天涯の花




  −2−


 荒涼とした崖の上に私をかつて愛してくれた人の墓はある。
 一応その場所は墓所の外れではあった。
 権力者の意に背いたことを恐れ、自殺と言う禁忌を犯した行いのせいで、
 墓所に墓を作ることを許されなかった親族がせめてもの情けを求めた結果がそれだった。
 植えられた花々よりも自生する野の花の方が彼女にはふさわしい気がして、
 私はそれもいいと思った。
 彼女の死に絶望した私は何度その崖を覗き込んだことだろう。
 でも結局私はその場で死を選ぶことが出来るほどに生きてはいなかった。
 彼女を死に追いやった領主への復讐を願うこともなく無気力のまま、
 私は流浪するに任せる人生を送ってきた。
 レヴィアス様に出逢った後も、連れは増えても結局旅は続いた。
 私がテレサに惹かれたのは、大地に根をおろして生きてきた民特有の大らかさ、
 そして力強さだったのかもしれない。
 私もただ流れることを止め、根を下ろし生きてみたいと。いつの間にかそう願っていた。





「ここに、帰ってきたのか」

 何年ぶりになるだろう。
 雑草と野薔薇が絡み合って茂る中に埋もれるようにささやかにその人の墓はあった。
 まだ墓だとわかるなのだから状態としては良い方かもしれない。
 完全に朽ちていないのは、誰かが時折訪れている証拠なのかもしれなかった。
 優しかった微笑み、学者になりたかったかつての内向的な私を支え
 励ましてくれた明るさ、強さ。今もまだ覚えている。
 でも失った痛みはとうに薄れている。
 そんな自分を薄情だと思った。
 けれど結局時間はどんな痛みですらも癒してしまう。
 遠い彼方へ押しやってしまう。
 かつてはあれほどくっきりと思い浮かべることが出来た面影もどこか朧げだ。

「私の薄情を君は詰るだろうか。
 ……それともそんな私ですら君は微笑みで包もうとしてくれただろうか」

 まさか自分で命を断つなんて。
 そんな激しさを秘めていたことに気付かなかった。
 それほどまでに自分を愛してくれたことがただ心苦しかった。
 今だから思える。
 私は確かに彼女を愛していたけれど、彼女の何を知っていたのだろう。
 彼女の激情に気付いていたら、命を絶つその前に共に逃げることだって
 出来たかもしれないのにかつての私はそうしなかった。
 気持ちは口にしなければ伝わらないと教えてくれたのはテレサだ。
 私はあの人にどれほどの気持ちを伝えることが出来ていたのだろう。
 そもそも人と意思の疎通を図ることを不得手に感じていたからこそ、
 かつての私は哲学という一人で思索することで成り立つ世界に篭っていたのだろう。
 そんな私を愛してくれた人を、私は愛しきれなかった。

「君たちがくれた命だから、私には粗末にすることは赦されない」

 力が抜け、膝を突けば腕の中の身体がずるりと地に横たわった。
 呼びかけても、答えはない。
 横たえて、うっすらと開けていた目を閉じさせる。
 頬についた血を拭えばまるで眠っているようだった。

「ショナ……?」

 礼拝堂に飾られた天使を思わせる端整な顔。
 少し乱れていた金髪も撫でればすぐにいつものように整った。
 あのアメジストの瞳で私に問いを投げかけてくることは、もうない。
 彼の問いに私が答えられたことは答えの出ていることばかり。
 生きることを止めていた私が考えることをとうに止めた答えの出ない無い問いには
 答えることはできなかった。
 苦しかっただろうに、浮かべた表情が心なしか満足げに見えるのは、
 私がそうであって欲しいと願っているせいだろうか。
 でも最後にショナは答えを見つけたと言っていた。
 ありがとう、とも。

「私はいい教師などでは無かったよ。
 こうして君を死なせた」

 君を君だけの世界から連れ出して、こんな場所まで来てしまった。
 本来なら私が教え子である君を庇うべきだった。
 ……君はとっくに私の教え子などではない。
 とうに私を導く、仰ぎ見るべき存在まで君は駆け上がっている。

「生きる意味を、死ぬ意味を悟れたなんて流石だな、ショナ。
 私にはまだわからない。
 ただ、生きたいと願っている。
 もう一度テレサに会いたいと願うただの男だよ」

 ただ一度触れた温もりにもう一度触れ、埋もれていたいと願う矮小な私には、
 結局レヴィアス様と共に革命を成功させることなど不可能だったのだ。
 ただレヴィアス様は誰よりも生きていた。
 エリス様を失ったレヴィアス様の心をあの時死なせずに済ませたことが
 私に出来る限界だったのだろう。

「キーファーにはセリーナを逃したいと考えた私の弱さを見抜かれたし、
 ジョヴァンニやカーフェイは結局テレサを私が手放せないことを知っていた。
 もっと、皆あからさまにからかってくれてもよかったのだ……」

 最終決戦の直前でなければ、きっと私の空回りは、皆の物笑いになり、
 さんざんからかわれただろう。
 テレサを好ましく思っていた騎士団員も少なからずいたのだから。
 レヴィアス様ですら、テレサを伴うことを願い出た時、やっぱりという顔をしていた。
 そして静かに肩に手を置きニヤリと笑った。
 私はあの方を闇の中に置き去りにしたのだろうか。
 同じ苦しみから私だけ救われても良かったのだろうか。
 そう思っても生きたいと願う自分の本能を誰が責められるだろう。
 愛するものを腕に抱きたいという想いは誰も止められはしない。
 今思えば王宮の門を冠闇と堕天に任されたのは、そうか。
 皆私に生きろと言っていたのだな。

「誰よりも生に執着しない態度をとってきた私を生かそうだなんて」

 頬を熱い何かが流れ落ちた。
 私は、泣いているのか。
 それを拭った袖には濡れた跡がくっきりと残る。
 涙を流すなど何年ぶりのことだろうか。
 私は彼女を失った時泣けなかった。
 失った悲しみに押しつぶされたわけではない。心が先に死んでいた。
 私は今、確かに生きている。
 戦いの最中に皆は生きていることを実感すると言っていた。
 血潮が滾るその感覚は何にもかえ難い快感で、病み付きになるのだと。
   私は一度もそんな感覚に囚われたことはない。
 常に一歩引いて全体を見回す参謀と言う立場だったからだけではない。
 私は万事醒めていた。
 周囲が血に酔い、戦に飲まれていく中でただ独り取り残されたような自分に
 違和感を感じることはあっても、そういう自分も騎士団には必要であると
 特に自分を変える必要性を感じなかった。
 なのに、ただ独り残された今、確かに生きていることを実感している。

「ずっと死んでいたような私が生き残るなど、どういう皮肉だ?
 他の騎士団長たちの方が殺しても死ななそうな者ばかりだったというのに」

 頬を伝う汗とも涙ともつかない何かを拭う。
 出逢った時、君は愛したちいさなものたちの墓に囲まれていた。
 愛することに手をかけることは幸福なことだと、真に愛した対象から殺されることも
 また幸福なことであるだろうと私は君に言った。
 今の私が君に言葉をかけたなら、何と口にしただろう。
 こんな別れになるとは……思いもしなかった。
 鞘から剣を抜き放ち、地に突き立てる。
 剣を得意とはいえなかったが、手入れを欠かしたことはない。
 それも最後の戦いで、刃はこぼれ、血や脂に塗れ、美しかった羽の意匠も煤けてしまった。

「これはもう私には必要ない。
 この剣が君たちの眠りを守ってくれると良いのだが。
 そのかわりショナ、君のナイフを貰ってもいいだろうか」

 騎士団にいた私もここに置いていく。
 君と共にその心はあるだろう。

「わかってはいたが、やはり……私は戦に向いていなかったのだな」

 ぽつりと呟いた言葉が風に消え、野薔薇が揺れる。
 あの人がそうだと微笑んでくれてたような気がした。


背景画像:空色地図
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