有川家の台所に漂うシナモンの香りに望美は陶然となった。
 この香りは!
 勢い良く望美が駆け込むのとオーブンから譲がかぼちゃプリンを取り出すのがほぼ同時で、
 譲はとっさのところでプリンを死守する。

「先輩、いきなり駆け込んできたら危ないですよ。まだ熱いんですから」
「ごめんね!だって嬉しくて!」

 しゅんと項垂れる望美にふと譲はあることを思いつく。
 確かにこれは貴方の為に作ったものだけれど。
 望美は自分が食べれないなんて考えてもいないらしい。
 まったく貴方という人は、仕方のない人だな。

「いたずらばっかりの人にはお菓子をあげませんよ?」
「そんなあ!!」
「でもハロウィンですから。
 俺が貴方にお菓子をあげざるを得ないようないたずらを思いついたら、
 プリンをあげることにしますよ」

 普段譲が言わないような冗談に望美は目を丸くする。
 譲は期限はプリンが食べごろになるまでですよ、とにっこり笑い
 プリンを冷蔵庫にしまった。
 どんないたずらで望美は自分を驚かせてくれるだろうか、
.  望美は自分には到底思いつかないような事を考え付く天才なのだ。
 どんな突拍子のないことでも自分を驚かせるために考えてくれたのなら嬉しい。
 でももし思いつかなかったとしても、二人で食べるつもりだった。
 また仕方の無い人ですね、とでも笑って。
 望美の笑顔を思い浮かべて作った望美のためのものだから。


 望美は真剣な面持ちで「わかった」と言うと、
 自分の家に帰って行った。

 らしくないことをして落ち着かない自分がおかしかった。
 貴方はどんな悪戯をしかけてくるんだろう。
 可愛い悪戯?怖い悪戯?
 どんな悪戯だっていい。
 悪戯を考えることは、つまり譲が何を驚くか、あわてるか考えること。
 つまり貴方が俺自身について考えてくれること。
 貴方の貴重な時間を使ってくれること。
 それ自身が嬉しいことだから。
 どんな悪戯でもかまわなかった。
 でも、貴方は俺の考えの斜め上をいく人だから。
 ……若干の不安は残る。

「貴方はどんな悪戯をしかけてくれるんでしょうね」

 パンプキンプリンがおいしく冷えるにはもう少し時間がある。
 場合によってはもう一品くらい追加したっていい。
 ……パンプキンフィリングのモンブランとか。
 かぼちゃはまだ残っているし、生クリームだってある。
 貴方はまだパンプキンプリンだけだと思っているはずだ。
 もう一つお菓子が増えたら望美は喜ぶし、驚くだろう。

 結局俺は貴方に甘いな。

 でもそんな自分が嫌いではないし、望美の喜ぶ顔はいつだって見たい。
 譲は読んでいた雑誌をテーブルに置き、ソファーから立ち上がった。
 貴方と俺はいったいどっちが驚くんでしょうね。
 ……望美の笑顔を思い浮かべながら、譲は再びキッチンに立った。



「……で、どういうことですか、これは」

 譲は当惑して目の前の望美を見た。
 悪戯だよ?
 そう笑った望美は携帯を手に笑う。
 これが、悪戯ですか。
 ……譲の頭の上に載っているのは黒い猫耳カチューシャ。
 驚くというか、驚かされるというか、途方にくれるというか。
 まったく貴方は期待を裏切らない人だ。いい意味でも悪い意味でも。
 驚かされるのだとばかり思っていたら、困らされるなんて。
 望美はかけつけてくるなりこれを譲の頭の上に載せた。
 かれこれ五分、外す外さないと問答が続いている。

「面白い悪戯思いつかなくて。
 でもとりあえずお店を見てみようと思って……これがあったの」
「俺より貴方のほうが似合いますよ、こういうのは」
「ああ、外しちゃダメ!!」
「外したいです」
「ダメ!!」

 望美は譲を押し留めると、白い猫耳カチューシャをすぽっと頭にのせた。
 これでおそろいでしょ?
 にっこりわらうと望美は譲の腕を強引に組んで携帯のカメラを向けた。
 ツーショットでとるということか。
 ……写真に残すのはちょっと。譲は及び腰になる。

「譲くん笑って!笑って!」
「笑えませんよ」
「ほら!」
「嫌です!」

 望美は目を細めると組んでいた腕を解いて譲の脇腹を擽りはじめた。
 譲は逃げようとして、後ずさり、ソファに倒れこんでしまう。
 望美は手を緩めようとせず、弱いところばかりを的確に狙い、譲は息も絶え絶えなほど笑い転げた。
 笑いつかれて抵抗できなくなったところで、望美は譲を引き寄せて携帯のカメラでパチリと撮った。
 譲は絶望的な気持ちでシャッター音を聞く。

「先輩」
「なーに」
「先輩方には見せないでくださいね」
「何で?」
「恥ずかしいからです!!」
「可愛いのに」

 きょとんとして譲を眺める望美。
 譲は顔を覆いたい気持ちを抑えて望美に懇願する。

「可愛いって言われて喜ぶ男はいませんよ」
「えー?」

 不服そうな顔で望美は譲を見る。
 譲はさっきさらに用意したかぼちゃのモンブランの存在を思い出す。
 ……こんなことで貴方を懐柔しようとする俺は本当に情けない。
 そう思うけれど、貴方がそれをクラスメイトに見せたりすることを考えれば
 背に腹はかえられなかった。

「俺も、貴方を驚かせたら、ご褒美もらえませんか?」
「ええー?」

 不服そうな顔で貴方は俺を見る。
 俺はソファーから立ち上がり、やかんに火をかける。
 濃い目のアッサムにしよう。
 お湯が沸いたら、丁寧にお茶を入れる。
 トレーに切り分けたかぼちゃプリンと、かぼちゃのモンブラン。
 そして紅茶を載せ、今に戻ると望美から感嘆の声があがった。

「あれ!さっき作ってたの、プリンだったよね」
「貴方を驚かせたくて、余ったかぼちゃを使って作ってみたんです」
「うわー!」

 望美は目をキラキラさせながら、譲を見上げる。
 ……これで譲歩を勝ち取ろうという譲には眩しすぎる眼差しに、一瞬ひるみながら、
 譲は躊躇いがちに望美に提案をする。

「驚いてもらえましたか?」
「うん!!凄いよ!!おいしそう〜」
「驚いたんですよね」
「うん!」
「……じゃあ、さっきの写真は他の誰にも見せちゃダメですよ」
「ええー?」
「でないと、それはナシです」
「けちー」
「けちじゃ、ないです」

 折角可愛いのに。
 そう呟いて携帯を覗く貴方の手からそれをとり上げて消してしまいたい衝動を堪える。

「どっちにしますか。これを食べたら」
「……うー」
「約束してくれなかったら、これは」
「……わかった!わかったから!」
「約束ですよ。こっそり見せればバレないとか無しですよ」

 一瞬ギクっとしたように貴方は俺を見て、ばれたかと笑った。
 貴方と何年付き合ってるとおもってるんですか。
 貴方はちゃんと約束は守ってくれるけれど、たあいのないことと貴方が判断した途端、
 反故にされてしまうことって結構ありましたからね。
 じとっと貴方を見つめれば困ったように笑う貴方がいて。

「譲くんにもこういう可愛いところがあるって知って欲しいのに」
「そんなこと……先輩だけが知ってればいいんですよ」

 俺だけが知る貴方。
 貴方だけが知る俺。

 俺だけが知る貴方を俺は誰にも知って欲しくない。
 それは独占欲だとわかっているけれど。
 貴方にも少しはそういうところがあってくれてもいいのに。
 ……期待してしまうだけ、無駄なんだろうか。
 貴方は口の中で『わたしだけが知ってる譲くん』と反芻すると
 にっこりわらって、そんなの皆に見せちゃったらちょっと勿体無いかもと笑ってくれた。
 少し照れた顔をして携帯の画面を見つめる。
 ……変に意識させてしまってしまったかな。
 ぎくしゃくしたいわけでもないけれど。貴方と俺の関係は少しずつ、少しずつ幼馴染を脱していく。
 お互いを知りすぎているから、すぐそういうお付き合い、なんて照れくさくて。
 でも一緒にいたい。その気持ちは本当で。
 少しずつ育てていければいい。貴方と俺の新しい関係。
 幼馴染ではない、何か。
 そう考えると俺も照れくさくなり、とりあえずお茶を勧めてみた。
 貴方はにっこり笑ってお茶を飲み、かぼちゃプリンにスプーンを入れ、感極まった声を出した。
 貴方のその顔が見たくて、俺は貴方にお菓子を作る。貴方が喜んでくれるから。
 俺は何度でも作ろう、俺に出来ることなら何でもしよう。
 貴方が喜んでくれるなら。
 ……ぼうっとした頭で貴方をもう一度見つめると、貴方は白い猫耳をつけたままで。
 よく見ればそれは貴方にとても似合っていて。
 俺は思わず赤面してしまう。
 貴方は何故俺が照れているのかわからないみたいだ。

「……カチューシャずっとつけていたら、頭痛くなりませんか」
「そうかも」

 貴方と俺はお互いにカチューシャを外して笑いあい、
 ハロウィンのお菓子を楽しむことにした。
 後でちゃんと写真を撮りませんか?と言ったら貴方は笑っていいよ、と言ってくれた。

背景画像:ミントBlue

TRICK OR TREAT? 譲望ver.