Be My Valentine
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あちらから帰ってきてもう一年以上経つんだな。
あれから色んなことがあったけれど、今も貴方と俺は一緒にいる。
少し慣れたような気もするけれど、片思いをしてきた時間はやっぱり長くて。
その頃の気分を思い出すたび、今貴方と一緒にいられることが奇跡みたいに思える。
そんな風に口に出せば、同級生は首を傾げるし、親は大袈裟だと笑うだろう。
俺と貴方がどんな運命を乗り越えたか、誰も知ることは無い。
それは俺と貴方だけが知る『奇跡』なのだから。
いつものように、俺の部屋で勉強したい、と貴方がやって来たのは、
夕食後のことだった。
眉間に皺を寄せて、口をへの字型に曲げて。
決して何事も諦めない貴方がこんなに弱っているのを俺はあまり見たことがない。
受験シーズンが始まって。貴方の笑顔が減った気がする。無理も無い。
貴方はクッションの上にぺたり、と座り込むと、
サイドテーブルにごちん、と額をぶつけた。
……いい音がしたから、痛かったんじゃないだろうか。
ううう、と唸るような声がする。
「……結果もわかってないのに、また試験受けるとかさ。
ほんと、キツいよ」
テーブルに突っ伏した貴方の頭をぽんぽん、と撫でる。
俺には貴方の辛さがまだ、わからない。
高校受験とは違うプレッシャーがあるのだろうというのは想像がつく。
これで将来がある程度決まってしまうのだから。
貴方の辛さを少しでも軽くしてあげたいと思っても、
受験ばかりは本人が頑張るしかない。
俺に出来るのは、貴方を励ますこと、くらいだ。
来年の俺はこの時期どうなっているんだろう。
考えようとして、止した。俺まで暗くなってどうする、と思い直して。
「受かってるとか、落ちてるとか。
わかってたらもうちょっと集中できたような気がするのに」
「…………」
「愚痴言っちゃって、ごめんね。
あんまりいいたくないんだけど。譲くんぐらいにしか言えないし」
「俺は、いいんですよ。
むしろ何も他にできなくてすみません」
「そんなことないよ。一生懸命教えてくれたもん。
むしろそれが無駄になっちゃったら悪いよ」
「…………」
貴方は突っ伏したままぼそぼそと話す。
俺に話を聞いて欲しいけれど、顔は見せたくない。
そんなところだろうか。
貴方が弱音を吐くことがあんまり好きじゃないのは知っている。
数学とかできないよーとか思い込みでよく口にすることもあったけれど、
それは別に弱音でもなんでもなく、ただの愚痴みたいなものだ。
貴方が受けた一校目の試験の合格発表の日が、二校目の本命の試験の日の次の日で。
つまり一校目の合否がわからないまま受けることになり、
集中出来なかった、ということだ。
運がないといえばそうかもしれない。
でもこればかりは仕方のないことだ。冷たいかもしれないけれど、そう言う外無い。
そして、受けた一校目は残念な結果だった。
貴方は結局看護関係に進路を決めて、受験に必要だから、と
真剣に数学を勉強し始めたのは三年になってから。
わからないわからないと言いながら、必要なことだからと
貴方は精一杯頑張ってきたのを俺は知っている。
一から数学を勉強したいと言った貴方に俺は厳しく教えたつもりだ。
でも、だめだったのかもしれない。
しゅんとした貴方に俺はどう言葉をかけていいのかわからなかった。
本命の二校目の合格発表は2月15日。
バレンタインの次の日。
……今年はどうしたらいいんだろう。
貴方に何か用意させるのも気が引けるけれど、
貴方の息抜きに何か出来たらいいとも思う。
少しでも受験の空気を忘れることが出来たら。
……でも、本命の発表は次の日だ。
「……バレンタイン、どうしよっか」
「……いいんですよ、気にしなくて。それより何かケーキのリクエスト、ありますか?」
貴方はつっぷしたまま、首を振る。
「思いつかない」
「……ですよね」
「何かおいしいの作って貰っても、味わからないかも。
だって合格発表、次の日なんだもん」
「……そうですよね」
俺だって気が気じゃない。
貴方が本命に落ちたらどうなってしまうのか、想像もつかない。
どうやって慰めたらいいとか、あと数校残ってるんだからと叱咤激励できるんだろうか、とか。
一応考えては見ても、どうしていいのかはわからなかった。
「でもさ」
貴方がちょっと横を向いたので、わずかに貴方の顔が見えた。
額に張り付いた髪をそっと払えば、貴方はちょっと笑ってくれた。
「今年のバレンタインは、明後日だけ、なんだよね。
何もしないのも勿体無いかな」
「……俺は、出来れば貴方にちょっとでも楽しんで貰いたい、とは思うんですが。
色々用意させたりとか、……貴方の邪魔はしたくないとも思うし」
「優しいね」
「……そんなこと、ないですよ」
本当に優しいなら、泣きはらしたその目がちょっと色っぽいなんて思わないはずだ。
こうして貴方が来て、言っているのが愚痴でも弱音でも。
それを受け止められるのは今は俺だけ、なんて状況に酔ったりもしない。
むくり、と起き上がった貴方が俺の胸に顔を埋めた。
ちょっと、こうしていて。
小声で言った貴方の声が体を伝って直に聞こえた。
俺は理性を振り絞る。貴方が今必要としてるのは優しい俺、だろうから。
……震える肩を軽く抱く。
抱きしめたい、と思った。けれど抱きしめたりしたら、俺の理性が持たない。
こんなことを考える俺はやっぱり優しくなんかないな。
貴方に聞こえないようにちいさくため息をつく。
結局俺に出来るのはこれくらいしかないし、貴方は結局貴方自身の力で戦える人だ。
今少し休みたい貴方に、せめて寛げる安心できる場所を作りたい。
俺にはそれくらいしか出来ないだろう。
……15日合格していますように。
お互いの鞄の中にはお揃いのお守りが入っている。
一緒に行った八幡様の初詣で買った。
どうか合格していますように。そのお守りを思い浮かべて俺は強く祈るしかなかった。