君の見た空の色
−1−
何と言ったらいいんだろう。
譲は展示物を見ながらぼんやりと考える。
他の生徒は淡々と見たり、涙ぐんだりまちまちな反応をしている。
修学旅行が沖縄だから、もっと楽しいものばかり見たいという男子生徒もいる。
『修学旅行』なのだから、別に勉強したっていいだろう譲はそう思うけれど、
自分の中で蓋をした罪をもう一度暴かれるような気がした。
ここはひめゆり平和記念館。
修学旅行に来る生徒は必ず回るといってもいい場所。
悲惨だった沖縄戦の爪痕をくっきりと残す場所。
……今の若者は戦争を知らないから、と訴える体験者。
壁を埋め尽くすように貼られた犠牲者の顔は、みな同じ年代で。
見ているだけで気が遠くなる気がした。
この中に自分の顔や望美の顔、将臣の顔が並ぶようなこともありえたのだ。
ありえないことだ、とは思えない。
沖縄戦ではないけれど。自分も戦に参加してきた。
実際に人を殺したこともある。
これは罰だ。自分への。
忘れるな、自分の罪を。そう誰かに言われた気がした。
硝煙が匂い、砲弾が飛び交う戦場(せんじょう)とは違う。
刀を持った武士が駆け巡り、物が焼ける匂いと血の匂いに満ちた戦場(いくさば)。
確かに戦闘の意思を持たない民間人が巻き込まれることはなかったけれど、
悲惨さは変わることはない。
人数が多かろうと、少なかろうと、怨霊がいようと。
悲惨であることは変わりなかった。
最近は思い出すことも少なくなったけれど、自分がまだあの場所で弓を射っているような
錯覚に陥ることがある。
車の音や、ざわめきが消え、ふいに馬の嘶きや、駆ける兵たちの怒号の様な足音が聞こえるときが。
今は、平和だ。
もう人を殺すことも、怨霊を封印することもない。
今は望美に危険はない。
……旅行から帰るまで彼女はひとりだけれど、
今は心配をしなくてもいいのだ、と冷や汗をかく自分をなだめる。
有川君、顔青いよ、と立ち尽くす自分に声をかけてくれた女子生徒の声で我に返る。
考え事をしてしまって。と言ったら、
有川君は優しいねと言われた。
……優しくなんかない。
ひとりごちてみても震えが止まらない。
女子生徒に少し外に出て空気を吸ってくる、と告げ中庭に出た。
携帯電話を見る。
14時10分。
今丁度5時限目が終わったところか。
メールを打てばいい、わかっていても今貴方の声が聞きたかった。
そらんじている貴方の番号を押し、通話ボタンを押す。
電話帳を開いて入れればいい、そうわかっていても、
貴方にかけたいと思いながらかけられなかった日々が長くて、
つい電話番号の入力をしてしまう。……その方が早いから。
コール10回で切ろう、と思った。
貴方はまだ学校にいるから。見つかれば教師に見咎められるかもしれない。
出られなかったり、無理だったら貴方はちゃんとメールを返してくれるだろう。
……まだ旅程は一日目なのにダメだな。
あと三日貴方に会えない。
会えないと思うだけで会いたくなってしまう。
朝眠い目をこすって見送ってくれた貴方の笑顔を反芻する。
コール9回目で貴方は出てくれた。
「譲くん、どうしたの?」
貴方の息が荒い。
電話に出るためにどこか場所を探してくれたのだろうか。
「……貴方の声が聞きたくて」
「大丈夫?元気ないみたいだけど」
貴方の声がすとんと胸に落ちて暖かな気持ちが広がる。
ああ、貴方の声だ。
不安がかき消されていく。
「ただ、貴方の声が聞きたくなったんですよ。出てくれてありがとうございます」
「今どこにいるの?」
「……ひめゆり平和記念館です」
「……そっか」
貴方に俺の心許なさが伝わってしまったのだろうか。
俺自身の弱さに舌打ちする。貴方にこんな思いをさせたくないのに。
でも、貴方と分かち合いたい、それも本当だった。
「去年見た時も、イヤだなって思ったけど。
今見たらきっともっと辛いね」
「……人事とは、思えなくて。何だか不安になってしまって。
貴方の声が、今聞きたかったんです。出てくれてありがとうございます」
「譲くんがかけてきたんだもん。絶対に出たかったから、いいよ。
そっちは晴れてる?」
「……いい天気ですよ」
「じゃあ後で写メ送ってね」
「わかりました」
夜電話できたら、またしますと言ったら貴方は待ってるねと電話を切った。
安堵が広がっていく。
貴方の声が俺を支えている。
情けないけれどあちらの世界にいたときも変わらなかった。
青い空。
鎌倉の空とは違う青。
さっき遠めに見えた海も色が違っていた。
兄も今こんな空を見ているのだろうか。
沖縄の海で泳ぎたかったから、来年また行きたいと言っていた。
望美も一緒に行きたいと。
これがの兄の焦がれた場所か。
明るくて、空気に力があって。
美しい海が広がる。
……ここが昔戦場で、砲弾が飛び交い人がたくさん死んだなんて。
綺麗にその痕が消えてしまって今となっては面影もない。
でも消えてしまったからと言って忘れていいものでもない。
だからこそこういう施設は必要なのだろう。
沖縄に観光にしかこない人々はこういった場所は巡るのだろうか。
見たくないものは見ないで楽しんで帰りたい。
その気持ちも理解は出来た。
自分がいたあの戦場はどうなったのだろう。
将臣がひとり残ったあの時空はあの後平和になっただろうか。
無事に南へ逃れることはできたのだろうか。
今、将臣が見ている空はこんな色なのだろうか。
同じく琉球の土を踏んでいるのに、この空とあの空は繋がってはいない。
きっと同じ色なのに。
繋がってはいない。
遙か遠い遠い空の下で。将臣は無事でいるのだろうか。
将臣が撮った去年の修学旅行の写真の一枚に、この青い空の下微笑む望美の写真があった。
皆に見せたアルバムの中の一枚ではなく、
貸した辞典を取り返しに入った自室の引き出しにしまわれた一枚。
望美の目線はカメラをむいてはいないけれど、何かを見て微笑んでいるそんな一枚。
それが兄の望むものだったのだ。そう譲は知っていた。
きっと南の島で、望美の微笑みとともにいること。
それが将臣の願い。
知っていた。でも、望美は譲れなかった。誰にも。
その願いを踏みにじることになっても。どうしても望美が欲しかったから。
最後に望美を頼むと言った兄の精一杯の笑顔を胸に刻む。
かならず、幸せにするよ。
そう呟いてみた。
きっとこの空の下なら将臣に届くと、そう信じて。
抜けるような空にむけて携帯電話のカメラを向ける。
望美がこの空の写真を欲しがったのもきっと同じ意味。
将臣を、忘れないこと。二人で幸せになること。
失った痛みと共に生きること。
この空の下で生き生きとしていた去年の望美を譲は見ることが出来なかった。
あの写真の笑顔は将臣だけのものだ。
修学旅行の思い出は同じ場所を巡っているのにいつもわずかに違う思い出。
そんな思い出も今回で最後。
次は貴方と一緒に来よう。
将臣が泳ぎたいといっていた沖縄の海を二人で泳ごう。
将臣のことを考えると寂しくなるだろう。でも忘れたくないから。
……来年は自分が受験だから、再来年の夏。
貴方と二人でこの空を見よう、必ず。
もう一度目を細めて空を見上げると、同じ班の女子が、
有川君次の場所にいくよ、と声をかけてきたので譲は再び展示場に入った。