Over easy




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 ケーキ食べたい。譲くんのケーキ。
 譲くんの誕生日なのにそう言い張ったわたしをすごく優しい目で見て。
 じゃあ小さいのを焼きましょう、と譲くんは食器を片付けながら約束してくれた。
 ただの皿洗いなのにこうして二人で並んでやると妙に気恥ずかしい。
 譲くんは片づけが終わるとスポンジケーキの準備を始めた。
 要領よく、淀みなく動く指を見ていると魔法みたいだ。
 はかりで砂糖や粉の重さを測っていても、ぴたりと丁度の量をのせる。
 何か手伝いたいのに、なんとなく手を出せなくているうちにあっという間に卵はふんわりと泡立って、
 さっくりと粉はまざり、気がつけば余熱もされていたオーブンの中に生地が納まっていた。

「二人ぶんの小さいの、と思ったんで20分もかからないで焼けますよ」
「そうなの?」
「はい。でも生クリーム切らしてるんで後で買いにいかないと」
「そっかあ」
「晩御飯、何が食べたいですか?何でも好きなもの作りますよ」
「えっ、いいよ」
「……俺が作りたいから、いいんです。
 そうしたら一緒に食べられるじゃないですか」
「うん」
「晩御飯いらないっておばさんに言わなくていいんですか?
 ……っていうより、連絡したんですか?」
「あ。
 忘れてた!」
「……貴方を引き止めて、あんなことしたのは俺なんで、謝ります」
「いいよ。
 なんか恥ずかしいから。まだ秘密にして!
 昨日が飲み会だったってことは言ってあるから泊めて貰ったって言うよ」

 譲くんは不満そうだったけど、二人の秘密と指きりしたら不承不承納得してくれた。
 とりあえず帰ることにして、昨日の服に着替えて一旦うちに戻る。
 こんな時間に帰って怒られるかと思ったのに、帰ったことを逆に驚かれた。
 そのまま誕生日の譲くんとデートにでも行ったのかと思ってたなんてお父さんが言ったので、
 即効でそれを採用する。……そんなに間違ってもいないし。
 これからもう一回出かけるからごはんいらないと言えば、どうせ譲くんのごはんでしょ?
 いいわねなんてお母さんに言われた。
 品行方正の彼氏の信頼度は伊達じゃない。よっぽどわたしなんかより信頼されている。
 若干拍子抜けしながら、わたしも譲くんがあんなことを考えていたなんてと驚いたことを思い出した。
 結局、譲くんが本来の顔が出せなくなったのには自分も責任がある。
 でも譲くんは、譲くんを取り戻したからこれからは大丈夫だ。
 今ならわかる。わたしと将臣くんの間で、譲くんは窮屈な思いをしてきたんだ。
 あんな伸び伸びした笑顔なんて見たこと無かった。
 穏やかな笑顔だと思っていたのはきっと笑顔なんかじゃなかったんだ。
 いつも無理に背伸びして、誰かに遠慮し続けて結局心から笑えてなんかいなかった。
 でもあの笑顔をきっとこれからも見ることができる、そう思えると嬉しかった。
 同じ譲くんなのに、まるで別の人に改めて恋をしたようなそんな気持ち。
 シャワーを浴びながら、昨日譲くんの手が、唇が滑っていったことを思い出し、カッとなった。
 お互いに初めてで、どうしていいのかわからないまま、必死で譲くんにしがみ付くしかなかった。
 譲くんは何度もわたしの名前を呼んだ。
 望美、と。

 ……ただシャワーを浴びただけなのにのぼせた様になってしまい、
 お母さんに苦笑いされて麦茶を飲む。
 夜明けに起きて飲んだコーラ。嘘みたいに美味しかった。
 必死で考えないようにしているのに、考えてしまう。
 もう一回譲くんの家にこれから行くのに。どんな顔で会えばいいんだろう。
 行ってきます、と家を出れば、譲くんは庭仕事をしているのが見えた。
 この暑さで。
 庭に回れば、蚊がいるんで蚊取り線香の近くにいたほうがいいですよ、と忠告された。
 縁側に置かれた蚊取り豚のとなりに腰掛ける。

「最近試験だからとかで色々さぼっていたせいで、ちょっと荒れてるんです。
 すぐ済むんで待っていてもらえますか、なんなら部屋の中でも」
「ここで見ていてもいい?」
「かまいませんが、暑いですよー?」

 譲くんはちょっと振り返って苦笑いすると、作業に戻った。
 暑い日差しの中、黙々と植物を相手にしている譲くんを見ていたら色んなことが浮かんで消えた。
 この庭で三人で遊んだこと。それをにこにこと笑って眺めながら菫おばあちゃんは庭弄りをしていた。
 縁側で食べたスイカ、夏休みに学校から持ち帰った朝顔。花火。縁日のお祭り。
 どんなにしおれてしまった植物でも菫おばあちゃんの手にかかるとするすると健やかに伸びた。
 菫おばあちゃんは魔法を使っているのかもしれないと思ったことがある。
 でも今は譲くんもそうなんじゃないかと思う。

「譲くんはどうしてこういうことが得意なの?」
「得意って言うか……、なんとなくわかるんです。ここに植えたほうがいい、とか。
 もう少し水をやったほうがいい、とか。なんとなく見えてくるんですよ」
「ふーん」

 汗を拭いて水分を補給する譲くんの動くのど仏を見上げる。

「今思うとおばあちゃんにもそれが見えていたんだと思いますよ。
 あっちで読んだ文献によれば龍神の神子の為に、代々の星の一族は庭を整えたのだといいますから。
 龍脈の力をぼんやりと感じられているから植物を健やかに育てられる。
 おばあちゃんには確かにそんな力があったのかもしれない」
「譲くんにもあると思うよ?」
「そうですか?だといいんですけど。
 でも、こうして植物を相手にするのもいいな」
「譲くんそういうの向いてそうだね」
「そうですね。
 そうかもしれない」

 譲くんはホースで一瞬高く水を撒いて虹を作ってくれた。
 水撒きが終わると、譲くんはホースをしまい、家に入った。
 買い物行く前にシャワー浴びるんでちょっと待っていてください。
 出てくるまでにメニュー考えておいてくださいね。
 そういい残して譲くんはお風呂場に行ってしまった。
 男の子ってあんなに汗をかくんだ。
 あんな汗の量自分では考えられない。運動したってあんなには汗をかかない。
 ぽたりと落ちてきた汗を不思議と嫌だと思わなかったな。
 ……そんなことを考えていたら、シャワーを浴びて、しっかり髪も乾かし終わった譲くんが
 不安げに覗き込んだ。

「どうしたんですか?ぼんやりして。
 暑さにあたったんですか?」

 譲くんのいつものシャンプーのミントのすうすうする匂いにドキっとする。

「えっ、うん。ちょっと考え事」
「晩御飯、どうしますか?何でも貴方の好きなもの作りますよ」
「……う、うん。
 じゃあカレー。死ぬほど辛いの」

 もやもやした気分を吹き飛ばしたくてリクエストした譲くんの死ぬほど辛いカレーは将臣くんの大好物だ。
 しまったと思ったことが表情に出たんだろう。譲くんはぽんとわたしの頭に手を載せた。
 そんなに気を遣わなくてもいいんですよ、と。

「そんなに辛いの貴方は食べられないでしょう?
 じゃあ貴方の為にちょっと辛い美味しいカレーを作りますよ。
 ……兄さんが食べられないのを悔しがるような、美味しいのを」
「ごめん」
「……別にいいんですよ。
 むしろ無かったことに出来ないのなら、貴方とは普通に兄さんの話をしたい。
 誰が聞いても辻褄の合わない話でも、貴方とならできるから。
 だからそんなに気にしないでください。
 父さんや母さんとギクシャクしてますけど、いつか慣れると思うんです。
 今は無理でも、兄さんがいた時間より長い時間が経つくらいにはきっと拘りなく話し合える。
 そんな日がきっと来ると思ってますから」
「あのね。
 ……将臣くんならね、きっとこう言うと思うの。
 もし俺のことを覚えているのが辛いなら忘れちまえ。
 それは別に裏切りでもなんでもないから。
 過去を抱えて動けなくなるより、這ってでも前に進めって」
「……兄さんらしいな。あの人ならきっとそう言うでしょうね。
 忘れることは裏切りじゃない、か。
 貴方はそう思うんですか?」
「細かい思い出を忘れてしまったとしても、将臣くんがいたことはわたしたちは絶対に忘れないと思う。
 わたしはそれでいいと思う」
「俺、思い出に甘えてたのかな」

 ソファに沈み込むように座った譲くんの隣に座り、手を握った。

「でも譲くんが間違ってるわけじゃないよ。
 ちょっと意地を張りすぎてたのかなあとは思うけど」
「……余計な力が入りすぎていたのかな」
「そうだね」
「でもこうして貴方がいてくれるから。俺は大丈夫ですよ。
 本当は一人でも大丈夫って格好つけられたらいいんですが、
 俺にはどうしても貴方が必要だから」

 真っ直ぐ見つめられて、目を閉じれば頬に優しいキスが降った。
 今キスしたら、止められる自信がないので、と照れて譲くんはソファをそそくさと立ち上がった。


背景画像:空色地図

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