君の見た空の色
-2-
北へ行く選択肢だってあった筈だ。
将臣は揺らめく炎を見ながら杯をあおる。
けれど南へ行きたかったのは、俺の我侭かな。巻き込んですまないな皆。
寝静まった周りを見やり、将臣は自嘲した。
北へ行くことはありえない。
そう判断したのは、歴史を知っていたからもある。
源義経はが鎌倉に終われて北へ逃れ、そして死んだ。
この時空ではどうなるかはわからなかったけれど、平家が壇ノ浦へ行くことが回避できないのなら、
そこから北へ進路を向けるよりきっと南へ下ったほうが早いだろう。
鎌倉からも京からも遠く離れた南の海へ。
小さな島にでも逃れて細々とでも平和に暮らしていければ。
温暖な気候、食べ物にだって不自由しないはずだ。
野分……台風の脅威はあったけれどそれさえ上手く凌げれば、
南の島で暮らすことはそう難しくはないだろうと将臣は踏んでいた。
琉球と呼ばれる今、支配するのは誰だったか。
島に根付くにはその王朝とも上手くやらなければならない。
島民にうまく馴染めなければ……台風をやり過ごすのは難しいかもしれないな。
母御前に安徳……元天皇。
小さいものや老いた者にはかなりの負担となる旅。
けれど南に下ればきっと希望はあると励まし続けてきた。
そしてたどり着いた……約束の地。
ここで俺たちは生きていく。
住み慣れた地を遠く離れてやってきた……異国の地。
かつて憧れた場所。
青い空に透明な海。
生まれた時から海は近くにあった。
スキンダイビングを始めてからは特に海に近かった。
暖かで、透明な海。
どこか暗い色をした鎌倉の海とは違うあの海に焦がれた。
修学旅行で行った時には秋で、泳ぐ時間もなくて。
折角焦がれた海なのに、あまり入ることが出来なかった。
こっそり入って叱られた思い出。
叱られた俺を笑っていたお前。
そんな俺らを家でひとりで待っていた譲。
今は遠い。遙か遠くにある。
鎌倉。俺の故郷。源頼朝の本拠地。
俺の近寄りがたい場所になってしまった。帰ってもあの懐かしい家はない。
……もう四年も帰っていないんだな。帰りたいとは思えないほど遠くに来てしまった。
四年前この時空に流された時、俺の支えは鎌倉ではなく、この青い海だった。
修学旅行で見た青い空、青い海、微笑む望美。
それがイコール楽園のイメージになっていたのかもしれない。
いつか望美とまたこの青い空を見たいと。
青い海を目の前にして暮らしたいとそう願っていた。
平家に拾われるまでの惨めな辛い生活も、この青い空が支えだった。
拾われてからの流転の日々も。
望美の笑顔をもう一度見ること、そしてこの地に再び立つこと。
それだけが俺を支えた。
青い空、青い海への憧れは平家の者達にも移っていった。
まるで楽園のようなのだ。
そう語る俺の話をみな夢物語のように聞いていた。
恩を受け、共に暮らすうちどうしたって情は移る。
歴史通りに平家を滅ぼさせたりはしない。どうやってでも必ず生き延びさせる。
だから最初は気の進まなかった『還内府』も引き受けたのだ。
自分がそう呼ばれ、率いることで何か流れを変えることが出来るのならば、と。
怨霊となったものに流され、不吉な流れに身を委ねてしまったような平家を押し留めたかった。
尊敬し、父と慕った清盛の狂気を止めたかった。
その一心で戦った源氏との戦いの中。
……再び出会うことが出来た望美。変わらない微笑み。
どれだけお前に焦がれただろう。
でもその傍らには譲がいた。譲が望美を護っていた。
一緒に流された譲が望美と共にいることはある意味当然だっただろう。
でも何故望美は俺と一緒に堕ちてはくれなかったのか。
少し、譲を恨んだ。恨んでも仕方ないと思いながら。
でも俺は望美を選べない。平家という護らなければならない『家族』がいたから。
望美や、譲も家族だった。護りたい何か。
でもどちらが俺を必要としているか天秤にかけたら。それは圧倒的に平家の皆だった。
それを裏切ることなど。俺には出来ない。
悪い予感がしながらも、俺は望美を譲に託してしまった。
俺はいつも譲の視線を恐れていた。
あの視線に望美がつかまってしまったら、きっと俺はかなわないだろう。
そう思ってきた。
眼鏡のレンズの向こう側に隠した、……隠し切れない譲の情熱。
真っ直ぐな想い。
俺とは違って『望美しか選べない』弟の強さ。
その視線に捕まって欲しくなくて、俺はそれをことごとくそらしてきた。
それとないさりげなさで。
譲は弟だ。だからと言って望美は譲れなかった。誰にも。
わかっていたのに手放してしまった。
そして、譲は望美を捕らえてしまった。あの眼差しで。
仕方がなかった、と思う。傍にいられなかった俺が悪い、とも。
でもこの空の下お前の、いやお前達の笑顔がみたかった。
その気持ちは変わることはない。
思い出が薄れても、お前達の笑顔は忘れない。
もう二度と会うことはなくても。
この空の下で俺は生き抜いて。……俺なりに幸せになる。
お前達の幸せを祈っている、いつも。
最後に見た譲はすまなさそうな顔をしていた。
俺があいつだったとしても、俺もきっとそんな顔をしてあいつを見送っただろう。
仕方のないことだ。
ひっそり笑ってみても酒の苦さは変わらなかった。
もうすぐ夜が明ける。
海の向こうに広がる朝日は希望を感じさせた。いつでも。
ここで俺は生きていく。生き抜いてやる。
この空がお前達の空と繋がっていなくても。
いつもお前達の幸せを祈っている。そしてお前達が俺の無事を祈ってくれているのを感じている。
平和な鎌倉の空の下で、二人が笑顔でいることを。
これからも祈って、俺は生きる。
生きていく。