有川譲に10のお題 その2『おさななじみ』






 七月後半とはいえ、午前中はまだうだるような暑さ、という程ではない。
 譲はテキストを見ながら電車を待っていた。
 中三の、夏。
 キリキリ勉強をしなければならないほど、成績は悪くは無い。
 先生には推薦もよりどりみどりだぞ、なんて笑われる始末。
 兄とは違う生き方を模索した結果だとは言え、努力が認められるのは正直嬉しい。
 ただし、将臣はたいして勉強もせずに成績をそこそこキープできているのが、
 頭にくるところだ。
 学年何位、と言われても努力しているから、であって、
 好きなことをふらふらやりながら、『いい感じ』に生きている兄と
 比べられ続けているのも限界が近かった。
 首位をとってついたガリ勉のようなイメージも、
 いやいや入った生徒会での成果を評価されてついた品行方正なイメージも、
 正直にいえばどこか野暮ったい。
 ワイルドで、でも人望が厚かった兄。
 同級生の中にも将臣に憧れるものは多かった。男子も、女子も。

 プシュっという音と共に扉が閉まる。
 開いている席に座らず、ぼんやりと流れる車窓を眺める。
 外は夏まっさかりという色彩に溢れ、まぶしかった。
 今日は望美と将臣はプールに行くとか言っていただろうか。
 夏期講習に行く自分と、プールに行くふたり。
 ふたりは去年受験生だったのだから、別に不公平でもないけれど、
 少し悔しい。
 週末にある花火大会には一緒に行こうねと望美は言っていたが、
 正直講習があるからと断ろうかと思っていた。
 将臣はバイトを始めたようだけれど、きっちりしている兄のことだ。
 きっとしっかり休みはとっているのだろう。多分。
 ……確認はしていないが。
 今年も望美は浴衣を着るのだろうか。
 確か、新調したとか言っていた気がする。
 高校に通い始めてふたりはぐっと大人っぽくなった。
 二人で歩くとお似合い、というような感想をよく聞くようになった。
 三人で遊ぶときも何だか気が引けて、半歩後ろを歩いていると、
 普通にまわりがふたりをカップルの扱いをする。
 カップルについてきてしまった邪魔者の弟。
 自分の立ち位置がそこにあるような気がしてやっぱり並んで歩けない。
 でも、譲は半歩後ろから見る望美が好きだった。
 視線を気にしないで眺められるというのもあるし、
 意識しすぎなくていい気楽さもある。
 半歩後ろから眺めると、綺麗な形の耳が見えて、
 流れる長い美しい髪、時々髪をかき上げる時に見える白いうなじ、
 そして『譲くん?』と振り返りながら自分を見てくれる時の笑顔が好きだった。
 それは将臣のためのものではないから。
 時々、そうやって笑顔を独占したくて、半歩後ろを歩いてしまう。
 望美は不思議そうな顔をするけれど。

『ただ単に、度胸がないだけなんだよな』

 コツンとガラスに額をよせて、下がっていもいない眼鏡のブリッジを上げる。
 たまたま近所でかちあって望美と二人で歩くとき、
 情けないほど緊張してしまう。
 意識しすぎだとわかっているけど、慣れない。
 声が上ずってしまったりとか、本当に格好悪くて、
 幸せと一緒に自己嫌悪がやってくる。
 何で幸せに浸れないんだろうか、楽しめないんだろうか。
 頭を抱えるけれど、ただ単に慣れていないのだ。
 もしも、花火に将臣がいけなくなったら、二人で行くことになる。
 ……それは嬉しいことだけれど、無事に帰ってこれるんだろうか。
 自信が無い自分がうらめしかった。

 ドアが開いて譲は電車を降りた。
 改札をでて、歩き出そうとしたところで、声をかけられた。

「有川君!!」

 ……譲は誰だったか思い出そうとして、少し眉をしかめた。
 隣のクラスの女子だったことを思い出す。
 確か、同じ塾で夏期講習を受けていた。
 面倒だなと思いつつ、一緒に歩き出す。
 目的地に着くまであと5分。
 女の子と一緒に歩くなら、そんなに早足でいくわけにもいかない。
 『どのクラスとってるの?』だの、『誰が何処でどうしたの』だの
 とりとめもない会話にそこそこに付き合う。
 失礼にならない程度に。
 気が付いたら、帰りも一緒に帰っていい?などと言われ、
 ハッキリ返事をする間もなく、彼女は彼女の教室に入っていってしまった。
 一瞬途方にくれたけれど、チャイムが鳴ったので、
 自分も教室に入った。

 昼食時に同級生にからかわれる。
 『一緒にきたの誰』とか『つきあってるのか』とか。
 たまたま駅で一緒になっただけだと一蹴して、
 本を読むふりをする。
 考えるのは配られたプリントのこと。
 志望校を記入する紙。
 何度となく書かされた紙を見つめる。
 なんとなく、で何度も記入してきた。
 自分の気持ちを素直に書いたことも、うそを並べたこともある。
 成績がそんなに悪くなかったからそんなに色々言われることも無かった。
 考えているのはふたりと同じ高校を選ぶか、それとも他の高校に行くのかということ。
 他の高校に行くなら近場か、それとも遠くか。
 遙か遠くの学校に言って、望美を忘れられるならそれもいいと思った。
 なんとなく、勝ち目はないような気がしていたから。
 あまりにもふたりが自然だから。
 将臣が望美をどう思っているのかもわかっている。
 望美の気持ちが何処にあるのか。
 それが知りたいような、知りたくないような。
 誰もがはっきりさせないままきてしまった。
 それでいいような気がしていたのは、去年くらいまでだろうか。
 三人を三人として周りに見てもらえなくなってから。
 二人と一人。
 劣等感を感じすぎなのかもしれないと思うけれど、
 それは仕方のないことだった。

 チャイムがなり、午後の講義を受ける。
 講義が終わった後、出口に彼女が待っていた。
 顔には出さないが正直気まずい。
 ポーカーフェイスばかりが上手くなる自分を自嘲する。
 心持歩みを速めながら、駅へと向かう。
 電車を待ちながら話題が週末の花火大会の話題になった。
 『楽しみだね』とか『誰と行くの?』だとか。
 適当に相槌をうっていたら、電車が来て、乗り込む。
 と、聞き覚えのある声がした。
 望美と将臣だ。

「あれ〜?譲くん、今帰り?」
「……、はい。先輩」
「受験生は勉強しろ〜。俺らは去年頑張ったんだから死ぬほど遊ぶけどな」
「兄さんは余計なことうるさいんだよ」

 きょとんとした顔で望美が譲のとなりの少女に気付く。

「ああ、同級生です。塾で一緒だったので」
「そっかあ」
「譲も隅に置けねーなぁ」
「そんなんじゃない」

 なごやかに話す一同を見回すようにして彼女は言った。

「あの、春日先輩と有川先輩って付き合ってるんですよね?」

 譲は一瞬息が止まった。
 望美は目を丸くする。
 沈黙を破って将臣が笑い出した。

「そう見えんのか」

 違うんですか、と食い下がる彼女に将臣はやんわりと釘を刺す。
 ちらりと譲を視界に入れながら。

「よく言われるけど、違うんだよな。
 付き合ってはいねーんだよ。腐れ縁かな」

 な、望美と将臣は笑う。

「……おさななじみってことですか」
「まあ、そんなとこだ」
「この歳までおさななじみって変じゃないんですか?」
「そうか?」
「なんだかずるいです」

 彼女は望美を見る。
 望美はよくわからないという顔をしていた。
 望美を悪く言われるのだけは譲には赦せない。

「……俺たちがそれでいいんだから、君に色々言われる筋合いはない」

 思わずきっぱりと言い切ってしまった譲をあちゃーと将臣は見たが、
 譲は気にも止めなかった。
 期待を持たせるほうが残酷だと譲は知っていたから。
 丁度彼女の降りる駅になり、うつむきながら彼女は降りていった。
 また明日とも言えずに。
 若干気まずい空気になったが、将臣は気も留めずに言った。

「譲、お前どこ受けるんだよ」

 譲は望美の前でその話題は、と将臣を睨んだ。

「東北の全寮制の高校とか考えてるよ」
「そんな遠くに行っちゃうの?」
「俺のやりたいことを考えると、そういうのもありかなって思うんです」
「いいのかよ」
「……何がだよ。俺のやりたいことなんだから、いいだろ」

 譲は将臣を睨んだまま、吐き捨てるように言った。
 望美が寂しそうに笑う。

「寂しくなっちゃうね。
 みんなで一緒の高校、行きたかったな〜。
 また三人で通いたかったな」
「そう、……なんですか」
「うん。また中学のときみたいに、三人一緒がいいよ」
「そうだな」

 あっさりと結論付けた将臣に譲は驚く。
 それが本心に近い響きを持って言われた言葉だったから。
 てっきり邪魔だから他所へ行けと言われるかと思ったのに。
 ……むしろそういってくれたほうが諦められるのに、この兄は。
 二人して残酷だと譲は思う。
 三人がいやなわけじゃない、それは譲も同じだった。
 ただ、三人でいるのが昔より少し辛いだけ。
 でもいつかは三人ではいられなくなる日が来るのだ。
 どんな形でも。
 だったらいられるうちは三人でいてもいいのかもしれない、そう思った矢先。

「じゃあ、譲同じ高校受けんのか。
 まさに鶴の一声ってやつ、だな」

 ニヤっと笑う将臣に、仕方ないなとため息をついて。
 駅からの帰り道、夕暮れの中、
 子供の頃みたいに三人で手を繋いで歩いた。

「花火大会は今年も三人でいこうね!」

 そう笑った望美の無邪気な笑顔に、出来るだけ応えようと思いながら。


背景素材:空色地図

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