13
ふと鳴った携帯電話の音に、譲はびくっとなった。
譲の携帯は滅多に鳴ることはない。
鳴ったとしてもたいていその相手は着信音が決まった相手ばかりだ。
部活の先輩と数人の友人に家族、メシがいるとかいらないとかばかりの将臣と、
無防備なときばかり狙い済ましたように送ってくる望美。
一日に数度鳴ればいい方で、だいたいメールが送られてくる時間帯は決まっている。
迷惑メールだろうか。
学校帰りの江ノ電は西日が差し込んでぽかぽかと暖かい。
半分うとうとしながら、メールを確認すれば、見慣れないアドレスからの着信だったけれど、
そのアドレスの言葉の並び方に譲は一瞬嫌な予感がした。
『今、カラオケに来ている。
すぐに来い。 ヒノエ』
……アドレスを教えたつもりはないのに。
先輩から聞いたのだろうか。
行かないと打とうとしたら、もう一回着信があった。
『神子も来ている。譲が来るのを皆で待ちわびている』
この文体は敦盛だろうか。
先輩が来ているのか、そう知っただけで、行ってみようかと考える自分の現金さに
笑いが込み上げて来る。
しかしヒノエ、来いと言っても何処の、とか場所すら書いていない。
先輩も一緒ならあそこだろうか。
……カラオケで盛り上がっているのなら自分のメールの着信に誰が気づくだろう。
とりあえず、ヒノエと敦盛と望美のアドレスにこれから向かいますとだけ返信し、
返事の返ってくる確率は期待できないな、と譲は目を閉じてまどろんだ。
案の定誰からもメールが帰ってこないまま、駅に着き、
譲は何回か行ったことのあるカラオケボックスについた。
一応携帯電話を鳴らしてみても、誰も出ない。
ため息をついて、店内に入り順番待ち用の紙を見れば、雑な字で『有川・5人』と書いてある。
斜線で消されているのならもう案内されたんだろう。
カウンターで、この『有川』の連れですがと聞けば部屋番号を教えてくれた。
扉のガラスから覗き込めば、ヒノエがノリノリで歌っている。
ここか。
一瞬めまいがしたけれど、ぐっと扉を開ければ、
『カモメにならないかい?』
来なければ良かったかもしれない。
そう後悔したときには遅かった。
爆笑している先輩と、珍しく目に涙を溜めて笑っている朔。
わりと楽しんでいるのか手拍子をしている敦盛がいた。
「譲くん、おそーい」
「……誰も場所がここだって教えてくれなかったし、
俺からの電話も受けてくれなかったじゃないですか」
「そういえばそうだ」
「それでも来れたんだ。ゆずるくんすごーい」
手をひらひらさせて譲のところへ来ようとした望美がぐらっと傾いた。
譲がとっさに支えれば、望美はえへへと笑った。
「呑ませたんですか」
「ジュースしか飲んでいないわよ?」
上機嫌で言う朔を信頼できずに、オレンジ色の液体を確かめれば
かすかにウォッカの香りがした。
スクリュードライバーか。
「ね、これは果実の汁を絞ったものでしょう?」
にっこりと笑う朔に、譲は苦笑いで返すと、ヒノエを睨んだ。
ヒノエは何事もなかったように歌っている。
「もう、元服も済ませている。酒を嗜むのに問題はあるだろうか」
……敦盛が不思議そうな顔をしている。
あちらでなら多分別に問題は無い。でも今は現代でまだ夜になってもいない。
今ここには20歳をこえた人間はいない。
……帰る前には景時か誰かに来てもらわないと店にも迷惑がかかるな。
ゆずるくーんえへへーと甘えてくる望美をとりあえず朔にまかせて、
廊下へ出て自宅に電話をすれば、景時が出た。
景時は苦笑いしながら来てくれると言ったので、場所を細かく教えて電話を切る。
もう一度室内に入れば、敦盛がしっとりと歌い上げていた。
『あなた重ね〜♪』
ヒノエも一緒に歌いだす。
目線の使い方の上手さが癪に障るものの、ブレスの滑らかさといいヒノエは歌が上手いと
素直に思い、二人の歌に聴き入っていたら、マイクが飛んできた。
「次、お前の入れておいたから」
にやりと笑ったヒノエに譲は嫌な予感がし、聴き慣れたイントロが流れてきた。
これを望美の前で歌えというのか。譲は滝のような冷や汗をかく。
半分酔っ払っているとは言え、これは拷問に近い。
『手袋なくして〜♪』
どうにでもなれ!と歌いだした譲が横目で望美を見れば、
望美はこっくりこっくりうたたねをしていた。
ヒノエが面白がって起こそうとしても望美は起きない。
いつ起きるか気が気でなかったけれど、あの調子では望美はきっと起きないだろう。
だんだん歌っているうちに何だか気持ちよくなってきて、
譲はどうにでもなれ!と歌うことに集中することにした。
「……譲って声量あるのな」
「情感が篭っていて聴かせる歌だ。
これを神子が聴けないなんて少し勿体ない気もするが」
「まあ、望美ったらもったいないわね。
ねぇ、次は私が歌ってもいいかしら」
「いいねいいね」
ドアをたたく音がして、振り返ればにこにこした景時が立っていた。
「やあ、楽しそうなことやってるね」
「おう、景時」
「ちょっと兄上!!何故今なんです?」
「あれ?朔何で怒ってるのかい?何か悪いことした!?」
「次、私が歌うはずだったのに。恥ずかしくてもう歌えないわ」
「いいじゃないか朔、オレのことなんて気にせず歌っちゃってよ」
「朔殿は声が綺麗だから、きっと歌も綺麗なのだろう。
聴いてみたい」
「ええ、敦盛殿!?」
「ヒュー!言うときはさらりと言うよなあ敦盛は〜」
コートを脱ぎ、自分も腰を落ち着けようと景時がソファーに座ると、
くうくうと眠る望美が目に入った。
嬉しそうな顔しちゃって、何がそんなに嬉しいのかな。
それにしてもこの音量の中で寝るなんて凄いなあ。
景時は苦笑いして、そのままコートを望美にかけた。