有川譲に10のお題 その6『縮まらない距離』




『縮まらない距離 重ならない道』





『譲くんって、本当に料理うまいよね』

 いつも貴方はそう言って俺の作ったものを嬉しそうに食べてくれた。
 それは貴方の為だけに作ったものだから。
 貴方の笑顔が見たくて作ったものだから。
 だから貴方が嬉しそうに食べてくれたなら、俺は幸せだった。
 そんな日々ももう、終わる。







「えっと、これは……」
「もう少し、ちゃんと混ぜたほうがいいですね」
「あっ、うん。わかった」

 貴方は神妙な顔で卵を混ぜる。
 貴方は刀をあんなに鮮やかに振るえるのに、包丁を持つ手は危なっかしくて。
 とりあげて俺がやってしまいたい気持ちをこらえ、見守る。
 ……見守る、ということがこんなに大変だなんて知らなかった。
 自分ですべてやってしまったほうがずっと楽なのだから。
 見守る、ということは愛情が無ければ出来ないことだ。
 ただ見ているだけだ、と思っていたあの人の愛の大きさを知り、
 かなわないな、と思う。
 ただ見ているだけ、がどれだけ大変なのか。
 自分がその立場に実際に立たなければわからない。
 ただ見守るのは愛。
 ただ見つめていただけの自分には出来なかったことだ。
 ただ見つめていた。
 貴方が好きで。傍にいたくて。
 傍にいられることに甘えたまま、
 言葉にも態度にもきちんと表すこともできずに、俺の恋は終わっていく。
 時空を渡ってからは、前よりもずっと貴方を守りたくてなりふり構わず動けたから
 ……精一杯貴方の為に頑張れたから、正直悔いはない。
 精一杯俺は、貴方を想った。
 ただ貴方は俺に振り向いてはくれなかった。
 俺が貴方を振り向かせることができなかった。
 ただ、それだけのこと。
 そして俺が貴方にしてあげられるこれが最後のこと。
 貴方は料理がうまくなりたい、と言った。
 他の誰かに教わったらどうか、そう言ったのに。

『わたしは譲くんのごはんが好きだから、譲くんに教わりたいんだ』

 貴方は、そう口にしてくれた。
 貴方のことを一つでも知る喜び。
 貴方を笑顔に出来る喜び。
 貴方は本当に嬉しそうに笑うから。
 俺は貴方の為だけに料理を覚えた。
 どんな手間も苦にならなかった。貴方の笑顔をおもえば。
 だから貴方が俺のごはんが好きだと口に出してくれて嬉しかった。
 俺に料理を教わりたい、と。
 貴方の好きなあの人のために貴方は料理をうまくなりたいと願った。
 ……俺がかつて、そう望んだように。
 その気持ちは理解できるから。
 貴方に今の俺で教えられることは出来うる限り伝えたい。
 今の貴方ならきっと出来るようになるだろう。
 貴方はもともと味覚は悪くないし、手だって不器用なわけじゃない。
 料理という行為に愛着がもてなくて、ただ適当にやってしまうから、
 ……惨劇を起こしてしまっただけだ。
 今の貴方なら、貴方が作ってあげたい相手を喜ばせたいという気持ちがある。
 それがあったなら、貴方はきっとうまくなるだろう。
 俺はそれを食べることは出来ないけれど。

 味付け、火の通し方、具の好み。
 俺の料理は全て貴方仕様にアレンジされている。
 もう、俺は貴方に料理をつくってあげることはそうないだろう。
 だから俺が今の様に料理を作るのは、きっと今だけ。
 貴方も俺から習った料理を、あの人の好みに合わせて変えていく。
 だからこの味は今だけのもの。
 そう、思うと少し切ない。
 これからは俺も、自分の好みと癖で料理を作ることになる。
 いつか、貴方のように誰かを喜ばせたくて料理を作る日は来るんだろうか。
 そんな誰かに出会うことは、あるんだろうか。
 そんなことをぼんやり考えていたら、貴方は不思議そうな顔で俺を覗き込んだ。

「譲くん?」
「ああ、いや考え事をしてしまっただけですよ」
「疲れた?」
「いや、そんなことはないですが」
「そう?
 でも譲くんって本当に料理うまいよね。尊敬しちゃうよ」
「……そうですか?」
「いつも本当においしいごはんありがとう。
 譲くんのお陰で頑張れたよ」
「……そういって貰えると、頑張ったかいがありますね」
「譲くんのごはんが楽しみだったなー。
 あんなごはん毎日食べられたらいいのに」

 貴方の為なら毎日だって作りたかった。
 作れば貴方は傍にいてくれますか?
 その言葉をうまく茶化して言える自信が無くて。
 俺はその言葉を飲み込んで、心の底に沈めようとした。……深い深い底に。
 永久に口に出来ない想いは何処へ行くんだろう。
 もう、口にすることは出来ない、行き場のない想い。
 そう思うだけで苦しくなり視界が暗くなったような気さえした。
 ……思いの欠片だけでも貴方に伝えてもいいだろうか。
 貴方が困らない程度に、俺の思いを小さな欠片にして。
 思いの全てを伝えるには、もう全てが遅いから。

「……俺も貴方に毎日ごはん作ってあげたかったですよ」
「えっ!?」
「……だって貴方以上に、俺のごはんを喜んで食べてくれる人はいませんから。
 俺は貴方に作ってあげるのが好きでしたよ」
「そう?」
「誰かの喜ぶ顔を見ているだけで幸せになりませんか?」
「わかる!!」
「だから先輩は、きっと俺より料理がうまくなりますよ」
「そうかな?そんなことはないと思うよ?」
「誰かのために作ると料理ってうまくなりますから。
 俺にはそういう相手はいませんから」
「……そういうものなの?」
「そうだと俺は思ってますよ」
「そっかー」

 微笑む貴方の脳裏にはきっとあの人の笑顔が浮かんだだろう。
 俺が思い浮かべるのはいつも貴方の笑顔だった。
 俺の目の前にいる貴方は確かに微笑んでいるのに。
 その微笑みは、ここにはいない誰かのものだ。
 ……でも、今目にしているのは俺だ。
 俺だけが知る、現在の貴方の笑顔。
 今だけは、その笑顔は俺のものであると言わせて。
 ……それ以上は望まないから。

「でも譲くんのごはんはみんなを幸せにしてたよ?」
「そうですか?」
「いつか」
「……?」
「いつか出逢う譲くんの大切な人は幸せだね」
「…………そうですか?」
「譲くんのごはんがあればいつだって幸せだもの」

 貴方は何も知らずに微笑むから。俺も笑った。
 俺は貴方を幸せにしたかった。
 料理だけじゃない。俺の持てる全てで。
 幸せにしたかったのは貴方なんだ。
 でも貴方はあの人と行くことを選んだ。
 俺と貴方の道はもうすぐ別れ、貴方はあの人と人生の路を行く。
 俺は貴方と別れたその先で、貴方のように大切だと思える誰かに
 いつかは出会うことが出来るんだろうか。
 今度こそ、その誰かと一緒に歩むことは出来るんだろうか。
 その誰かは今度こそ、俺を選んでくれるんだろうか。
 俺は誰かを愛することは出来る気がする。
 でも、俺は愛される自信がない。……こんな俺を誰かが愛してくれるんだろうか。
 そんな日は来るんだろうか。
 今は、まだ俺は貴方の力になれる。
 でも、きっとこれが最後。
 別れた道は、もうきっと二度と交わることは無い。
 貴方の背中をずっと追いかけてきた。
 貴方と、……兄さんの背中を。

 兄さんも、貴方も、もう俺の目の前にはいない。

 もう路は別れてしまったのだから。
 三人で歩いた路は終わり。これからはそれぞれの路を行く。
 でも本当は俺は貴方と行きたかった。
 でももうこの路の先はない。行き止まりだ。
 俺に出来ることはあの人と旅立つ貴方を見送ることだけ。
 せめて精一杯の笑顔で見送ろう。
 貴方には幸せでいて欲しい。それは本当のことだから。
 ……見送った後、しばらく立ち上がることが出来ないかもしれないな。
 ずっと貴方を想ってきたのだから。
 でも、いつかかから俺の心の中には諦めがあった。
 貴方をどこかで諦めていた。どうやって諦めたらいいか模索し続けてきた。
 貴方は俺のものにはならないと、わかっていた。
 わかっていても、失った痛みだけはどうしようもないな。
 貴方に気づかれないように小さな溜息をひとつ零し、
 料理に奮闘する貴方の横で、俺は片づけを始めた。


背景素材:ミントBlue

お気に召していただけたらぽちっとして頂けると幸いです