天涯の花
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草の根の切れる感触を感じながら掘り進める。
血に塗れていた手袋は硬化し、既に用を成さなくなって捨てた。
華やかとは言えないが、野薔薇の咲くこの地は君に安らぎを与えてくれるだろうか。
手を休め、伝う汗を拭うと泥が頬についたのか強い土の匂いを感じた。
私は先生と呼ばれる資格はないのかもしれない。
確かに何人かの生徒を持ったこともあるし、それを生業にしていた時期もある。
教えるのが下手なほうだとも思わないし、教えることが好きだ。
しかし、私が教えて来れたものなど微々たるもの。
教材に書かれていたこと以上のことを私は教え子に与えることは出来ただろうか。
今思えば私は教え子たちにこそ人生を教えられてきたような気がする。
少しでも人に教えたことがある人間なら周知の事実だろうが、
人は教わるよりも、他人に教えるときのほうが得るものは多い。
勿論過去に学んだことの復習になるから理解が深まることもあるし、
人に説明をするためにより理解しやすいやり方を模索せざるを得ないせいで
応用力が身についていくということもある。
けれど勉強を教えようとする私に対し、教え子たちはそれ以外の解を
私に求めることが多かった。
例えば私がその生徒に抱く好意の度合いについてだとか。
人が食べる以外の目的で他者の命を奪うことの意味だとか。
私がいかに人を愛することを拒み恐れてきたかさえ私は教え子に気付かされた。
答えのないものを求める気力を失い生きる屍だった私を生かしてくれたのは
出逢った教え子たちだったのかもしれない。
そしてまたひとりの教え子が、私に己の非力さをまざまざと知らしめる。
もともとショナに教えられることなど何も無かったのかもしれない。
彼は私が教えるまでもなく物事を瞬時に理解していた。
ただ少しの人生経験と、ショナよりはあった社会性が、
ショナが生きる世界を少しだけ優しいものに出来たのかもしれない。
誰にも理解されることなく閉ざされた箱庭で生きるよりは
騎士団での生活は実りの多いものになったのだろうから。
死を、そして生を理解したいともがく天才を私に上手く導くことなどできたのだろうか。
ただ研究には多くのサンプルが必要だとそれだけの理由でショナを誘った。
騎士団は常に生と死の狭間にある。
人の命を奪うことも、奪われる事も日常茶飯事だ。
たくさんの死に触れることでショナは何かを掴めるかもしれないと思っていた。
それに、あの場所に捨て置くことは……私には出来なかった。
今でも最善の選択だと信じてはいるけれど、この革命に彼を伴うことは
果たして正しいことだったのか。
炎に包まれた王宮の広間は石畳にもその熱が伝わり、額からは汗が伝い落ちていく。
そんな中腕の中で少しずつ体温を失っていくショナは私を見上げてかすかに微笑んで見せた。
ぐったりとして体を支えることもできないはずなのに腕に感じるのは哀しいほどの軽さだった。
王宮内に進撃した部隊との連絡がいつの間にか途絶え、
造反した騎士団が出たという情報が飛び交い何の信頼も出来なくなった。
それでも王宮から撤退する部隊の為にと最後まで踏ん張ってきたのに、
じわりじわりと数で押し包まれ、徐々に味方の数は減っていく。
テレサを逃がした後私は何処か安堵していたのだろう。
背後から狙われた私を庇ってショナが倒れた。
もう、ここまでか。私は撤退の合図を上げた。
その判断は少し遅すぎたのかもしれない。とうに革命は失敗していたのだから。
ショナを背負って城門を目指す。……逃げ切れるのか。
ふとテレサの笑顔が過ぎる。
「もう、いいよ。……カイン。
僕を置いていって」
「だめだ」
「僕がもう助からないってわかっているはずだ」
「だとしても、ここに置いて行くことは出来ない」
「でもこのままじゃカインが助からない。
それは駄目だよ」
「ショナ」
ショナを背負ったまま一息に城門を目指すのは無理か。
副官に残った皆の指揮を任せると、路地裏に入った。
離れて十年の月日が経ったとしても、多少土地勘は残っている。
今はショナの処置をしなおすことが最優先だ。
ショナの傷を確認すれば、肺を貫通していた。
出血量に息を飲む。
負傷者など見慣れている筈なのに動揺した私をショナが薄く笑った。
「だから言ったでしょ、僕は助からない。
もう暫くすれば僕は自分の血で溺れて死ぬ。わかるんだ」
「ショナ、どうして私を庇ったりした!?」
「ただ僕はそうしたいと思った、それだけだよ」
「そんな」
「……僕は、僕の大切な人たちの為にカインに生きて欲しいと思った。
昨日より前のカインだったらそうは思わなかったかもしれない。
でも今日のカインには生きて欲しいんだ」
咳をしたショナが口を押さえた手のひらには血が滲んでいる。
「ショナ、もういい、しゃべるな」
「……ありがとう、カイン……先生」
「いきなり、何だ」
「僕はようやくわかった気がするんだ。
生きることと、死ぬことの意味が。
ずっとわからなかったけど、ようやく今わかった気がする。
だから嬉しいんだ」
「ショナ!」
「自分の大切な人たちに生きて欲しい。
そんな純粋な気持ちがあることを頭で理解していても、
わからなかったんだ。
正しくあるべきものが、そうならないことなんて世の中にいくらでもある……。
僕は騎士団でそれを……学んだよ」
ショナは私に魔導石の制御装置を握らせる。
「騎士団に大義はあったって僕はまだ信じている。
でも正しいことだけが世の中に認められるわけじゃない。
カイン、冠闇なんて名前で視界を闇に閉ざしたままじゃだめだ。
でも、闇の中にいたからこそ……光が見えたのかな」
「しゃべるな、ショナ」
「これが僕の研究の成果だよ。
受取って、カイン。これが……僕の答えだ」
ショナはカチリと制御装置のスイッチを入れた。
制御装置を使った空間転移はひとりが限度だと言われていたけれど、
魔導とは結局人の心の持ちようだ。
どれだけ強い願いを持ち、それを実現させることを精密に思い描くことが出来るか。
それが魔導の成否を決める。
……皮肉だな、テレサ。
君と学んだ魔導の書にそう書いてあった。
結局私は教え子たちに教えられてばかりだったのかもしれない。
私はまた大切なものを失うのか。
ショナを離すまいと手に力を込めた時、頭に浮かんだのはかつて失った
大切なもののことだった。