三叉路
「あ〜あ。派手にやりやがって。
今日はもう終わりにしようぜ」
派手に転んで膝をすりむいた望美を横目に、将臣はぼやいた。
譲は庭仕事をしていた祖母に声をかけに走る。
望美はわんわん泣いていた。
「途中までうまく行ってたのに、なんで転ぶんだよ」
「だって手を離しちゃダメって言ったのに!!」
「頼ってばっかじゃいつまでたっても乗れないぜ?」
「怖いんだもん」
「ばーか」
ぽかり、と菫は将臣の頭をたたいた。
「なんてこと言うの。将臣」
「いたいよ、ばあちゃん」
菫は望美の頭に手をおき、よしよしと撫でた。
望美の涙が止まる。
「望美ちゃん、よく見せて頂戴。
譲、そんな顔しないの。大丈夫よ」
「スミレおばあちゃん」
「女の子にこんな怪我させて。まったく二人がついていながらなんてこと。
いつも言ってるでしょ。望美ちゃんをちゃんと二人で護りなさいって」
手早く消毒液を含ませたガーゼで血をぬぐい、絆創膏を貼る。
苦笑いして見守る望美の父に、菫は軽く頭を下げた。
いいえいいえ、と望美の父は苦笑いで返した。
やんちゃばかりの望美が怪我を作って帰ってくるのは日常茶飯事だ。
今回だってたいした怪我ではない。
「まあ、望美ちゃんはこれくらい元気なのが一番ね。
さあ、日が暮れるわ。今日はこれくらいにして、また明日ね」
「のぞみちゃん、だいじょうぶ?」
「おばあちゃんがばんそこはってくれたからだいじょうぶ!
ゆずるくん!まさおみくん!またあした!」
望美の自転車を押す父親と一緒に望美はバーイバーイと繰り返しながら
家へ入って行った。
将臣と譲は菫と共に望美が家に入っていくのを見送って、手を繋いで家へ入った。
−2−
「行っちゃったね」
「行ってしまいましたね」
将臣の乗った船ははるか水平線の彼方で、もう見えない。
しかし、望美も譲もぼんやりと船の消えた先をぼんやり見つめていた。
見送りに集まった他の者たちはとっくに戻っていた。
桟橋にぞろっと集まった一堂に将臣は苦笑していた。
こんなに派手に集まらなくても良かったのにと。
望美に朔に白龍に、八葉に、遠巻きに眺めているのは、後白河法皇の一行に鎌倉殿?
彼らにとっては長年の憂いが晴れる記念すべき日なのかもしれなかった。
「最後まで兄さんらしかったですね」
「また、会えるかな」
「あの人のことだからふらりと会いに来たりするんじゃないですか?」
「そうだよね。将臣くんっていつもそうだったもんね」
沈黙が続いた。
でも譲との沈黙なら望美はちっとも気にならない。
こうやって学校帰りによく夕焼けの海を眺めたね。
ふふ、と思い出し笑いをする。
将臣と譲とたくさんの夕焼けを見た。
また二人と会える明日が楽しみでわくわくしながら眠りについた。
いつの、どんな思い出にも必ずどちらかが顔を出す。
三人で、時にはどちらかと二人で。色んな思い出を作りながら大きくなった。
ずっと学校で一緒だった将臣。
こっちに流されてきてからずっと傍にいてくれた譲。
まるで自分の分身みたい。そう思っていた。
でもやっぱり違う人間だってわかる。
今望美の心の中にはただ一人の人がいるから。
その人と生きていくと決めてしまったから。
三人でいる時間はおしまい。
別れ際に……楽しかったねと将臣に言ったら、将臣は『ああ』と頷いてくれた。
将臣は行ってしまった。いつもの別れ際とおなじように鮮やかに。
「最後まで譲くんの心配してたね」
「……余計なお世話ですよ。あの人はああ見えて世話焼きなんですから」
「……そうだね」
「そろそろ、俺もお暇しないと」
「そっか」
「でないとずるずる居ついちゃいますから」
「居てもいいのに」
「いいえ」
その『いいえ』は望美の聞いたことのない響きを持ついいえだった。
こんな風にきっぱりと言う譲は望美は見たことがなかった。
思わず望美は譲を凝視してしまう。譲は静かに笑っていた。
もう決まってしまったことなんだ。
望美は寂しさを堪えきれない。涙がぽたぽたと落ちる。
静かに譲は懐紙を取り出し、望美の涙を拭いた。
「俺は帰ります」
「でも、寂しいよ」
「寂しくても、先輩はあの人の手をとった。
両方欲しいなんて……無理なんですよ」
「だって……」
「じゃ、俺と帰りますか?」
真剣な顔で見つめてきた譲を唖然として眺める。
「一緒に帰ってくれますか?」
「でも」
動揺する望美に譲は仕方ない人だなと笑う。
本当に仕方ない人だな、と。
「……だから、無理だって言ったでしょう?
先輩は帰れない。俺は帰る。だから無理なんですよ」
「もう会えなくなっちゃうのはイヤだよ」
「……そういう嫌、じゃ、俺は残れません」
「えっ?」
何でもありません、と譲は穏やかに笑った。
「こっちにいたってみんなとずっと一緒にいられるわけでもないでしょう?
俺も、同じですよ。な、白龍」
「そうだね」
望美が振り向くと白龍が立っていた。
よく見ると遠巻きに仲間たちが立っている。
「譲、もういいの?」
「ああ、兄さんも見送れたし。先輩と話せたし」
「みんなとお別れしなくていいの?」
「兄さんと一緒に昨日の晩に済ませたんですよ。
先輩は知らなかったみたいですが」
「ちょっと!そんないきなりいなくならないでよ!」
「いきなりでもいきなりじゃなくても帰るのは変わらないんですよ?」
「嫌だよ!」
どん!と望美が譲の胸をこぶしで叩く。
どん!どん!どん!
譲は望美の手を握る。
「兄さんの時は嫌がらなかったじゃないですか」
「仕方なかったし、また会えるかもしれないし……でも」
「ええ、俺とはここで最後です」
「いやだよ」
「貴方は選んだんですよ」
「だって、譲くんはいつだってお願い聞いてくれたでしょう?
せめて明日に」
「すみません。それは貴方の願いでも、できません」
「譲、時間だよ」
白龍が悲しそうな顔をした。
すでに『力』が満ちて道が出来てしまったのだ。
「道が出来たよ。この道は、あの日に続いている」
「ありがとう」
「譲こそ、ありがとう」
「みなさん、今日までお世話になりました。
先輩のことをよろしくお願いします」
譲は仲間に向かって頭を下げた。
望美は呆然と譲を見つめた。
譲は悲しそうに笑った。
「貴方に、幸いを」
「ありがとう、白龍。
俺より、先輩を頼む。もう……俺はついていてあげられないから」
「では譲の代わりに神子を見守ろう」
「白龍にそう言って貰えたら安心だな。
そうだ、兄さんのことも。あの人は心配要らないけど、船旅は心配だから」
「わかった」
譲と白龍は硬く握手した。
そして、『道』へ踏み込もうとした。望美を振り返らずに。
望美は譲の腕を思わず掴む。
譲はビクっとして、少し振り返って微笑んだ。
「先輩、俺は貴方と一緒にいられて幸せでした。
幸せをあちらがわで祈っています。ずっと。さようなら。
俺は貴方が」
譲が光に包まれる。白龍が望美を引き寄せた時……その光の道は一瞬強い光を放って消えた。
泣きくずれる望美を残して。