世界の果てで君を待つ




  −2−


 その子はきちんと糊のかかった綺麗な白いハンカチを差し出して
 これでその涙を拭いてくださいと言った。
 銀縁眼鏡の奥の瞳は、確かに誰かの面影がある。
 花梨は混乱して走り去ろうとした。

「あなたに会いたかった。
 あなたはきっと嫌ですよね。こんなに小さなぼくでは」

 首をかしげて、悲しそうな顔で言った彼の仕草は花梨の良く知る誰かに似ていて。
 花梨は振り返ってもう一度まじまじと見つめた。

「初めましての方がいいですか。ぼくは藤原幸鷹といいます」
「ゆきたか……さん?」
「そうです」

 もし時間があるなら少し話をしませんか?
 幸鷹に連れられて近くの公園へ寄る。
 ベンチに座る花梨に幸鷹は自販機で紅茶を買って渡す。
 今のぼくは小さな子供だから。あなたとお店に入ってとかできなくて。
 恥ずかしそうに笑う幸鷹を花梨は半信半疑で眺める。
 確かに面影はある、けれどこれは。

「ぼくはあなたの知る幸鷹の甥にあたります。
 けれどぼくはあなたの知っている幸鷹なんですよ」
「……よくわからないよ」

 花梨は目をそらす。
 そんなこと、わかりたくなんかない。
 そんな花梨をじっと幸鷹は悲しそうに見つめた。

「……ぼくが馬鹿だったんです。あなたを帰してしまったあと後悔しました。
 あなたがいなくても平気だとおもっていたのに、ちっとも平気じゃなくて。
 死ぬまであなたにずっとあいたがってた。
 だから龍神におねがいしたんです。もう一度あなたにあわせて下さいって」
「……だったらあの時一緒に帰ればよかったのに」
「そうです。あなたを帰さなければよかった。
 あれからぼくは50歳まで生きました。ずっとあなたのことを悔やみながら。
 だれも好きになれなかったから、奥さんも子供もいないままたったひとりで」

 ずっとひとりで。
 花梨は幸鷹の面影を胸に呟く。
 あの後彼は一人で生きたのか。ああ幸鷹さんは貴方は本当に馬鹿だよ。
 また溢れてきた涙を幸鷹はそっと拭いた。
 確かに姿は違うけれど、同じ魂。同じ瞳。けれど今会いたいのは23歳の愚かな彼だ。
 目の前の幸鷹にもそれはわかっているんだろう。
 じっと花梨を見つめるしか出来ないようだった。

「ぼくはあなたに会いたかった。あなたはぼくに会わないほうがよかったんでしょうか」

 大きな瞳からぽたりぽたりと涙が零れ落ちる。

「ぼくは。
 ぼくはずっとあなたに会いたかった。もっと大きくなってあなたに会いたかった。
 でも大きくなってからあなたに会いに行ったら、あなたは他の誰かを好きになるかもしれない。
 間に合わなかったらどうしよう。あえなかったらどうしよう。
 ぼくはずっと不安でした。
 あなたは他の誰かふさわしいひとを好きになって。
 ぼくはあなたを見ていることしか出来ないかもしれない」
「そんな」
「貴方はぼくがこんな子供でがっかりしたんじゃないですか?
 ぼくだって悔しいです。でも仕方なかったんです。
 ぼくはぼく自身が時空をこえるまで産まれることができなかった」
「幸鷹……くんはいくつなの?」
「ぼくは7歳です。藤原幸鷹が15歳で時空を越えた一年後にぼくは生まれました」

 7歳上の彼が、8歳下か。
 花梨は苦笑いするしかない。

「ぼくはもっと大きくなってから会いに来た方がよかったかもしれない。
 けど。ぼくは。最後にあなたが泣いたまま帰ってしまったから。
 あなたの涙を拭いてあげたかった。それがぼくが死んだ時の願いだったから。
 ぼくは一生懸命あなたを探しました。……間に合ってよかった」

 貴方の優しさは残酷だよ。
 花梨はやはりあの幸鷹の面影を思って泣いてしまう。
 最後まで悔やむくらいなんて……本当に馬鹿だ。
 そんな馬鹿なところが幸鷹らしくてまた泣けてくる。
 じっとちいさな幸鷹は花梨を見つめている。
 一途な瞳は不安げに揺れている。花梨が自分を受け入れてくれるのか不安なのだろう。
 花梨はいったいどうしたらいいのかわからない。
 だってまだ帰ってきたばかりなのだ。
 長い時間を越えてきた幸鷹とは違う。
 ほんの30分前に別れた幸鷹は大人で。
 今出会った幸鷹は子供で。
 でも同じ幸鷹で。
 この小さな幸鷹が23歳の彼になった時自分は30歳を超えている。
 眩暈がする。

「もう会わないほうがいいでしょうか」

 悲しそうに笑う目の前の少年に最後の幸鷹の笑顔が重なった。
 彼も我慢して言ってくれたんだわたしの為に。
 そんな我慢は必要なかったのに。この幸鷹にそれを言ったらおかしいだろうか。

「わたしに会いたいからこうやって生まれ変わって来たんでしょ。
 なら何で諦めちゃうの?それじゃ前と一緒じゃない」

 わたしを諦めないで。
 あの時そう言えば良かったんだ。
 花梨は今更だけれどそれに気付く。

「諦めたくなんかない。けれどぼくはこんな子供で。
 大人になるまであなたに待ってもらわなくちゃいけなくて。
 ぼくが大人になるまであなたに待っていてって言っていいんですか?」
「きみが大人になるまでにわたしは他のひとと恋をしちゃうかもしれないよ」

 いやだ。
 いやだいやだいやだいやだ。
 幸鷹は花梨にしがみ付いて嗚咽する。
 記憶が大人でもまだ心の大きさも柔らかさもまだ子供で。
 23歳の幸鷹と違って上手く気持ちを誤魔化すことができなくて。
 格好悪いと思っても悲しさを堪えることができない。
 悲しみの大きさは同じなのに、あの時の幸鷹は堪えてしまえた。
 綺麗に我慢できてしまった。けれど小さな幸鷹は教えてくれた。
 微笑んでいたけれど、あの時彼も本当は悲しかったのだと。


背景画像:【空色地図】

また超展開ですか。【091015】
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