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「お前にも声があったんだな」
しみじみとアシュヴィンは呟いた。
「何も言葉が出なくとも伝わるものがあったけれど、
やはり声が聞こえるとなると違うな」
「そうだろうか」
不思議そうに首をかしげる遠夜にアシュヴィンは苦笑いした。
「お前は何も変わらないというだろうが、
まわりの人間はそうは言わないと思うぞ」
「そうだとしてもオレは、何も、変わらない」
「でもお前の心をわかろうとして、聞こえないお前の声に耳を傾けようとした者たちは、
喜んでいたんじゃないのか?」
「……オレは神子に言葉が届けばそれでよかった。
でも、神子が喜んでくれたのなら、それでいい」
「……お前は本当に千尋にべったりだな」
「神子はオレの…………だから」
「聞こえなかった、何だ」
「この言葉こそ神子にしか届かなくていい。
だからこの言葉はオレは声にしないことに決めた」
俯き、微笑んだ遠夜には今自分の姿が本当に目に映っているのだろうか。
声が届くようになった今も遠くにいるみたいだ、とアシュヴィンは思う。
目の前にいるのに存在を軽くあしらわれる事は癇にさわったけれど、
昔からそうだったということを思い出し、ため息をついた。
「……そうか。
でも俺は昔、歌っているお前の声を聞いてみたいと思っていた
確かにお前は歌っているのに、俺の耳には届かない。
どんな歌を歌っていたのか知りたかった。
周りの皆はまがつ歌だの、呪いの歌だの気味悪がっていたけれど、
俺は自分の眼に映り、耳に聞こえるものを信頼している」
「オレは人の為に歌った事は一度もなかった。
だから人に聞こえなくてもいいと思っていた。
けれど神子だけがオレの歌を好きだといってくれた。
オレは神子の為に歌いたい」
「俺が常世の王になり、歌えと命じてもか」
不思議そうな目で遠夜は、アシュヴィンを見た。
初めて遠夜がこちらを向いた、とアシュヴィンは思う。
「歌とは命じられて歌うものなのだろうか」
「…………は、確かにそうかもしれんな」
きょとんとした顔で遠夜は、笑い続けるアシュヴィンを見た。
「歌は命じられて歌うものではない、か。確かにそうだ。
お前の歌は誰かの為に歌いたいときに歌うものなのだろう。
でもいつかお前の歌を、甦った常世の国で聴いてみたい」
「歌はいつもそこにある。
流れるように、いつも。
アシュヴィンには聴こえないのか?」
「…………そういうものなのか。
今は聴こえない。
でもいつか俺にも聴こえるといいな」
「…………!!!!
歌っている」
耳を澄ます仕草をして、遠夜は目を閉じた。
アシュヴィンはつられて目を閉じてみた。
遠く細く聞きなれぬ旋律の歌が聞こえる。
この声は。
「神子が歌っている。
なんだろう。
でもこれは喜びの歌。神子が幸せなら、オレも嬉しい」
千尋の歌声に乗るようにふわりと雪が舞い降りた。
本格的な冬が来る前に戦が終わってよかった。
もし冬になっても戦が終わらなかったら常世も中つ国の軍勢も
要らぬ損害を出しただろう。
簡単な協議が済めば、常世の再建を誓い故郷へ戻る。
中つ国の人間は寒いといって雪を厭うけれど、
アシュヴィンにしてみればこの雪も豊葦原の豊かな恵みのひとつだ。
常世に緑が戻った後、雪も降るようになるのだろうか。
今は、まだわからない。
体を冷やさないように、とリブが捧げ持ってきた飲み物を口にすれば
ほわっと体が温まった。
「僕にも貰える?」
そう言ってひょいと顔を出したのは那岐だった。
リブはゴブレットに飲み物を注ぎ、那岐に手渡した。
確かに那岐は寒さに弱そうだとアシュヴィンは思う。
今だって誰よりも厚着で寒い寒いと零している。
「千尋が歌っている歌はわかるか?」
「ああ、ひいらぎ飾ろう?
この時期にやる祝い事にちなんだ歌だよ」
「ふうん」
「千尋はそのお祝いをやろうと準備してるよ。
あんたまだ常世に帰らないんだったら、出てやれば。
そのほうが千尋は喜ぶだろうね。……面倒くさいけど」
飲み干したゴブレットをごちそうさまとリブに渡すと、
那岐は行ってしまった。
「面倒くさいなんていいながら、奴も結局千尋には甘い」
「神子は皆に好かれているから」
千尋の声を聞きながら、遠夜は微笑んだ。
確かに言われるまでもなく自分もあの次期中つ国の女王の幸せを
誰よりも気にかけているのだな、とアシュヴィンは苦笑いした。
突然遠夜が聴こえる千尋の声に重ねるようにして歌いだした。
言葉はわからないものの、その単純な旋律の繰り返しを遠夜は覚えたのだろう。
遠夜と千尋の声は寄り添うように橿原の宮を流れる。
後でこの歌の意味を千尋に聞いてみようか。
まさかここまで届いていたなどともしかして千尋は思っていないかもしれない。
驚く顔が見れたらそれもいいな。アシュヴィンはゴブレットの中身を飲み干した。