有川譲に10のお題 その10『未来』






「だいぶ大きくなってきましたね」

 愛おし気に譲は望美の膨らんだ腹部を撫でた。
 壁によりかかって座り、望美とその子を大きく包むように抱く。
 譲の腕に包まれ、体を預けきった望美は安堵の微笑みを浮かべている。
 一日の終わりに、過去のこと、今日のこと、未来のことを
 こうして話すことが習慣になったのはいつからだろうか。
 思い浮かんだことを穏やかに話す。
 背中から響く譲の声を聞きながら、感じるぬくもりに今日の幸せをかみしめる。
 明日もこの幸せが続きますように。
 明日以降もずっとこの幸せが続きますように。
 二人で祈りながら一日を終える。
 勿論話している最中に喧嘩になってしまうこともよくあった。
 だいたいが望美が他の男性との話をしてしまった時だ。
 貴方は無防備すぎるだの、もっと警戒しろだの。
 ……結局はただの譲の嫉妬なのだけれど。
 最近はそんな話をしても譲は怒らなくなった。
 それが望美には少し寂しい気もする。

「最近、譲くんあんまり怒らなくなったよね」
「……そうですか?」
「わたしが他の人と会ったり話をしたりしても何にも言わなくなった」
「そんなことは無いと思いますよ?」

 少し怪訝そうな顔になり、譲は腹部を撫でる手を止めた。
 望美の話をじっと聞く体勢をとる。

「それってわたしのことどうでもよくなったってこと?」
「違います」
「じゃあどうして」
「……俺が妬かないと寂しいですか?」
「少し」

 照れるように小さな声で即答した望美に、譲は破顔する。
 笑いを堪えるように譲は望美のうなじに額をあてる。
 くっくっと笑う譲の振動が肩越しに伝わるくすぐったさに望美も笑い出した。

「何で笑うの」
「貴方が可愛いことを言ってくれるから」
「そんなにおかしい?」
「嬉しいです」

 譲に肩を抱きすくめられて、望美はビクっと体をそらす。
 逃がさない、と譲はぐっと引き寄せた。

「俺が妬かなくなったのは。
 貴方の笑顔が幸せのしるしだからですよ」
「幸せのしるし?」
「今貴方がが幸せであるしるしだからです。
 笑顔でいられるのは楽しいから、幸せだからです。
 昔俺は、他の男の前で微笑むのすら嫉妬した。貴方を独占したかった。
 でも今は、違います」
「独占……したくないの?」
「貴方を今こうやって独占してるじゃないですか。
 貴方が俺の腕の中で寛いでいてくれる。俺には充分すぎる幸せですよ。
 でも、そういうことじゃないんです。
 貴方が俺のいない場所でも笑っていてくれること。それは貴方が幸せであるということ。
 貴方にはいつだって笑っていて欲しい。いつだって幸せでいて欲しい。
 そして貴方の笑顔は見る人を幸せにするから。
 ……独占できないなってある日わかったんですよ」
「よくわかんない」
「わからなくていいんですよ」

 譲は望美の耳に唇を当てて、囁いた。

「貴方が笑うのが俺の前で一番回数が多かったらそれで充分なんですよ」
「変なの」
「変ですか」
「うん」

 貴方にわからなくてもいいんですよ。と譲は繰り返し、
 でもわからない貴方にはおしおきをしないといけないなと脇腹をくすぐったので
 望美は身をよじって笑い、また結局すっぽりと譲の腕の中に納まった。
 譲は満足げなため息を漏らしたので、なんとなく悔しくなった望美は
 抱きすくめる譲の腕にあごを乗せてがくがくしてみる。

「望美のあご、尖ってるから痛いんですよ」
「知ってるからやってるの」
「まったく貴方は仕方のない人だな」
「いつものせりふ」

 若干嫌そうな声が譲の口から漏れたので望美はそれでよしとした。
 譲がまた腹部を撫で始めたら、ビクリと動いた。おなかの中の子が動いたのか。
 譲は驚きに目を細めながらつぶやいた。

「早く、生まれておいで。
 君に早く会いたいよ」
「あと少しだよ。男の子かな、女の子かな」
「どっちでもいいですよ。貴方とこの子が俺の幸せであることは間違いないんですから」

 二人で同時に不思議だねと呟き、笑う。

「俺は昔貴方以外のすべてはどうでもいいと思っていました。
 今は違います。貴方とこの子が生きる世界が大切です。
 とても愛おしく思える。美しいとさえ。
 ……俺は何を見てきたのかな、と思いますよ」
「ふーん」
「貴方しか見えてなかったのかな」

 うんうんと頷く譲の顎に望美はごちんと頭をぶつける。

「今は違うの?」
「貴方しか見ていませんよ」

 間髪入れずに応えた譲に望美は照れてうつむいた。
 譲はささやく。
 貴方がいるから俺の世界は美しいんですよ、と。


背景素材:空色地図

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