時明






 誰がこんな事態になると予想しただろう。
 良く晴れた神泉苑という長閑過ぎるこの場所で。
 後白河法皇の目の前でこんな事態になるなんて。
 平和的解決なんて出来るわけないと踏んでいたくせに苦笑いがこみ上げる。
 そして何処までこの事態を読んでいたんだか。
 あいつの読みは、もう予知に近い。
 望美は平然と剣を振りかざし、完全な集中状態に入っている。

「清盛殿も、頼朝も一筋縄じゃいかない連中だってのはわかってたさ。
 ずっとタイマンはってやってきたんだ。
 面子をかけてやりあうのも当然だ。
 ……けど、こんな怪獣大集合になるなんて普通思わないだろ!!」
「そんなこと言ったって仕方ないだろ」

 ぶつかり合う力と力の奔流に飛ばされないよう懸命に堪え、
 ヤケになって叫べば、源氏方の席に座っていた譲がいつの間に隣に立っていた。
 ヒノエがすかさず法皇を誘導していくのが目の端に映る。流石に抜け目がないな。
 九郎が鎌倉殿を庇いながらじりじりと後退していく。
 ……これで何の遠慮もいらないか。
 折角和議の席だってのに、もうこの刀を振るう必要なんてなくなると思っていたのに。
 これが最後の八葉としての義務か。
 そんなことを思って苦笑いする。
 あいつの八葉だっていう自覚なんかまるでなかったのにな。
 最後くらい八葉として戦うのもいいだろう。
 大刀を構えてみても、吹き飛ばされるのを堪えるのも精一杯な状況。
 譲も弓を持っているのが精一杯だった。
 平家の中には怨霊となったものはいたけれど、
 まさか北条政子にも神が憑いていたなんて。

「こりゃ龍神の神子も呼ばれるわけだ。
 普通の源平の合戦じゃねぇ」

 人智を超えたものが干渉しすぎている。
 いくら龍神という神が顕在し、怨霊が跋扈する世界だとしても、
 スケールがちとでか過ぎる。
 昨晩から姿が見えなかった知盛が、ぴたりとあいつに寄り添うように立っている。
 明らかに右肩を庇っているように見えたけれど、
 隙は微塵もなかった。

「まあ知盛の退屈しのぎにはいいんだろうけどよ。
 退屈しのぎにしては派手すぎやしねえか?」

 望美は知盛を選んだんだな。
 惹かれあう糸のようなものは見えていた。
 二人を知らない連中はさぞかし驚いただろう。
 意外すぎる組み合わせのくせに違和感がないのは、
 好きだった幼馴染がいつのまにかに眩しいくらいのいい女になっていたから。
 今朝の梶原邸の騒動を聞いてみたい気もしたけれど、そんな場合でもない。
 今この場に立っているのは八葉と朔、そして経正と忠度殿くらい。
 後はちりぢりになって逃げ去った。
 けれど、それでいい。
 これで遠慮なくやれるってもんだ。
 ……それにしたって拮抗する神の力の領域で、ただ立っているのが精一杯。
 こんな状況でどうすりゃいい。
 神子の掛け声で連携か?
 背中を見つめれば、望美は光の中へ知盛と踏み込んで行った。















 久々の家の玄関に、緊張する自分自身に苦笑いする。
 何年ぶりの家だろう。
 人智を超えた存在が暴れた結果、双方壊滅に近い状態になったけれど和議は成った。
 清盛殿が持っていた黒龍の逆鱗が壊れ、新たな応龍が生じ、
 龍神の神子である望美がその力をもって茶吉尼天と怨霊と化した清盛殿を押さえ、
 源平の合戦は誰も想像できない結末で終結した。
 結局俺たちは何だったのか。
 息の合った知盛と望美の力で、あの力を抑えることが出来た。
 八葉の筈の俺たちはあの戦いではほぼ、何も出来なかった。
 俺たちの役目はその戦が終わった後にこそあったのだろう。
 無事に残った平家の皆を南方へと送り、今ここに戻ってきた。
 自分の家だ遠慮することはない。
 そう思うのに、この平和すぎる空気の中で自分が如何に異質な存在か自覚して
 戸惑ってしまう。
 そんな戸惑いを許してくれるほど、この現代の空気は甘く、優しい。
 誰がこの時間にいるんだろう。
 ポケットの中にいつの間にかに現れた鍵を取り出し、
 戸を開ける。

「ただいま」

 自然と出たただいまの声。
 なつかしい玄関の匂い。
 台所からはいい匂いが漂っている。
 母さんだろうか、それとも……?
 台所を覗けば、譲が朝ごはんの支度をしていた。

「お帰り」

 譲は振り向くことなく、準備を進めている。

「おう」
「……兄さんの分もあるから、手を洗ってくれば」
「お、そっか。ラッキー」
「……なんとなくそんな気がしたからな」

 振り向いた譲の目線は記憶よりも少し高い。
 望美のことでずっと迷っていたあの頃とは違う充実した顔をしていた。

「お前、いくつになった?」
「21」
「そっか」

 譲たちよりも三年先にあの時空に墜ちて、その後二年経っている。
 龍神のやつちゃんと計算してくれてるのか。

「兄さんは?」
「俺は22」
「そうか」

 一度離れた歳の差も、うめられて戻っていたけれど、
 俺の中の5年はきちんと残されたままだ。
 それは感謝したほうがいいのかもしれない。
 朝食の準備はもうすぐで終わりそうだ。
 とりあえず手を洗って、報告の線香でもあげておくか。

「……兄さん、この時間の和室はいかない方がいい。
 って本当に人の話をきかないんだな」

 譲がぶつぶつ言っているのを無視して、離れの和室の襖に手をかけ、
 勢いよく開ければ乱れた布団が一組。
 記憶の中ではここを使っていたのはばあさんだけだった筈だ。
 見れば、長い髪が広がっている。

「あ?」

 不機嫌そうに寝返りを打った知盛は何も身につけていなかった。








「だから止めたのに」

 譲は淡々と味噌汁をよそって俺の前にことんと置いた。
 温かい湯気と久々のその香りに気分が落ち着いてきた。

「何であいつがいるんだよ」
「あいつって望美さんのことか、それとも知盛のこと?」
「どっちもだ」
「知盛は俺たちのはとこってことになってるらしい。
 戸籍上な」
「はとこ?」
「菫おばあちゃんの弟が平良清盛で、その妻が時子。
 その実子ってことになってる」
「……マジ?」

 譲はため息をついて戸籍謄本を置いた。
 平良知盛。……おお、確かに。

「おばあちゃん方の身寄りがない……当たり前だけど、
 知盛は両親と死に別れてこの家に来たことになってた」
「まあ、間違ってはいないな」
「別にどうでもいいけど。
 望美さんはまあ、あんな感じ。
 知盛がこっちにいる時は、入り浸ってるよ。
 仲がいいから、もう父さんも母さんも何も言わない」
「……へぇ」
「でももう家を出るって言ってたな」
「そうなのか」

 譲は自分の分もよそうとかたんと席につき、食べ始めた。
 望美は起こさなくていいのだろうか。
 嬉々として毎朝望美を起こしていた譲が目に浮かぶ。

「おい、起こさないのか」
「当分起きてこないから、いいよ」
「……そうか」

 淡々と朝ごはんを食べる譲に戸惑ってしまう自分に苦笑いする。
 5年も経てば、色んなことが変わっているだろう。
 譲は普通に望美さんと呼んでいたけれど。それはただの隣人や友人を呼ぶ響きで。
 『先輩』と気持ちをこめて呼んでいだ言葉とは温度も重さも違っていた。

「家を出るって、いつ?」
「ああ、知盛はずっと能の舞台に上がってたんだけど、
 あの顔とスタイルだからさ、パリコレに出て。その舞台でも舞ったりしたのが好評で、
 それからあちこち引っ張りだこだよ。
 しゃべらせると危ないからとりあえずモデルと兼業?
 殺陣が異常に上手いって好評になってこの前セリフなしで映画にも出た。
 次はニューヨークとか言ってたかな」
「……へぇー」
「ここからだと朝早い飛行機とか間に合わないからな。
 一応部屋は事務所がもう借りてるみたいだからそっちに移るみたいだ」
「じゃあ何でここにいるんだよ」
「生活できないからじゃないのか?」

 譲はかたんと立ち上がると、味噌汁とごはんをよそった。
 何だ?と思うと寝癖の酷い知盛がのっそりとテーブルに座った。

「……お前相変わらず血圧低そうだな」
「随分だな『兄上』」

 半分寝ているような知盛は、手を合わせると、味噌汁に口をつけた。

「兄上はお変わりがないようで」
「まあ俺はお前たちと別れて一年後くらいの時間しか経ってないしな」
「こっちではもう五年だけどな」
「皆は変わりないか」
「元気だったよ」
「そうか」

 半分眠っているのか、ぼんやりとした様子だけれど朝ごはんはしっかりと口に入れている。

「ここを出るとこのめしが食えないからな。
 譲……作りに来いよ」
「ここ以外で食べさせるのなら有料だ」
「……がめついな」
「当たり前だろ。こっちだってヒマじゃない。
 あっちの家事まで俺がするなんて考えられないよ」
「クッ……つれないな」
「望美さんをなんとかしろ、そろそろ」
「別にそういうものをあいつに求めてはいないさ」
「だったら雇うんだな、家政婦」
「他人を家に入れたいものか」
「じゃあ何で俺なんだよ」
「譲、お前が有能過ぎるだけだ」
「……知盛、お前やれば何だって出来るくせにやらないだろ。
 お前のそういうところは俺は嫌いだ」
「最高の褒め言葉と受け取っておくさ」

 淡々としゃべる譲と知盛の会話に口を挟めずなんとなく見ていると、
 食べ終えた譲は席を立ち、食器を片付け始めた。

「俺はもう時間だから、出るよ」
「時間?」
「待ち合わせか、今日は誰だ?」
「別にいいだろ」
「!!
 譲、お前彼女いるの?」

 わりと何でもそつなく出来て、人当たりもよく、面倒見もいい譲に
 彼女がいなかった事は不自然なことではあったけれど、
 実際に彼女がいる、と言われればそれも不思議な気分になった。
 驚いた俺を譲は怪訝そうに見て、

「まあ、いたり、いなかったりだな」
「不義理なことだ。
 オレは、一途だぜ……」

 知盛から一途という言葉が出てくることに違和感を覚えたけれど、
 譲は淡々としている。
 お前その相手のことが本当に好きなのか?

「さんざん言い寄られてうんざりしているんだろ」
「知盛ほどじゃない」
「オレはあいつ一筋だ」
「まあ俺にもきっとそういう相手がいるだろうから、
 気長に探すよ」
「……そっか」

 別に望美のことが諦められなくて、他の女に逃げたとかそういうわけじゃないんだな。
 晴れ晴れとした弟の顔をぼんやり眺める。
 譲はそんな俺の視線を気にも留めずに支度を終えると出かけていった。

「俺もどうすっかなあ」

 あっちにいた方が良かったのか。
 けれどやることが終わったと感じた瞬間に帰ってもいいと思ったのも確かだった。
 平家の皆にとって俺はもう必要なかった。
 そして望美も俺をもう必要としていない。
 それを受け入れるのにはまだ時間がかかるだろう。
 でも明日命がないかもしれないというギリギリのテンションで生きたあの日々は、
 失われずこの中にある。
 与えられた時間を使えば、何だって出来るだろう。
 譲はもうやりたいことを見つけ、自分の道を進み始めた。
 平家を南へ連れて行き、生き延びる。
 それは目標だったけれど、俺の生きる理由ではもうない。
 俺も早く何か見つけないとな。
 でも焦る必要もない。
 今はからっぽの自分を満たすことから始めてみようか。
 久々の譲の飯はしみじみするほど旨かった。
 とりあえずこの腹から満たしてみるか。
 俺は立ち上がり、炊飯器でもう一杯ご飯をよそえば、望美がふらふらと起きてきた。
 ラフなその格好は目のやり場に困る、……色っぽい格好をしやがって。
 そういう格好は家でやれよ。
 ……望美にとってはもう、ここが家なのか。
 苦笑いして、望美の分までよそってやると、望美の目が覚めた音がした。
 初めて俺がここに座っているのに気付いたのか、驚いた顔をして笑顔になった。

「あれ?将臣くん?」
「おう」
「そっか。帰ってきたんだ。
 …………おかえり。おつかれさま」

 望美はたいした意味をこめてはいないんだろう。
 でもそのおかえりで俺の心にじわっと暖かいものが満ちてきた。
 お前をもう好きでいることはできないけど、一等大事な奴なのは変わらない。
 譲もこんな気持ちでいるんだろうか。
 今この一言で長い俺の旅が終わった気がした。
 このおかえり、が聴きたくて俺は帰ってきたのか。
 ただいま。
 そういえば、望美はおかえり、ともう一度微笑んでくれた。


背景素材:ミントBlue

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