THE LAST SLICE
−1ー
目を白黒させる両親を見て無理もない、と譲はため息をついた。
両親が帰ってきていきなりこの話をしなければいけないのが自分だということに眩暈を覚える。
しかし、自分にしかこの話は出来ない。
目を真っ赤に腫らし隣に座る望美には説明は無理だろう。
自分にこの損な役回りを押し付けた兄に殺意を覚えるが仕方ない。
望美の前で将臣の悪口はもう迂闊に言えなくなってしまった。
今は兄が帰るまで、望美を支えなくてはならないのだから。
「兄さんは暫く帰ってこれない。だから休学届だしてくれないか」
「どういうことだ」
「うまく説明できる自信がない。でも暫く帰ってこれないんだ。
いつ帰れるかわからない。だから休学……」
「どういうことかきちんと説明しろ!」
ドン!と食卓を叩いた音に望美がビクっとした。
確かにそういいたくなる父親の気持ちはわかる。
今譲だってこっちに帰ってこれた実感がいまいちわかないくらいなのだ。
いきなり兄は帰ってきませんなどと言われて混乱しない親はいないだろう。
しないとしたら、無関心か、放任か。
どちらの態度も示さなかったことに感謝はする。
しかしそれは今ありがたいことなのかどうかはわからない。
「父さんは、おばあちゃんから何か聞いてる?」
「おばあちゃんってどっちの」
「菫おばあちゃんから何か聞かされてなかった?」
「……何の話だ」
「役目がとか、星の一族とかそういうの聞かされたことはなかったのか?」
「何だそれ」
譲はため息をつく。おばあちゃん、父さんに何の話もしてなかったのか?
「じゃあおばあちゃんの実家の話は」
「聞いたこと無いぞ」
「お盆とか普通行くだろ。何で行けないのか疑問に思ったことないのか?」
「なんとなく聞けない雰囲気だったからな」
「遠い場所でいけないから気にするなって言われた覚えは?」
「……なんでお前はそう思う」
「あるんだろ」
「ずっと小さい頃にな」
「……兄さんは今そこにいる」
「連絡は」
「取れない」
「警察に連絡は」
「必要ない。誘拐じゃないし、失踪じゃない。兄さんの意思でそこにいるから。
送ってもらえなければ帰れないくらい遠い場所なんだ。
それがいつになるかわからない。でも必ず帰ってくる」
「どうしてそう言い切れる」
「兄さんは先輩に必ず帰るって約束したから」
苦虫をかんだような譲の顔と、泣きはらした望美の顔を交互に見て、
両親は状況を悟る。
「必ず帰ってくるんだな」
「兄さんはそう言ってる」
「いつになるかわからないんだな」
「わからない。だから休学届を出して欲しい。
学校には留学したとかなんとか言って、誤魔化して欲しいんだ。
兄さんが帰ってきたときに困らないように。協力して欲しい。頼む、父さん、母さん」
「留年とか……」
「ならないといいけどいつ帰ってくるかわからない。
兄さんはお人好し過ぎるんだ。世話になったからって全部見届けるまで帰らないなんて」
「あいつは妙なところで義理堅いからな」
「そうねえ」
頷きあう両親に譲はほっと胸をなでおろす。納得してもらえなくてもいい。
休学届さえ出してもらえれば。
あとで兄さんが帰ってきたときに質問攻めにでもあえばいいんだ。
俺はそこまで責任をもたないぞと内心で毒づく。
「とりあえず二学期は終わったから。
三学期に入っても帰ってこなければ休学届出して欲しい。頼むよ、父さん」
「……わたしからもお願いします」
それまで一言も喋らず黙って話を聞いていた望美が頭を下げる。
ふたりとも冗談を言っているわけではなさそうだ。
ため息をついて父親はひとことわかった、と言った。
「外国からやっと家に帰ってきて疲れてるのにこんな話をしてごめん」
「わかってるわ」
「大事な話だからな。無駄な心配をさせるまえに話してくれたんだろう」
「兄さんは必ず帰ってくるから。信じて待っててほしいんだ」
「あいつは鉄砲玉みたいなやつだからな。ふといなくなることはよくあったじゃないか」
「ただ、それが少し長くなるのね」
寂しそうに両親は笑い、寝室へ引き上げていった。
望美と譲が食卓に残る。
譲はひとつため息をつくと立ち上がり、すっかり冷めてしまった紅茶をさげる。
やかんを火にかけてお湯を沸かし始めた。
望美は譲の背中に向かって呟いた。
「わかってもらえてよかったね」
「わかってるかどうかわかりませんけどね。あんな話どうやったらわかってもらえるのか。
兄さんは厄介ごとばっかり俺に押し付けて」
「それだけ信頼してるんだよ」
「だといいんですが。弟なんて兄にいいように使われてばかりですよ」
「将臣くんだって色々助けてくれたでしょ?」
「損な役割はいつも俺ですよ」
本当はきちんと鍋でココアを作りたかったけれど今はそんな元気が無い。
譲はミルクココアの粉末をカップに入れ、お湯を注ぎ、かき混ぜる。
マシュマロを見つけたのでそれも浮かべた。
先ほどまで両親が座っていた側に座り、望美と向かい合った。
「はい、先輩。熱いから気をつけてください」
「ありがとう」
「兄さんはいつ帰ってくるんでしょうね」
「いつかな」
「とりあえず進級には間に合ってほしいです。兄さんと同学年なんてイヤですから」
「またそんなこと言う」
「一学年離れてたって比べられるんです。今更同学年なんて悪夢ですよ」
「そうかな」
「もしそうなら」
譲は望美から目をそらして、吐き捨てるように言った。
「こんなずっと一学年違いとかじゃなくてずっと同学年でよかったじゃないですか。
七月生まれと八月生まれ。これが三月生まれの俺と四月生まれの兄さんなら。
年子で同学年ってことだってありえたかもしれない。
今更同学年なんて面倒くさいだけですよ。兄さんと修学旅行行けたって嬉しくもなんともないです」
「じゃあわたしも留年しようかな」
「そんなこと言って本当になったって知りませんよ。
あっちにいるうちに先輩の頭から英単語と公式が吹っ飛んだんじゃないですか」
「でも歴史の勉強できたもん」
「あちらとこちらでは歴史が違ってしまったから意味が無いですよ」
「うー。譲くんの意地悪」
あっちに飛ばされた後の期末試験はわりとさんざんだったみたいじゃないですか。とにこりと譲は笑う。
これくらいの意地悪今なら赦されるだろう。
どうせ兄さんが帰ってきたら二人で俺に悪夢を見せてくれるんだから。
あんまり遅くなるようだったら……知らないからな、兄さん。