「もう!馬鹿!!」

 ベッドの中にまで論文を持ち込んで読みふける幸鷹さんをわたしは叱り飛ばした。
 まったくこの人は放っておいたらこれだから。

「もう、だいぶいいんです」

 嘘つき。
 目が潤んでるし、顔も赤いし、力だって入りそうにないじゃないですか。
 強引に額に手を当てれば、やっぱり熱い。

「もう!また熱上がってますよ」
「そんなことは」
「……体温計で計ってみますか?」
「…………遠慮しておきます」

 わたしが黙ったのをいいことに、幸鷹さんはまた論文を読み始めた。

「そんな状態で読んで、頭入りますか?」
「失礼な」
「……そういう状態の幸鷹さんに読まれたら、一生懸命書かれたその論文の方が
 可哀想です。幸鷹さんはそんな状態の人に評価されたいですか?」
「…………されたくありません」
「だったらちょっとは寝てください」
「今だって寝ています」
「ちゃんと、眠ってください」

 だだをこねる幸鷹さんから、論文を奪い取り、
 サイドテーブルに置かれたノートパソコンも没収。
 そんなところにおいてあったらわたしがこの部屋を出たとたんに、
 仕事を始めるに決まっている。
 幸鷹さんはふとんの隙間から、ううといううめき声を出して言った。

「あの、パソコンは置いていってもらえませんか?」
「だめです」
「花梨」
「だーめ。ちゃんと寝ないといつまでたっても風邪が治りませんよ?」

 わたしはべえっと舌を出して、ぴしゃりとドアを閉めた。
 ちょっと厳しく言い過ぎたかな。
 でも、こうでもしないと幸鷹さんはちゃんと休んでくれない。
 数時間でもきちんと休めばだいぶ違うのに。
 本当に幸鷹さんは自分の身体を省みないんだから。
 来てみたら風邪を引いて寝込んでいるなんて、
 どれだけわたしが心配したかわかろうともしない。
 まったくもう。大きなため息をひとつついて、キッチンにむかう。
 弱火にしておいたおかゆ、いい感じに焚けたみたい。
 たまごを落として、ふたを閉める。
 買ってきたこんぶの佃煮と、いっしょにお盆にのせて、
 幸鷹さんの寝室へ向かう。
 コンコンとドアをノックすれば、ドアの向こうであたふたする空気を感じた。
 ……もしかして。
 がちゃりとドアを開ければ。
 わたしの没収をまぬがれた論文を幸鷹さんは読んでいた。

「ゆーきーたーかーさーんー?」
「すみません」
「……幸鷹さんのために作ったこのおかゆがお預けになるのと、
 その論文がお預けになるのとどっちがいいですか?」
「おかゆを作ってくださったのですか?」
「…………ええ」

 台所を見ればずぐにわかる食事状態。
 ろくなものを食べてないんでしょう?
 ごはんを食べなきゃ、お薬だってのめないのに。
 悲しくなったわたしは大きく肩でため息をつく。

「幸鷹さんが本調子なら。
 もうこの論文読み終わってます。ちゃんと身体を直さないと。
 かえっていつまでも終わりませんよ?」

 お仕事が終わらないと、デートもおあずけ。
 そういうことを考えてしまうわたしは嫌な女の子なのかな。
 幸鷹さんはじっとわたしを見つめて、すみません。と謝った。

「貴方が折角作ってくださったおかゆを戴きたいのですが」
「あっ、はい。
 熱いので、気をつけてください」

 と言った途端、幸鷹さんは舌にやけどをしたみたいだった。
 もう!という気持ちが顔に出ていたのだろうか。
 幸鷹さんは笑って、

「じゃあふうふうしてもらってもいいでしょうか」
「食べさせるってことですか?」
「そうです」
「わかりました」

 そんなことをいう幸鷹さんが珍しくて。
 わたしがひとさじすくっては冷ましていくのをじっと待っている幸鷹さんが、
 なんだか可愛いなあと思いながら、ひとさじひとさじ冷ましていく。
 そういえば、味見したっけ?
 なんとなく気になって。
 冷ましたひとさじをぱくりと食べれば、じっと待っていた幸鷹さんが目を丸くした。

「あっ」
「……ああ、ごめんなさい。今日のちゃんと出来てるかなって。
 味見最後にしなかったから。うまく出来ててよかった」
「貴方が作るものはいつだっておいしいですよ」
「だといいんですけど〜。
 ちょっとイライラしちゃったから。とんがった味になってないか不安で」
「……とんがった味」
「怒ってたりすると、塩とかきつめにいれちゃったりするでしょう?
 ちゃんとやさしいまあるい味じゃないと、おかゆの良さが台無しじゃないですか」
「ちゃんと優しい味、しますよ。
 貴方の心遣いがちゃんと伝わるやさしい味がします」
「幸鷹さんの風邪が治りますように、って気持ちを込めて作ってますから!」
「……ありがとう、花梨」

 おかゆを食べきった幸鷹さんに風邪薬を渡す。
 きっちり二時間たったら起こしますから。
 本当ですね?と念を押す幸鷹さんを寝かしつけると、
 暫くすると静かな寝息が聞こえてきた。
 ……やっぱり疲れていたんですね。今はゆっくり休んでください。
 邪魔をしたくなくて、ベッドの脇から立ち上がったら。

「そこにいてください」

 眠そうな幸鷹さんの声に苦笑いして、ベッドサイドの電気を少ししぼって
 持ってきた本を読み始めた。

背景画像:ミントBlue

風邪をひいた貴方と 幸花ver.