君の見た空の色




  −3−


 学校帰り、駅のホームで電車を待ちながらベンチに腰掛け望美は正面に広がる海を見ていた。
 どんよりとした曇り空の下、今日もサーファーたちは波に乗っている。
 遠くにみた江ノ島は少しかすんでハッキリと見ることができない。
 ひとりで学校から帰ることは別に珍しくない。
 将臣がバイトで、譲が部活。
 二年になった譲が生徒会の役員に選ばれてさらに忙しくなり、受験生の望美がひとりで家に帰る。
 そんなことは何度もあった。
 けれど帰っても隣の家にふたりともいない。
 そんなことはかつてなかったことだった。有川家の旅行を除いて。
 二年の教室にいつもどおり譲とお昼を食べようと誘いにいって、引き戸に鍵がかかっていた。
 しん、とそこだけ静まり返った二年生の教室の前の廊下。
 中心になる二年生がいなくて、学校の中も若干活気がない。
 仕方なく、三年の教室に戻り久々に友人の輪に入って弁当を囲む。
 そうだ、今譲たちは修学旅行先にいる。
 朝見送って、さっき旅行先から電話があった。
 ……わかっているのに。何だか馴染めない。
 去年の冬に将臣とは道が分かれてしまったけれど、帰ってきた譲とはいつも一緒にいた。
 馴染めない距離にお互いがぎこちなかったけれど。
 一緒に過ごして来た初めての『二人の時間』。
 少しずつ二人の距離を縮めてきた。
 ぽっかりとあいてしまったひとりぶんの距離を必死で埋めようとして。

 メールの着信音が鳴る。

 この音は譲からのもの。
 望美は携帯電話を取り出して、メールを見た。
 さっき強請った青い空の写真が添付されていた。
 今バスで宿泊先へ移動している、と書いてある。
 旅行のしおりを見せてもらったとき、同じホテルの名前があった。
 きっと同じような部屋に泊まるのだろうと望美は思う。
 同じ宿泊先、同じ場所を見て回るのに譲と望美の思い出は噛み合わない。
 共通の思い出を持っているのはいつも将臣だった。
 今まで特に気にしていなかったけれど、今はそれを寂しく思う。
 全然別の思い出だったらむしろよかったのに。
 同じ共通の思い出を持ちながら、少しずつ違う思い出。
 ずっと思い出を将臣と語ってきた。譲は黙ってそれを聞いていた。
 それは寂しいことだったのだと望美は思い知る。
 ずいぶんと譲に酷いことをしてきたのかもしれない。
 譲は穏やかに笑って話を聞いてくれたけれど。
 内心は凄く寂しかったんじゃないだろうか。
 今まで気がつかなかったけれど、今知ったこと。
 ちゃんと譲と話そう。
 そう思いながら望美はベンチから立ち上がり、ホームに滑り込んできた電車に乗った。

 もう一度携帯電話を開いてメールを見る。

 抜けるような青い空。
 望美はそれを待ち受け画面に設定した。
 譲からのメールをもう一回読み返す。

『今バスで宿泊先に向かっています。
 あと三日も貴方に会えないのは寂しいですが、
 兄さんと貴方が旅した沖縄をしっかり見て帰りたいと思います。
 こちらはとてもいい天気です。空も海も青いです。
 兄さんも今きっとこんな空を見ているのかな、と思うと感慨深いです。
 今度は貴方と一緒にこの空を見たいと思います。
 いつか、一緒に旅をしませんか?
 ……夜、隙をみてまた電話しますね』

 同じような青い空の下に去年将臣と望美は立っていた。
 あの時譲の目の前の空の色は何色だったんだろうか。
 それは望美にはわからない。
 将臣は無事に南の島へ辿り着いただろうか。
 沖縄の海に憧れて目をキラキラさせていた17歳の将臣の顔を思い出す。
 いつか一緒にまた沖縄にいこう。今度は三人で。そんな話をしたことを思い出した。
 三人で行きたかったな。
 今度は三人で。
 譲を好きと思うのと同じように将臣を懐かしく思う気持ちがある。
 譲を好きだと思う温度とは違う、穏やかな気持ちで。
 譲はそれがわかっていても何も言わない。
 今は仕方のないことだと思ってくれているのかもしれないし、
 将臣を忘れないという二人の共通の意思みたいなものもあったと思う。
 でもまだ、今は。
 将臣との思い出はとても近くにあって。
 将臣がひょっこり帰ってくるようなそんな気がしてしまう。
 もう二度と会えないなんて実感がわかない。
 帰ってきてくれたらいいのに。
 そう洩らすと、譲もそうですねと穏やかに笑ってくれる。
 譲の手をとってしまったから、将臣の手を離さなければいけない。
 感覚としてそれはわかるけれど、気持ちはおいついていかない。
 右と左の手はいつもどちらかに繋がれていた。
 今はふたりともここにはいない。
 初めて気付く。ひとりで過ごす時間がこんなに寂しいものだったなんて。
 譲くんはわたしたちが旅行にいくといつもこうやって待っていたんだね。
 仕方ないことだけど、気付いてあげられなくてごめんね。
 そうぼんやり考えているうちに極楽寺駅について、望美は電車を降りた。

 ぼんやりとして勉強に手がつかないのはいつものことだった。
 ため息をついて窓際に立つ。
 向かい側の家にいつもついていた明かりが今日はついていない。
 わかっていても眺めてしまう。
 あと三日したら譲は帰ってきてくれる。わかっていても寂しいのはとまらない。
 携帯電話が鳴った。
 望美は慌てて机に置いた携帯電話を手に取る。
 こんばんわ、と受話器の向こうから譲の声がした。
 安堵感に包まれていたくて、望美はベッドで毛布に包まる。

「……先輩?」
「譲くん、電話してくれたんだね」
「貴方の声が聞きたくて。今、何してたんですか?」
「一応予習。でもぜんぜんダメ」
「……何故ですか?」

 受話器の向こう側でおかしそうに譲は笑った。
 寂しいと言わせたいんだな、と望美は気付く。
 いつもなら少し意地を張って言わないけれど、今は寂しいと伝えたい。

「寂しいから」
「そうですか」

 満足げな声を出すかなと思ったら譲はひっそりと笑った。

「俺も寂しいです。兄さんが撮った写真の場所がたくさんで。
 貴方と兄さんが話していた思い出みたいなものでいっぱいで。
 ああ、このことを話してたんだなあと思うたび、寂しくなります」
「……一緒に行けなかったから?」
「違います。兄さんのことを思い出すからです。
 兄さんはだから南に行きたかったんだなとここに来たらわかる気がして」
「……そっか、そうだね。
 将臣くん沖縄に行きたがってたもんね」
「こんなに暖かいと泳げる気がしてしまいますから。
 兄さんはこっそり泳いで叱られたって言ってましたよね」
「がっつり先生に怒られてたけど全然平気そうだった。
 海ばっかりみてたな、あの時。本当に海で泳ぎたくて仕方なかったんだと思う」
「三人で……来たかったですね」
「うん、行きたかったな」

 電話の向こう側で少しためらうように譲が黙った。
 望美は譲の言葉を待つ。

「三人では無理ですが、先輩とこの海を一緒に見たいです。
 いつか一緒に来てくれますか?」
「うん、必ず行こう。今度は暑い夏に行って二人で泳ごう」
「……一緒に泳ぐんですか」

 譲が言いよどむ。照れているのだと望美は気付いた。
 望美は明るく笑い飛ばすと、

「その時は譲くんに水着選んでもらおうかな?それとも行くまで秘密のほうがいい?」

 それは難しい問題です。と電話の向こうで譲はうろたえた。
 今度は一緒に行こう。
 一緒に青い海を見よう。
 届かないかもしれないけど、将臣くんに元気でやってるよって伝えよう。
 繋がっていない空でも、あの青い同じ色の空と海でなら、
 きっと伝わるとそう信じて。
 色とりどりの魚や、珊瑚や、色鮮やかな花や、おいしい料理。
 ああ美ら海水族館も一緒に見たいね。
 きっと行きましょう。
 もう兄さんとは一緒の思い出は積み重ねていけないけれど、
 これからとは俺と一緒に思い出を作ってください。
 照れたようにそういうとそそくさと譲は電話を切った。
 どれだけ今照れているんだろう。
 下がってもいない眼鏡のブリッジを押し上げる仕草でもしているかもしれない。
 早く帰ってきてね。
 望美は呟くと、充電器に携帯電話を載せ、電気を消してベッドに潜り込んだ。


背景素材:空色地図

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