A good medicine tastes bittersweet.






「だから俺は別に本番に強いわけじゃないんです」

 貴方や兄さんほどには。
 そう言いかけた言葉を飲み込んだ。
 貴方は不満げにぽすりと羽根布団にほほを乗せた。
 インフルエンザじゃなかったのは不幸中の幸いだろう。
 もしそうなら貴方の看病だなんて受けられなかった。
 でも大事をとって……というよりも未来の看護師に大事をとらされて
 こうしてベットに押し込められている。
 こんな状況でなければ押し倒すのは俺のほうだったのに。
 折角のバレンタインデー。
 貴方のバイトは今日休み。こうして貴方と二人きりなのに。
 どうしてこんな風に熱と咳と鼻水に悩まされなければいけないんだろう。
 情けない気持ちで俺はティッシュを鼻に当てる。

「でも弓道の試合は強かったじゃない」
「的は動かないし、距離も遠くもないし、
 それに相手が向かってくるわけじゃありませんから集中できるでしょう?」
「そんなものなの?」
「そういうものです。
 悠長に試合みたいに構えてなんていられる状況じゃなかったでしょう?」

 あの頃は。
 二人の記憶の中の風景は同じようでいて少し違う。
 貴方の記憶の方が辛いことが多い。
 同じ場所にいて、同じ風景を見られなかった事は歯がゆいけれど、
 同じものなんて見る事は出来ない。
 一緒にいる時間が長くなれば長くなるほどそれは身に染みてわかってきた。
 でも貴方の見ているものが俺にも見えたらいいのに。
 そう願ってみても。
 今貴方が見ているのが俺で、俺が見つめているのが貴方。
 お互いの視点にお互いを閉じ込められるこの幸せな状況で、
 それ以上のことを望んだらきっとバチがあたるだろう。
 同じ時を過ごして、違った思い出が残るのなら。
 後でその違いを話して笑い合えばいい。

「折角のバレンタインなのにケーキも焼けずにすみません」
「いいよ、別に。気にしなくて」
「そうですか?」
「こうやって看病するの何か新鮮で楽しい」

 貴方は笑って、俺の赤くなった鼻を小突く。
 普段の体調なら反撃に出れるのに。
 熱でふらふらな自分が情けなくなったけれど、たまにはこういうのもいいな、と思う。

「……実習じゃないんですから」
「実習じゃこんなに甲斐甲斐しくお世話なんかする余裕ありませんー」
「そんなに優しくしてたら、俺が患者さんに妬きますよ」
「あはは。
 妬かれるほど優しいナースになれるかなあ」
「なれますよ。貴方なら」
「そうかな?
 『春日怖い』とか言われるよ?」
「そうなんですか?」
「『何か血に慣れてる』とか『度胸がある』とか。
 うん、まあそうだよね。
 結構修羅場?潜ってきたんだし」
「……そうですね」
「譲くんが試合に強いのも、まあ……そんな理由?」
「そんなところです。
 でも結局本番に弱いんですよね。
 明日の試験は、……まあ、無理でしょうね。
 今日の登校日も行けなかったし。まあ、それはいいんですけど」
「チョコレート握り締めた後輩が追いかけてくるから?」
「……断るの、気疲れするんです。
 俺には、貴方がいれば他に何もいらないのに」

 俺が少し真剣に貴方の顔を見ると、
 貴方は一瞬きょとんとして、笑顔になり……、
 照れ隠しなのか神妙な顔を作って俺の額に手を当てた。

「……譲くん、熱ある?」
「ありますよ。
 だからこうして寝かされているんじゃないですか」
「熱のせいだよね」
「そう思いたかったらそう思ってくれてもかまいません」

 熱で浮かれていなくても同じことは言ったとは思う。
 けれど、貴方は熱のせいにしたいらしい。

「譲くん、ココア飲める?」
「まあ、ココアくらいなら」

 じゃ、入れてくる!
 貴方はがばりと立ち上がると、たたたと階段を下りていった。
 俺は何だか落ち着かなくなって、手元にあった参考書をめくってみた。
 見慣れた言葉が、頭に入ることなくふわりふわりとかすめていくのを
 感じながら見ることも止められないのは、
 明日受けてみたかった試験への未練なんだろうか。
 センター試験はなんとなく手ごたえを感じていた。
 結果がわかるのは今週末。それまでには体調を整えていたい。
 あといくつか願書は一応出してあるけれど、なんとなくピンとこないまま
 今日まで来てしまった。
 俺の未来は何処へ通じているんだろう。
 開いたページをぼんやりと見つめていると、
 たんたんたんと階段を上がる音が聴こえて俺は参考書を戻すと布団に潜った。

「あっ、起きてたでしょ」

 さすが未来のプロだ。
 何でもお見通しなんだろうか。俺は何故か冷や汗をかく。

「どうしてわかったんですか」
「さっきは仰向けで寝てたのに、体勢が変わってるし、
 この参考書、さっきと置き方が違う」
「……良く、見てますね」
「まあね。
 じゃ、これ羽織って。
 ココア入れてきたから一緒に飲もう」

 貴方は椅子にかけてあったフリースを俺に渡す。
 俺が神妙にそれに腕を通すと貴方は満足げに頷いてココアのカップを渡してくれた。
 いつかのクリスマスに貰ったお揃いのカップ。
 ちゃんとそれを選んで入れてくれたことにじわっと嬉しさがこみ上げる。

「元気な時だったら、生クリームでデコレーションとかしたかったけど。
 今年のバレンタインのチョコレート受け取って下さい」
「ありがとうございます」
「あっ、お返しはホワイトデーの時によろしくね。
 譲くんのケーキ楽しみにしてるから!」
「はいはい」
「じゃ、冷めないうちに」
「……貴方は火傷に気をつけてください」

 飲みなれている筈なのに。
 口に含んだそれは、いつもよりもほろ苦く感じた。
 熱で味覚が変わっているせいなのか。何だか薬みたいだな。

「味、変?おいしくない?」
「そんなことないです。美味しいですよ」
「なら、良かった」
「でも何だか薬みたいだなって思ったんです」
「別に何も薬とか入れてないよ!?」
「そう言われると入れたみたいじゃないですか!!」
「入れてない入れてない」

 貴方はぶんぶんと顔を振る。
 料理が得意とは言えない貴方をこれ以上いじめるつもりはない。
 ただ、単なるココアじゃなくて、もっと効きめがありそうな何かだと
 そういう風に感じていただけだ。

「そういうことが言いたいんじゃなくて、
 飲むと元気になれそうですって言いたかったんですよ」
「そう?
 でもそうだよ。
 譲くんの風邪が良くなりますようにって気持ちは込めたもん。
 ……インスタントのココアだけど」
「元気になれない筈ないですよ。
 こうして専属のナースが看病してくれているんですから」
「まだ卵だけどね」

 貴方は照れて笑うと、俺のカップにこつんとカップを当て、ココアを飲み干した。


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