天上ノ花
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疲労感にぐったりとしていると不意に窓の外から声がした。
「お疲れさん。
やっと終わったか?姫さん。こっちの準備は出来てるぜ」
「……サザキ。
やっと終わったよ〜。なかなか帰ってくれないし、強引だし。
疲れたよー」
「カリガネが甘いやつもぬかりなく準備してるぜ」
「本当?やったー」
サザキにカリガネ、布都彦、柊、遠夜、那岐が皿や茶器を手に入ってきた。
外で話が終わるのを待ちかねていたらしい。
「どういうことだ?」
「だから、俺は嘘はついていませんよ。忍人。
お茶会だと言ったでしょう?」
「忍人さんのお誕生日を祝うお茶会の準備をしていたら、
あの人たちが来ちゃったんです」
「まさに招かれざる客、だね。空気も読めないのかあいつら」
「……那岐」
「本当のことだろ。風早だってそう思ってるくせに」
「まあ、そうですね」
「じゃあいいじゃないか」
「……那岐も風早も正直が過ぎるのではないですか。
我が君。少々時間が押してしまいましたが、始めては如何です?」
「そうだね、柊」
「……けれど主賓が、事態を飲み込めていないようですよ。
風早。貴方は何も忍人に教えていないのですか?」
「ああ、びっくりさせようかな、と思ってね」
「……まあ、それも一興ですね」
「…………だから、何だ」
「忍人殿、姫が先ほど仰っておられたとおりです。
貴方の誕生を祝う会をこれから始めるのですよ」
「……誕生?」
腑に落ちず、固まった俺に、風早が苦笑いして教えてくれた。
「忍人。
確か君は丁度今頃の生まれでは無かったですか?」
「そうだが」
「……忍人さん、わたしが最近まで過ごした世界では、
生まれた日を祝う習慣があるんです。
生まれてきてくれてありがとう。今日まで生きていられて良かったねって。
風早から、忍人さんの生まれた日が近いって聞いたからお祝いしたくて。
公式の行事にすると大袈裟になってしまうし、
こうやってささやかに祝いたかったんでこういう形にしたんです。
今日は狭井君にも許しをもらって無礼講!なんですよ。
忍人さん、楽しんでくださいね」
満面の笑顔の千尋に腕をとられ、気がつけば円卓に座っていた。
酒の飲めない俺の為に、杯には柑橘の汁を水で割ったもの、
そして豆茶が用意されている。
皆思い思いに席に着き、杯を手にする。
サザキが乾杯の音頭をとった。
「ほらほら、忍人あんたが杯を手にしないでどうするんだ。
ほい、持った持った。
……よし、準備はいいな。
では、忍人の誕生を祝って、乾杯!」
杯がぶつかり合う景気のいい音に、乾杯!の声が重なる。
……自分が祝われているという実感の無いまま宴は始まった。
「ほれほれ、ちゃんと食わないと元気が出ないぜ、忍人。
姫さんはずーっとあんたのことばっか気にしていたんだからな」
「……無理に食べる必要はない。けれど少しでも食べてくれればいい」
「カリガネの料理は天下一品!橿原の宮の料理長にだってひけはとらねえぜ」
「もう、サザキったら!
忍人さん、無理はしないでくださいね。楽しんでくれればいいんですから。
あっ、……でもこれおいしい!!これも!!」
久々に無邪気に笑う千尋を見て胸が温かくなった。
周りの皆もほっとしているのがわかる。
俺の誕生日はかこつけて、本当は千尋に元気を出してもらいたいから
こうして集ったのだと気付いた。
千尋が王になれば、こういう気晴らしも難しくなるかもしれない。
けれど皆千尋のことを想っている、気にしている。
こんなに食事をおいしく感じたのは久しぶりだった。
……天鳥船で皆で囲んだ食事を思い出す。
千尋は寂しいのだろう。
その寂しさを少しでも埋めてやりたいとは思う。
王になれば、さらに孤独が待っているのかもしれない。
でも、皆は千尋をひとりにしたりはしないだろう。
皆と共にいれば、千尋はどんな荒波も乗り越えて進むだろう。
背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を向いて。
……俺も出来うる限り君の傍にいよう。
少しでも、僅かにでも君の孤独を埋められるのならそれでいい。
俺に出来るのはきっとそれくらいだから。
傍にいられるうちは傍にいたい。
笑顔で談笑する千尋の横顔を見ながら、そんなことを考えていた。
誰が飲ませたのか、それとも自分で呑んだのか。
千尋はいつのまにかに酒を口にし、酔っていた。
忍人さ〜んとすり寄り甘える千尋に閉口しながら、
千尋を寝室の間へ連れて行こうとした。
完全に出来上がった皆は構わず呑んでいる。
その喧騒に苦笑いしつつ、千尋を歩かせた。
寝室の手前の続きの間で、千尋は長椅子に座り込んだ。
促しても立ち上がらない。
「忍人さんも、座ってください」
「うん?ああ……」
「座ってください」
ぽんぽんと座面を叩き、俺に座れと促す。
仕方なく俺は座った。
「……水でも飲むか」
「いりません。
それよりも…………
忍人さん、お誕生日おめでとうございます」
「……よくわからないが一応礼は言っておく。
……ありがとう」
「わたしは、忍人さんに会えて幸せなんです。
忍人さんが生まれて、こうして隣にいてくれることがわたしの幸せなんです。
生まれてきてくれて、ありがとう」
ぺこんと頭を下げ、きゅっと俺の手を握り、千尋は微笑んだ。
その手の暖かさに心が震えた。
ありがとう、と言ってくれた千尋の言葉が胸に詰まる。
「礼など言われるようなことは……俺は何も出来ていない」
「いいんです」
「剣も、取れない」
「関係ありません」
「……傍にいることも出来ない」
「今、傍にいてくれてるじゃないですか。
わたしは、忍人さんに傍にいてほしいんです。
何をして欲しいとかじゃない。
忍人さんがいてくれるだけで、わたしは幸せなんです。
だから、ずーっと一緒にいてください」
その約束は、出来ない。
俺は千尋の顔を見ることが出来ず、窓の外にいつの間にか上がった月を見上げた。
「不安なんです。
忍人さんがいてくれないと」
「皆がいるだろう。
俺は君にすべてをやった。
……これ以上、何を望む?」
「忍人さんじゃないと駄目なんです。
忍人さんがいいんです」
俺の代わりなどいくらでもいるのに、君は俺を望んでくれるのか。
その期待に添えない俺で……すまない。
傍には長くはいられない。だから……その約束は、出来ない。
けれど残された時間は君と共にいよう。君がそう望んでくれるなら。
君の為に生きてみたいと口にしたあの決意は今も胸の中にある。
君に嘘はつきたくない。
だから言えない。傍にいる、とは。
「……千尋?」
「はい、忍人さん」
「君を、ずっと見ていよう」
「本当ですか?」
「……ああ、本当だ」
たとえ、命の火が消えても心はずっと傍に。
傍に立つことが出来なくても、君を見守ろう。出来うる限り、ずっと。
君を見つめていたいという願いは本当だから。
傍にいられなくても、君が誰と結ばれても。
千尋、君の幸せを心から、願っている。
「……よかった」
ほっとしたように千尋は微笑んだ。
「忍人さん、」
「……千尋?」
「春になったら、一緒に桜、見に行きましょうね」
「ああ。楽しみだな」
反応が帰ってこないことに違和感を感じ、
千尋を見れば。
千尋は安らかな寝息をたてて眠っていた。
規則正しい呼吸、上下する胸、震える睫、……眠ってしまったせいで高い体温が切ない。
君が生きてここにいる。
ただ、それが俺の幸せなのだと知る。
ここで寝かせるわけにはいかないか。
……君をなんとか抱え上げ、寝室に運ぶ。
横たえれば、満足げな顔をして寝返りをうった。
「おやすみ、千尋。
……いい夢を」
生まれてきてくれてありがとう。
出逢ってくれてありがとう。
その存在は例えるならば、天上に咲く花。
地に落ちてくれれば触れられる、そう……わかっていても。
散らせたくはない、天涯に、咲く花。
決してこの手に届かない。