いつかかえるところ
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晩ごはんを食べて、それぞれに夜の時間を過ごす。
かつて皆で集まったラウンジで過ごした時間のようにゆったりと流れていく。
わたしの入れたお茶を皆は喜んで飲んでくれていた。
わたしも皆に喜んで欲しくて、皆の好みを把握していくのが楽しみだった。
ゆっくりとお茶を飲み、宿題をしたり、つくろいものをしたりしながら、
その日の出来事を語り合う。
かつてはルノーもわたしもそれぞれの部屋で夜は過ごしていたけれど、
今はラウンジに集まったように、台所のテーブルで過ごす時間が増えた。
ユージィンは記憶を失っているのに、もともと頭が悪くないからか、
わたしたちの勉強をみてくれるようになっていた。
夜もふけて、お互い少し名残惜しむようにおやすみと言い合って、
それぞれの部屋に戻りベッドに入ろうとしてベッドサイドに封筒があるのを見つけた。
『もしよろしければ 月が昇る頃に』
名前は無い。
でもこの字は覚えがある。ユージィンだ。
どうしたんだろう。
わたしは落ち着かなくなりとりあえず、ランプの火を消す。
炎が消えた途端、月の光が窓から差し込んだ。
窓から見上げる月はとても綺麗で、窓越しでは少し勿体無かった。
じっと月が昇るのを待つ。
寝巻きにショールを簡単に羽織ると、そーっとドアを開けて部屋を出た。
皆はもう眠りの中なのか家の中はしんとしている。
音を立てないようにそろそろと歩き、玄関から外に出た。
月がこんなに明るくなければもっと星も見えていたんだろう。
そこに確かにある筈なのに見えないもの。
心に溜まるもやもやがもう少しで晴れそうな気がするのに、まだ何かが足りない。
もう少し月が良く見える場所まで歩きたいな。
そう思って振り返ればユージィンが立っていた。
「!!」
「……テレサ。手紙を読んでくれたのですね。ありがとうございます」
「うん」
貴方から手紙を貰うのは初めてじゃない。
だから懐かしくて嬉しかった。けれどこれはユージィン本人には言えない。
「どうしたの?」
「テレサと少し話がしたかったのです」
「わたしと?」
「……ええ」
騎士団にいた頃の誰何するようなあの鋭い眼差しではなく、
ユージィンは何処までも優しい。
少し歩きましょうか。
そういうとユージィンは歩き出した。
それを見つめて少し遅れたわたしにユージィンは振り返り、待っていてくれた。
月を背にしたユージィンの表情は見えない。
綺麗過ぎる月がまるでユージィンを攫ってしまうような気がして、
わたしは息を飲む。
月光騎士団。
かつて彼が指揮していた部隊。
確かにユージィンは月が似合うな、と思う。
「ユージィン。
手、繋いでもいい?」
捕まえていないと消えてしまうような気がして。
必死の想いでそう口にしたわたしにユージィンは微笑み、いいですよ、
と手を繋いでくれた。
そっと繋いでくれた手は優しく、暖かい。
二人で黙って歩いているのに、沈黙が気にならない。
繋いだ手から気持ちが通い合うような気がして、気持ちが落ち着く。
それは錯覚なのかもしれない。わたしの勘違いなのかもしれない。
でもふたりの間を漂うこの安らかな空気を今は信じたかった。
ユージィンは月が良く見える場所を見つけたのかそこで立ち止まり、
ゆっくりと腰を下ろした。
少し離れてわたしも座ると、ユージィンはそれでは寒くありませんか?と言うので
ユージィンにぴったりとついて座った。
「貴方は暖かいですね」
「そ、そう?」
いきなりそんなことを言われてドキドキしてユージィンの顔を見られない。
「ええ、初めて会ったその時から貴方は暖かかった。
何もかも失った私の傍にずっとついていてくれた。
帰ってきた貴方とルノーの故郷も暖かいです」
「ユージィンは今の生活はどう?何か不安なこととかあるの?」
「ルノーと貴方との暮らしはとても穏やかで、満ち足りていますよ。
ルノーのお母さんもこんな私を受け入れてくれて感謝しています」
「うん、そうだよね」
「ええ……」
ユージィンはそこで言葉を切り、月を見上げた。
「貴方は私に何か言いたいことがあるのではないですか?」
「……うん。
ユージィンこそ、わたしに何かいいたいことがあるんじゃない?」
「……ええ、私も貴方に聞いてみたいことがあります。
私は人を殺めたことがあるのですか?」
躊躇うことなく一息でその言葉を口にしたユージィンは
いつの間に月ではなくわたしをじっと見つめていた。
そんなことあるわけないと笑って誤魔化すこともできたけれど、
それはユージィンを傷つけるだろう。
「どうしてそんなことを思ったの?」
「昨夜、自衛団の皆と見回りをしていた時、泥棒を見かけたのです。
酒に酔い、ほんの出来心で行ったたわいのないものでした。
ただ、それを取り押さえた自分の動きにあまりにも迷いが無く、
自分で思っていた以上に隙無く動けたことに私自身戸惑いました。
もし暴れたのなら、ここを切れば制圧できるとすら考えていたのです。
そんな自分に恐ろしくなり、懺悔をしたく礼拝堂を訪れましたが、
どう告白をすればいいかも思いつかないまま時間だけが過ぎてしまい、
……ルノーにも何も言い出せなかった。
でも、貴方になら話せると思ったのです。
そして貴方なら……きっと話してくれるだろうと」
ユージィンは本当は優しい人だ。
記憶が戻れば、きっと精神の均衡を崩してしまうだろう。
新しくもう一度生まれ直せたのなら、それでいい。
きっとその方がいい。
ユージィンに再会したとき感じたあの気持ちが鮮やかに蘇ってきた。
立膝を突き、ショールごとユージィンを包む。
ユージィンは今わたしを信じてくれている。それだけは確かだ。
「ユージィン。
確かに貴方は人を傷つけたこともある。
でも今の貴方はそんなことを考えもつかない、そうでしょう?」
「……そうでしょうか。
確かに人を傷つけるのは恐ろしいことです。
でもテレサ、貴方やルノーに何かあったら私は何をするかわからない。
そういう冷酷な私も心の何処かに確かに存在するのです。
私はそれが恐ろしい」
「ユージィンは優しいね」
「私が、優しい?」
「うん。
命を失いそうになってもユージィンはわたしとの約束を守ってくれたでしょう?」
「約束?」
「うん、必ずわたしの所に帰ってきてって、そう約束したの。
ユージィンはぼろぼろになってもその約束を果たしてくれた。
貴方はそうやって他人の為に自分を犠牲に出来る人なの。
わたしはそんな貴方が好きで、嫌いだった。
ユージィンは大切な誰かの為に生きているくせに、自分のことを大切にしない。
自分の為に生きてくれない。
だから新しく生まれ変わったのなら、今度は自分の為に生きて欲しい。
もっとわがままになっていいんだよ」
「そう、ですか……」
「ひとの為に自分を犠牲にしてボロボロになっていくユージィンを、
わたしはもう見たくないよ」
わたしは自分の不安に気付いた。
今こうして傍にいて笑ってくれているユージィンがまた生活を円滑にするために、
自分を犠牲にしているんじゃないかと。
一緒にいるのに、本当はちっとも寛げていないんじゃないかと。
「……ユージィン。
本当に今の家にいて落ち着ける?」
「何故、そんなことを聞くのです。
貴方とルノーの傍は本当に心安らげる場所ですよ」
「本当に?」
「……私が嘘をついていると思うのですか?
私は貴方とルノーには嘘をつくことはありえません。
私は貴方こそ無理をしているような気がします」
「……え?」
ユージィンはわたしの胸元にぴったりと寄せていた顔を不意に背けた。
「どうしてなのかと思っていましたが、
先ほどの貴方の言葉で確信を持ちました。
貴方は『わたしのところへ戻ってくると約束した』と言った。
貴方と私の関係は、その……ただの家族的な何かや、友情で結ばれた何かでは
なかったのですね」
「…………」
「記憶を失った私は貴方を傷つけていたのではないですか?」
「そんなことない」
「では、貴方はどうしてそんな顔をしているんです」
「……そんなたいそうな関係じゃ無かったよ。
ただ気持ちが通じ合っただけ。それ以上の何かなんてなかった。
出逢ってから今までそんなに長い時間じゃなかったから。
でも最後にわたしのところへ戻ってきてって約束した。
ユージィンは必ず戻るって言ってくれた。
……酷いよね。
戻ってこなかったら許さないとか、怒ることでずっと自分を支えていたんだ。
ユージィンが命懸けで助けてくれたルノーが生死の境を彷徨って、
なんとか回復してくれてようやく貴方を探す旅に出られた」
「……でも、出逢った私は全てを忘れていた」
ユージィンが苦しそうに眉根を寄せる。
わたしは、ユージィンの髪を撫でた。
「ユージィンは信じるものの為に、炎の中に戻ったの。
わたしには止めることは出来なかった。
それはユージィンに生きるなっていうのと同じことだったから」
「信じるものの為に」
「だからきっとそれをユージィンはきっと護りきったの。
それでも最後の力を振り絞って生きていてくれたの。
わたしはそれが嬉しかった。
だから約束を貴方が果たしてくれたんだよ。
わたしはユージィンが今ここにこうして生きていてくれて嬉しい」
「…………私はここにいて、良いのですね」
ぽつりと零したのはきっと言えなかったユージィンの本音。
言葉ではきっと足りない。
わたしは抱きしめる腕に力を込めた。
わたしがこうすることをユージィンが不快に感じませんようにと願いを込めて。
不意に背中にぬくもりを感じた。
ユージィンの腕が躊躇いがちに回され、抱きしめていたはずのわたしは、
いつの間にか抱きしめられていた。
「……私が貴方を好きになっても良いのですね」
驚いて、がばりと体を離せば、困ったようなユージィンの顔が見えた。
「かつての私と今の私はきっと別人だと思います。
それを好きになれなどと言うのは乱暴だとは思うのですが」
「わたしは、ユージィンが好きだよ。どんな、ユージィンでも」
ユージィンはほっとしたように微笑むと、そっと額に口付けた。
こんなに安心したのはいつ以来だろう。
ユージィンと王宮で別れて以来ずっと何処か気持ちが張り詰めていた。
わたしがしっかりしないと、とそう思っていた。
重症を負い生死の境を彷徨ったルノー。
生死不明の騎士団の皆、再会した時には何も覚えていなかったユージィン。
ノーグに戻るまで、戻ってまた穏やかに暮せるようになるまで、
わたしがしっかりしないと。
ユージィンは何も覚えていなかったけれど、反逆者となった騎士団は、
懸賞金が賭けられ、追われる身となっていた。
死刑になった団員もいると噂では聞いている。
記憶を失ったユージィン、魔導の力を失ったルノーですら、
騎士団長であったことが知られればきっとただでは済まない。
ノーグへ戻る旅路は、順調だったけれどわたしはずっと気を張り詰めたままだった。
ようやく落ち着いて、ほっとしたのだろうか。
ユージィンと再会したあの日以来初めて涙が溢れた。
「また貴方を泣かせてしまいましたね」
「いいの、これは嬉しい涙だから」
「そうですか」
ユージィンは額に落としていた唇でなぞる様に、涙が溢れる目蓋を辿り、
そのまま唇をふさいだ。
王宮の前で交わした最初で最後のキスと同じように。
やっぱりユージィンはユージィンなんだな。
あの時はこんな風に安心して体を預けることは出来なかった。
ユージィンも一番大切なものとしてわたしを扱ってはくれなかった。
今は何もかもが違っている。でもわたしの気持ちは再びユージィンと繋がった。
それがただ嬉しかった。