張っていた表情が和んだ。

 暫く眠っていた幸鷹さんだったけれど、山道に差し掛かるとそうもいかない。
 ふいに起き上がった幸鷹さんは、
 ふるふると頭を振り、眠気を飛ばそうとする。
 かかっていた袿に気付き、ちいさくありがとう、と言ってくれた。
 
「貴方の膝が暖かかったので、よく眠れたような気がします」
「のんびりしましょう。ね、幸鷹さん」
「……しばらくは二人きりで、ね」

 幸鷹さんは伸びたわたしの髪をさらりとすると悪戯っぽく微笑んだ。
 気恥ずかしくてそっぽを向けば、耳たぶを指で軽く挟む。
 さらに俯いたわたしに、若干満足そうなのが腹ただしい。

「……花梨?」
「もう、知りません」

 別に、嫌なわけじゃない。
 でも満足そうな顔をされるとちょっとだけ面白くない。
 少し、やりすぎたか?という風に幸鷹さんはくすり、と笑った。

「先日のあけびは美味しかったですね」
「……」
「……、こちらでも見つけられるといいですね。
 ここでは甘いものは貴重ですから」

 誰かに探させて、持ってこさせるのも幸鷹さんになら難しくもなんともないことだ。
 でも、見つけられるといい、というのは……。

「後で探してみましょう。
 貴方はもう少し食べたがっていたように見えたから。
 私が訪れる前に戴いてしまってもよかったのに」
「そんなことできません。
 ……おじいさんが……幸鷹さんとどうぞってくれたものですから」
「そうですか」
「折角ですから、幸鷹さんと食べたかったんです」
「……ありがとう」

 幸鷹さんは穏やかに笑った。
 わたしは、この笑顔に弱い。
 折角のふたりきりの時間だ。無駄になんかしたくない。
 意地を張っているのが馬鹿らしくなって、まっすぐ幸鷹さんのほうを向けば、
 幸鷹さんは楽しみましょうね、と優しく手をとって言ってくれた。


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