破鏡不照



 −3−



あの時、濁流の中望美の手を離さなければどうなっていたんだろうか、
考えても仕方の無いことだと思いながら、ふと考える。
この状況に望美がいなくて良かったと思う気持ちもあるし、
二人でいれば何処にでもいけただろうという希望もあった。
伸ばしてみた手をくしゃり、と握る。
結局今、望美がここにいない。それは紛れもない事実だった。
もう三年もの月日が経った。
平家に拾われて、色んな出来事があった。
栄華を極めた後の、流転の日々。
武士の一門でありながら、豪奢な生活に慣れた皆は質素な暮らしは辛いようだった。
木の根をかじり、泥水を啜り、物を盗み、生きていくのが精一杯、
平家に拾われるまでそんな日々を送った俺には、まだそんなのは序の口だと
言ってやりたいこともあったけれど、彼らはもう俺にとっての家族なのだ。
彼らを守ってやりたいといつしか思うようになった。
だからこそ、似ているといわれた平重盛の影として還内府と呼ぶことも赦した。
それで平家が滅ぶ歴史の流れが変わるのなら、と。
清盛……俺に父と呼ぶことを赦してくれたあの人の、本当の心の支えは、
優秀であったとされる長男、重盛だったのだろう。
彼の死こそが、平家の凋落の始まりだったのかもしれない。
ならば、俺の存在で、貴方を支えることが出来るのなら。
俺は重盛ではないけれど、そう名乗ることも躊躇わずにいよう。そう思った。
きっと本当の重盛も、それならば赦してくれるだろうと願って。

望美は、……譲は何処にいるのだろう。
必死で探し回った。けれど見つからなかった。
望美と譲は一緒にいるのだろうか。
だとしたら、譲は望美を守れているんだろうか。
同じ時代に落ちていたとしたら。
こんな戦が普通に起こる世の中で戦火の中二人が逃げ惑っていたとしたら。
そう考えるだけでたまらなかった。
けれど、二人は見つからない。
三年の歳月は俺を変えていた。今二人が俺に会えばどんな顔をするのだろう。
二人も変わっているのだろうか。
それともまったく変わらないままなんだろうか。

望美の笑顔が見たかった。
毎日当たり前のように見ていたそれ。もう三年近くも見ていないのが嘘みたいだった。
死にそうな局面に直面するたび、望美にもう一度会いたいと願うことで乗り切ってきた。
どんなに泥に塗れても、血を浴びても、望美に会うことが心の支えだった。
幾度と無く血にまみれ、斬れなくなっては研ぎ直したその大太刀。
最初重いとおもっていたそれは今はしっくりと手に馴染んでいる。
今二人はどうなっているのだろう。
眼鏡の奥に情熱を隠して、譲は望美を見つめていた。
もし同じ三年の月日を二人が一緒にいたならば、関係はどう変わっているんだろう。
どう変わっていたとしても、二人に会いたかった。
夢の中だったとしても。
非科学的な話だとは思う。現代なら笑い飛ばして終わりだろう。
この時代、会いたいと願えば会いたい人に夢で会うことが出来ると信じられていた。
三年の間どれほどお前に会いたいと願っただろう。
最初は馬鹿な話だと鼻で笑っていたけれど、いつしか夢でもいい。会いたいと願うようになった。
けれどお前は一度も夢には現れてくれない。
……俺に会いたくないのかよ。
そう思うともっと寂しくなったのに。会えるのなら夢でも会いたかった。
そう願い続けたからか、久々に俺はお前に会った。
懐かしい校舎の中、懐かしい制服の……あの時別れた時の姿のままで。
元気そうだった。
懐かしい笑顔に俺は胸をいっぱいにしながら、いつものとおり振舞った。
お前は俺を探している、と言ってくれた。
この世界にまだ来てそれほど時間はたっていない。
……譲も、一緒に、いるのだと。
ざわりと心は揺れた。けれど会う約束を確かに交わした。
夢での約束。本当に会えるのかわからなかったけれど、確信はあった。
待ち合わせの場所で俺は待った。
現れなくとも、時間が赦す限り俺は待ち続けるつもりだった。
そして、……望美は現れた。
あの時のまま。
譲と、望美だけ時間が止まっていたかのように変わらない姿で現れた。
望美の変わらない笑顔、そんな望美の世話を当たり前のように焼く譲。
心なしか二人の距離が近いように感じたのは、俺の僻みなんだろうか。
いや、違う。
譲は望美との距離を縮めていく覚悟を決めたんだろう。
そんな感じだった。
惚れた女を守るために、遠慮はやめたということか。
眼鏡の奥には変わらない情熱。
見透かしてやろうかと目を覗けば、かつての譲なら目を逸らしただろう。
けれど、今の譲は目を逸らそうとはしなかった。

お前諦めるのは止したんだな。

諦めようとしても出来なかったのは俺も同じ。
別に遠慮をするつもりもなかった。
ニヤリと笑えば、譲は仕方なさそうに溜息をついたけれど、
俺の中の記憶の譲とはと違って逃げるように目をそらすことはしなかった。
望美は当たり前のように俺が一緒に行けるものだと思っていたらしい。
けれど、俺には今守らなければならないものがある。
ずっと一緒には行けないが、時間が赦す限りは一緒にいたかった。
望美の力になってやりたかった。
まだ、時間はある。
望美に同行してやると言えば、嬉しそうに笑ってくれた。

春の京は、焼かれた場所もあるけれど、桜も咲いて賑わっていた。
望美たちと一緒に京を巡り怨霊を鎮める。
……俺たち平家が作り出した怨霊の気に惑わされて、
土地に眠っていた怨霊までが目覚め、騒いでいるのか。
望美はそのひとつひとつを浄化、封印していく。
ゆっくりと眠って、と祈りをこめながら。
俺は怨霊を作り出すことは反対だった。
けれど怨霊がいなければ源氏軍に対抗するだけの兵力は平家には無かった。
……守るためには手段は選べない。
シビアな状況に追い込まれた現在、もう、迷ってなどいられなかった。
けれど、平家を守るためのものとはこれは別だ。
平家が放った以外の怨霊が土地を汚し、人を襲うのならそれは鎮めた方がいい。
望美にはそれが出来るのだから。
そして土地が汚され、弱った龍脈が正されれば、
白龍の力が蘇り、元の世界に戻れるのかもしれないと譲は言っていた。
ふたりは元の世界に帰りたいのか。
かつて俺もそう思っていたのかもしれない……けれど今はそうは思えない。
平家の皆を平和な場所へ連れて行き、滅びを回避できるまで俺は帰りたいとは思えないだろう。
その後のことはまだ、考えてはいない。
考えられる余裕もなかった。
そうやって京を巡るうち、星の一族が住むという嵐山を訪れた。
星の一族は龍神の神子である望美を恐縮しながらも迎え入れてくれた。
そして俺たち兄弟を星の一族ではないのか、と言った。
何でも数年前に消えた姫の名前は菫姫というのだという。
俺たちのばあさんと同じ、名前。
そしてばあさんが譲に託した白い玉は龍神の宝玉であったらしい。
ばあさんは念仏のように事あるごとに俺たちに望美を守れと繰り返し、
……遺言もそうだったのはそういうわけなのか。
星の一族には未来を見る力と、現在の気を辿る力があるのだという。
つまりばあさんは、望美がいつかこうして龍神の神子として
こっちに飛ばされ、俺たちが八葉として選ばれるのを知っていたんだろう。
ばあさんは特に望美を可愛がったのはそのせいもあったのか。
実の孫の俺たちよりも、ずっと望美を甘やかして、少し面白くないと思ったことがあった。
今ならわかる。
星の一族の役目は、龍神の神子の力になることなのだと言う。
つまりそういうことだったのだ。
もしかしたら、譲が望美の世話を焼きたがるのもそのせいなのかもしれないな。
ニヤリと笑えば、譲は嫌そうな顔をした。
一見誠実そうに見える譲に、その女は星の一族の役目を頼みます、と念を押した。
譲は恐縮しつつも、わかりました、と力強く答えていた。
望美を守る大義名分が増えることは譲にとっては悪いことではないんだろうな。
そう思いつつ、星の一族が未来を夢に見る力があると女が語った時、
譲の表情が曇ったことだけが気にかかった。



京に滞在する間、宿を取るのもなんだし、
ひとり増えても変わらないからと景時の京邸にやっかいになることになった。
一部屋用意されるのも悪いと譲の部屋に泊まっている。
譲は夜、魘されていた。
何だ?と思って見てみれば、譲は暗闇の中手を伸ばし、
何かを掴もうともがいていた。
悪い夢なんだろうと、揺すって起こせば、譲は青ざめた顔で飛び起きた。

「…………!!!!」
「おい、どうしたんだ、譲」
「ああ、……兄さん。起こしてしまったんなら、悪い」

譲は頭をぶんぶんと振ると、水を飲んでくると立ち上がった。

「悪い夢でも見たのか」
「……」
「そうなのか」
「……兄さんには、関係ない」

譲は俺の問いに答えないまま、ぴしゃりと戸を閉め、水を飲みに部屋を出た。
だんまりを決め込んだ弟の強情さを久々に見て、苦笑いする。
ああなったらもう何も話そうとはしないだろう。
けれどあの汗、あの表情。尋常じゃない。
戦の夢でも見ているのか。
例えば、自分が殺される夢、とか。
俺も昔そんな夢を見たことがあった。
初めて出た戦のあとは良くそんな夢を見たことを思い出す。
……こっちに来たばかりで慣れない事もまだ多いんだろう。
普通にしていてもストレスはかなり溜まっているのかもしれない。
でもこの家の人は望美にも譲にも良くしてくれる。
景時も朔も悪い人間じゃない。……ここにいれば大丈夫だろう。
そんなことを考えていたら、譲が戻ってきた。

「まだ、起きてたのか」
「まあな、一応心配だからな」
「起きてなくても別にいいよ」
「まあ、そう言うなよ」

眼鏡を外し、譲は褥に潜り込んだ。
頭まで被って俺に背を向けたのは、俺とは話したくない意思表示。
大人ぶってもまだガキだなあ。
ああ、ガキだから大人ぶりたいのか。
俺は苦笑いした。

「おい、譲、眠れねぇのか」
「……兄さんが煩くするから眠れない」
「おいおい、お前が魘されてるから俺が起きたんだぜ。
すっかり眠気が覚めちまった。
お前もこのままじゃどうせ眠れないんだろう。
ちょっと付き合えよ」

俺はむくりと起き上がり、酒の入った壺を引き寄せる。
まだ少し、残っていたはずだ。

「俺、まだ未成年だよ」
「……そうだったな。
まあいいじゃねえか寝酒だ寝酒」
「兄さんオヤジっぽい」
「うるせえ。……黙ってまあ呑めよ。
ちょっと舐めれば朝までぐっすりかもしれないぜ」

譲はしぶしぶ起き出して、ついでやった杯を少し舐めた。

「……辛い」
「そうか?」
「兄さんこんなの呑んでるのか」
「うまいだろ?」
「辛いだけだよ」
「まだガキだな」
「……どうせ酒の味もわからない子供だよ」

譲は勢い良く、ばたん、と寝転がり、……寝息をたて始めた。

「もうかよ。
ちぇ、弱えーなー。もう少し呑めると思ったのによ」

勢い良く寝転がったせいか、しっかりと上掛けがかかっていない。
仕方ねえなあ、とかけてやれば、潜り込んですーすーと気持ちよさそうに眠りだした。
寝顔が幼い。

「お前はまだ16なんだもんな」

前髪をすけば俺の髪とは違う癖の無いさらさらとした髪。
直接言葉に出して言うのは何だか悔しくて躊躇われたけれど。
眠っている今ならいいか。

「……俺がいない間、望美を頼むな」

聞こえているはずもないのに。
むにゃむにゃと何かを答えた譲に苦笑いして、
俺は再び床に横になった。
こうして床で眠れることは幸せなことなのだと二人が気付く日が来ないように祈って。


背景素材:空に咲く花

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