破鏡不照



 −4−



私が今この世に存在することが全ての過ちの始まりだった。
間違いであったとは、私が言うことは赦されないが。
確かに平家は間違いを起こした。
三種の神器である八尺瓊勾玉の力で、死んでいった私を
死人を黄泉から呼び戻すという……禁忌を犯した時から、歪みは始まってしまった。
生前どれほど雅を愛し、……虫も殺せぬほど穏やかで優しい、
武門に生まれながら武将には不向きと叔父上に嘆かれていた方が、
平家の男子なら、戦場に出て当然であると私に解く。
私も戦場に出ることは必然と思ってはいたけれど、
あの優しかった惟盛殿がそんなことを口にするのは悲しかった。
私のつたない笛にも喜んでくださった優しかったあの方が。
目を閉じれば六波羅で皆と暮らし、内裏にも伺候していたころの
華やかで、平和だった生活が浮かんでは消えた。
燃えてしまった六波羅の邸。都落ち。そして流転と、戦続きの日々が始まったのだ。

でもまだ平家には還内府殿がおられるから。
将臣殿がおられればこれ以上大きく道を外すことはないだろう、
そう私は信じている。
こうして山ノ口に陣を敷き、もう一つ偽の陣を鹿野口に敷いて、
そこへ源氏軍を誘い込もうと策を練られても、
その陣に引き込まれた後は源氏軍が引いてさえくれればいいと、
無用な戦は避けたいとおっしゃっておられた。
その志は信じたい。
だからこそ、惟盛殿の申し出を受け、こうして三草川の河原で、
待ち伏せる隊に加わったのだ。
押し寄せる源氏の軍に押され、あっという間に乱戦になり、我等平家軍は壊走した。
途中で力を解放した後のことは、私は覚えていない。
目を覚ましたとき飛び込んできた一面の白に私は絶望し覚悟を決めた。
しかし、思いがけないほどの手厚い看護をしてくれたのは譲という少年だった。
草むらで、力尽き倒れた私を見つけてそのまま置いていくわけにはいかないと
譲殿は私を背負い、源氏の本陣まで運んでくれたのだという。
水を含ませてくれたり、薬を飲ませてくれたり、
敵に与していた私に手を尽くしてくれた。
寝かされた天幕に、勢い良く誰かが入ってきた。
白い衣に、笹竜胆の紋……源氏の将、源九郎義経殿、か。
彼は凄い剣幕で譲を追及し始めた。

「こいつは、何だ」
「ただの怪我人です」
「何故、助けた」
「……倒れている人を助けるのは普通のことじゃないんですか。
俺の判断で、ここまで連れてきました」
「今は、戦だ。
この衣、絹じゃないのか。それもかなり上等な。……こいつは平家の将なんじゃないのか」
「おや、見る目がありますね、九郎」
「茶化すな、弁慶!」
「怪我人の前です。静かにしてください」
「譲!お前!!」
「平家の将だったとしても、今は怪我人です」
「この軍を兄上から預かっているのは俺なんだぞ!
俺の許可なしに、敵を介抱するなんて」
「……まあまあ、九郎、それくらいにしてください。
譲くん、そこを退いてください。僕が診ましょう」
「弁慶!」
「……話を聞くにしても、彼が話せない状態ではどうにもなりません。
望美さんの話ですと、彼は八葉とのことですし、ね」

弁慶殿がすっと私の左の手のひらをかえせばそこには玉のようなものがあった。

「この宝玉は彼が八葉である徴です。
九郎、それでも彼を討ちますか」
「……平家の将なのかもしれないんだぞ」
「だとしてもです」
「弁慶!!
源氏のものよりもそいつを優先して診るのか」
「僕はそんなことは言っていません。
重症なものたちの手当てはとうに終わっています。
軽微なものたちにももう、薬は渡してきましたよ」

九郎殿はやり場のない怒りを柱にダンとぶつけると、
天幕を出て行ってしまった。
弁慶殿は肩をすくめると屈みこみ、傷の手当を始めた。

「すまない」
「いえ。いいんですよ。これでも私は薬師でもありますからね」
「私は……」
「今は、休んでいてください。
君は怪我をしているんです。怪我人に、平家も源氏もありませんよ」
「すまない」
「いいえ、俺は、先輩が貴方を助けたいと言ったから助けたまでです。
礼は先輩に言ってください」
「いや、君も、ありがとう」
「貴方は先輩を守る八葉ということですから。
気にしないで休んでください」
「八葉……私が?」

この穢れた私が、清らかな龍神の神子を守護する八葉だというのか。
…………………そんなはずはない。
一度黄泉への坂を下った私が、八葉などと。
けれど手のひらを見れば確かに今まで無かった宝玉が嵌っていた。
とろうとしてもそれはびくともしない。

「ああ、無理をして動かしてはいけません。
幸い傷はそれほど深くはないようですし、
もう少しで熱も下がるでしょう。
譲くん、暫くしても熱が下がらなければこの薬を飲ませてやってください」
「わかりました」
「すまない」
「いえ。気にしなくていいんですよ。
君が八葉なら、僕たちは仲間、なんですから」

微笑むと弁慶殿は立ち上がり、天幕を出て行った。
譲殿は忙しく働きまわっている。
すまない、と言えば、俺に出来ることはこれくらいしかないからと笑った。
彼だって先ほどの戦に出ていたのだ。
そして、私を背負いここまで運んでくれたのだ……疲れていないはずはない。
問えば、少し気持ちが高ぶって今は寝られないからいいのだ、と苦笑いした。

「傷の様子はどう?
あっ、譲くんまだ寝てない!」

天幕へ飛び込んできた少女を譲殿がたしなめる。

「先輩こそ、疲れたでしょう。先輩こそ寝てください」
「わたしはちょっと仮眠したもん。
譲くんこそ休んできなよ」
「……先輩、怪我人の前ですから少し、静かにしてください」
「はーい。
……あの、傷の様子はどうですか?」
「助けていただいてすまない」
「貴方はわたしの八葉ですから。守りますよ。
……敦盛さん」

いつ私の名前を知ったのだろう。
驚いて見上げれば、譲殿もぎょっとした顔をしていた。

「平敦盛……ですか」
「そうだよ。ね、敦盛さん」
「貴方に名乗った覚えはないのだが」

警戒心を顕にした私に、少女は微笑んだ。

「八葉のことはわたし、わかるんです。
……それではいけないですか?」
「貴方が龍神の、神子」
「そうです、敦盛さん」
「先輩?」
「あっ、九郎さんにはまだ内緒ね」
「……わかりました」
「それよりも、譲くんは休んでほらほら」
「俺は彼の看病がありますし」
「敦盛さんは私が見てるから大丈夫だよ」

譲殿はふうと大きく溜息をつくと、困ったように笑った。

「言い出したら聞かないから、先輩は。
だいぶ容態も落ち着いてきたからもう、大丈夫だと思います。
しばらくしても熱が下がらないようなら、この薬をって弁慶さんから預かりました」
「うん、わかった。
ちゃんと休まないとダメだからね!」
「……わかりました。
じゃ、ちゃんと休んでください。ええと」
「敦盛、でいい」
「俺のことも譲でいいよ。敦盛」
「……わかった」

譲は頷くと天幕を出た。
神子は譲が出た後、すぐにうつらうつらしはじめた。
その穏やかな寝顔に、心が休まり、これからのことを考え始めた。
源氏の軍に捕らえられた今、平家へ戻るのは難しいだろう。
しかも自分は八葉なのだという。
伝説の存在であった龍神の神子が目の前にいる。
龍神の神子は、怨霊を鎮め、浄化、封印する力を持つのだという。
怨霊と化した平家の者達を浄化し、浄土へ導くことが貴方にならできるということか。
私にはたいした力など無い。
平家に戻っても私に出来ることなど何も無いだろう。
この封じられた穢れた力を解き放たないように、人を避けて暮らすだけ。
もしくは、力を解放して平家の為に戦い、人を屠るだけ。
自分の意思とは関係なく、怨霊と化した私の性は時に破壊を求めるようになった。
人としての心をいつまで保てるかわからない。
私もいつか惟盛殿のように豹変してしまうかもしれないのだ。
本当に平家を救いたい、と願うのならば、怨霊となって黄泉還った皆を
浄化することこそが本当の救いなのではないだろうか。
……けれど、これは平家に対する裏切りだ。
本来穢れ無き存在である龍神の神子を守護する八葉も
穢れ無き清浄なものであるべきだろう。
けれど怨霊である私が八葉に選ばれたことに意味があるのなら。
きっとそれが私のさだめ。
そのために黄泉より戻されたのだろう。
等しく黄泉より戻った皆を再び眠らせるために。
覚悟を決めなければ。
優しかった兄上の顔が浮かぶ。
……兄上を私は救いたいのだ。
兄上にとっての真の救いは、……やはり魂の浄化だろう。
優しかった兄上が豹変するのはやはり見たくはないし、
優しかった兄上だからこそ、自分がそうなるのは耐え難いことだろう。
私が源氏の軍に同行し力を尽くすことで、鎌倉殿への恩赦を請う事は出来ないのだろうか。
伝え聞く鎌倉殿の気性を考えれば、あまり現実的ではないのかもしれない。
けれど九郎殿は、情に厚いかただと聞いている。
先ほどは感情的になられていたけれど、あれは情に厚いしるしではないのか。
還内府殿がいる限り平家はこれ以上間違った道へ舵を切ることはないだろう。
私が別の道を模索しなければ。
そんなことを考えすぎてまた熱が上がったのだろうか。
朦朧としてきた私の額に手を当てたのは、譲だった。

「熱、上がってきたみたいですね。
薬を今、用意します」
「……譲?」
「起き上がれますか?」
「ああ」

譲は力が入りきらない私の身体を支えて、薬湯と、そして水の入った筒を渡してくれた。
わかっていても薬湯はやはり苦く、水で押し流す。
苦い、と顔を顰めた私を少し笑って、譲殿は床へ横たえてくれた。

「弁慶さんの薬は良く効きますから。きっと朝には熱が下がると思いますよ」
「ありがとう、すまない」
「いいんです。
……俺が行った後先輩はすぐ眠っちゃったんじゃないですか?」
「ああ」
「まったく、仕方のない人だな」

譲は困ったように、穏やかに笑って。
持ってきた衣を眠ってしまった神子にそっとかけた。
神子は良く眠っているようで、ぴくりとも動かない。

「先輩が一番疲れているのに、いつも人のことばっかりだから」
「優しいひと、なのだな」
「…………。
よく休んでくれ、敦盛。
景時さんにも話はしてあるから、そう悪いことにはならないと思う」
「!
……ありがとう、譲」
「九郎さんはまっすぐだけど、悪い人じゃないから」
「わかっている」

じゃ、おやすみ。
私にそう声をかけると譲は天幕を出て行った。


背景素材:空に咲く花

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