いつかかえるところ




  −1−


 おはよう、といつものように声をかけてもユージィンの顔色は冴えない。
 もともとそれほど朝が強い方ではないけれど、
 普段ならおはようございます、と穏やかに微笑みを返してくれるのに。
 いつか見たような遠い、夢見るような眼差しでユージィンは、
 自分の席につきお茶をひとくち飲むとそのまま黙り込んでしまった。
 反対側に座るルノーは眠そうな顔でそれでも一心に朝御飯を食べているのに。

「ユージィン?」
「………………、テレサ。
 おはようございます」
「それはさっきもう言ったよ?
 せっかく冷めないように席についてから卵を焼いてるのに」
「……すみません」
「もう、いいよ。
 ユージィン昨夜は良く眠れなかったの?
 自衛団の皆と見回りに行った日はいつも疲れてぐっすりだって、
 前言ってたじゃない?」
「ええ、そうですね。
 夜道をある程度の緊張感を持って歩きますのでそれなりに疲れます」
「ふーん、じ、じゃあ昨日は何かあったの?ユージィン」

 ユージィンはルノーににこりと笑ってみせ、お茶をもう一口飲み、
 ため息をついて首を振ると、いいえやっぱり私の気のせいだったのです、
 ときっぱりと微笑んでみせた。
 ユージィンは自分の気持ちを綺麗に取り繕うのが上手だ。
 特に私たち二人には心配をかけまいとする。
 それじゃあ前のように心身ともにボロボロになってしまうだろう。
 わたしたちには何でも話して欲しいのに。
 ユージィンを見つめれば、何事も無かったように微笑み、
 おいしいです、と朝食を口に運んだ。

 身が軽いユージィンはそれを重宝され、戦禍で焼けた領主の屋敷の補修に借り出されている。
 何でも城内の礼拝堂のステンドグラスが割れ、悲惨な状態になっているらしい。
 繊細で、信仰心の篤く、美しいものを好む彼にはそういう仕事が向いているのかもしれない。
 おばさんはもう早朝に働きに出ている。
 わたしたちは食事を終えると身支度をし、家の戸を閉めた。
 わたしたちは学校に、ユージィンは工房に。
 ユージィンはルノーに後で礼拝堂に行きませんか?と耳打ちする。
 わたしも皆のことを祈りたいなと思ったけれど、
 ユージィンは皆のことを覚えていない。
 それにルノーに耳打ちしたことを尊重したかったから、わたしは聞こえないふりをする。
 別の道に行くユージィンに、ルノーと二人で手を振ると学校へ急いだ。



 窓の外はいい天気でお昼ごはんを食べた後の授業はとても眠い。
 ユージィンもお昼ごはんを食べただろうか。
 わたしとルノーと同じお昼ごはんを。
 一瞬うとうとしていたら、あの時の夢を見た。
 炎に包まれた王宮の前でユージィンはわたしを抱きしめてキスをした。
 思い出してカッとなってがばっと飛び起きたら、教鞭で軽く小突かれた。
 居眠りしていたわたしがそんな夢を見ていたなんて、クラスの皆は思わないだろう。
 一瞬照れたように笑ってみせれば、授業は何もなかったように進み始めた。
 先生が講義する内容が耳の中を通り抜けて、全然頭に残らない。
 ……工房はともかく、焼け跡の残る城内はユージィンの精神に良くなかったのかも知れない。
 かつてわたしたちが攻め落とした城。
 ユージィンの記憶が戻るかもしれないと思ってその仕事を薦めたわけじゃない。
 けれど、わたしを好きだと言ってくれたユージィンに会いたくなる時もある。
 一度縮まった距離が遠ざかるのは少し切ない。
 昔のユージィンと今のユージィン。
 勿論今のユージィンの方が大事だ。
 ユージィンもわたしたちを大切に思ってくれているのがわかる。
 けれど、わたしのことを今の彼はどう思っているのだろう。
 少し怖くてわたしはそれを口に出せないでいる。
 ルノーが目の前にいるから聞き辛いなんて自分に言い訳までして。
 再会したときは、ユージィンは生きていてくれるだけでよかったのに。
 全部忘れてしまっても、これからを一緒に生きていけたらそれでいいと思っていたのに。
 なんて欲張りなんだろう。
 ぼんやりと前を見つめれば、先生がこっちを睨んでいる。
 慌てて教科書を開き、ペンを握った。



 幼かった頃お兄さんを失ってからルノーは礼拝堂に良く足を伸ばしていた。
 ルノーとユージィンが出会ったのもあの川向こうの礼拝堂だった。
 それで記憶が戻ったりしたら、なんて期待はもう抱いていない。
 ユージィンももともと信仰心の篤い性質だ。
 村に来たばかりの時はその端整な顔立ちと、少し神経質な佇まいに、
 遠巻きに皆が見ていたけれど今は真面目な青年で通っている。
 いい人間でなければあんなにルノーが懐かないだろう。
 それが村人たちの出した結論らしい。
 確かにそれはそうだと思う。
 少しずつ回復したユージィンがルノーと礼拝堂に仲良く通う姿をよく見かけるようになり、
 そこで繰り返された穏やかな挨拶に村人たちが少しずつ警戒心を解いてくれた。
 この村の人たちは外から入ってくる人間にそれほど攻撃的ではないにしろ、
 一緒の場所に暮すとなるとまた話が違ってくる。
 ユージィンが少しずつ受け入れられていきわたしたちはほっとした。
 レジスタンスに加担した騎士団の団員だったから誰か顔を覚えていないか不安だったけれど、
 ユージィンは交渉には関わっていなかったのかその心配も無いようだった。
 ずっと家を開けていたわたしたち二人をおばさんは黙って家に入れてくれた。
 一緒に連れてきたユージィンを良く受け入れてくれたと思う。
 確かにあの頃のユージィンはほうっておけないような感じだったとはいえ、
 受け入れてくれたおばさんの心意気がありがたかった。
 ルノーのお兄さんが生きていたらこんな感じだったのかと、
 おばさんは思ったのだろうか。
 おばさんはわたしの気持ちに気付いている。
 上手くいくといいねといつも目線で応援してくれている。
 ただの片想いなら、ただ憧れていられたならこんなに苦しくなかったのに。
 ぼんやりと考え込んでいるうちに授業が終わってしまった。
 学校でルノーと別れて買い物をしようと広場に出る。
 ソフィーといつかお茶をしようと約束したカフェが目に入った。
 その約束はとうに果たしている。
 思い出すのはキュリアのあのカフェのこと。
 二人で歩いたあの街のこと。
 もう一度あんな風に二人で出かけることなんてあるんだろうか。
 買い物を済ませ家に着く頃には空が赤く染まっていた。
 ドアをあけてただいまと呟いても誰もいない。
 確かにユージィンを家族だと言って迎えに行った。
 何もかも無くしたあの人の新しい家族になれたらと本当に思っていた。
 全てを忘れても約束だけは果たしてくれたのだからそれで充分だと。
 ……こんな気持ちが無ければ、きっともっと幸せでいられたのに。
 目頭が熱くなるのに何も出てこない。
 それでも雫を払うふりをすれば泣けたような気になって少し気が軽くなった。
 ごしごしと顔を拭うと、勢い良くドアが開いてルノーとユージィンが帰ってきた。
 優しい二人に泣きそうになっていたのを悟られたくない。
 勤めて明るく振舞って、晩ごはんにするね!と言えば二人は微笑んでくれた。


背景画像:空に咲く花
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