ただ、あなたの為だけに






 望美はまじまじと芸術品のようなケーキを眺めため息をついた。
 フォークを入れたくない、でも入れたい。
 葛藤が顔にそのまま現れ譲は微笑した。
 確かに心を込めて作ったのだ。そこまで思い入れて貰えたらケーキも本望だろう。
 望美はケーキを携帯のカメラでパシャっと収めて、観念したようにフォークを入れた。
 そして味わう。至福の喜び。
 目をつぶり、く〜っと感極まった声を出す。
 作った人間としては感無量というかなんというか。
 心の中でガッツポーズをする。
 この顔が見たくて譲は努力を重ねてしまうのだ。
 なんというか望美は喜ぶのがうまい。
 喜ばせるのもうまいが、喜ぶのがうまい。どうしてもまた喜ばせたくなるくらいに。
 望美の喜び、幸せは確実に他人に伝染して、倍増させてしまう。
 美味しいものはもっと美味しく、楽しいことはより楽しく、幸せならもっと幸せに。
 譲みたいに他人の為に頑張ることが好きな人間にはたまらない。
 だから苦労を苦労と思わず、努力を努力と思わず頑張ってしまうのだ。
 将臣が苦笑いするくらいに。
 確かに、譲は料理をするのが嫌いではないけれど、ここまで上達したのは望美の存在が大きい。
 本来譲は中庸の人間だ。
 そこそこ努力をしなくてもそこそこ出来てしまう。
 最初うまくいかなくても、そこそこの努力をすればそこそこ出来るようになる。
 それで満足して、上を目指そうとは思わない。
 でもそこに好きな人、好かれたい人、大事な人が関わると状況は一変する。
 その人の為にとことん極めたいと願ってしまう。
 望美の為にならと。
 庭仕事を覚えたのも菫のためだった。
 菫の喜ぶ顔が見たい、から愛した庭が荒れて菫が悲しむのを見たくない、に変わったが。
 譲が力を発揮するのは常に『誰かの為』かハッキリしている時だけなのだ。

「く〜、美味しい。食べたいんだけど、食べたらなくなっちゃうし。
 うう、切ない」
「切ないって、お前ケーキに使う言葉かよ」
「だって幸せなんだもーん。ちょっとでも長く味わいたいよね……」
「まだありますから」
「知ってるけど!
 ああ、おいしい……またへっちゃった」
「また焼いてもらえばいいじゃねーか」
「そうなんだけど。
 譲くんのケーキ絶品だからまたこれも食べたいんだけど、別なやつも食べたいし」
「食いしん坊だな、おまえ」

 真剣な眼差しで語る望美に、譲と将臣は思わずふきだしてしまう。
 一喜一憂しながら自分のケーキを貴重な幸せと受け取ってくれる望美の笑顔に、
 譲はじんわりと幸せを感じる。
 貴方が喜んでくれるなら、また焼きますよ。何度でも。
 そんなことを思っていた矢先、

「譲くんってさ。将来パティシエとかシェフとか目指すの?」
「いいえ」

 いきなりの質問に動揺しつつも簡潔に否定した譲に望美は詰め寄る。
 将臣と譲が思わず少しひいてしまうほどの剣幕で、

「勿体無いよ!!!!!!!!!」
「…………そうですか?」
「うん、人類の損失だと思うの」
「人類ぃぃ?」

 将臣が涙を流して笑い出す。
 あくまで望美は真剣だ。

「そう、勿体無いよ!!こんなおいしいケーキ他の人にも食べさせてあげたい!」
「先輩の分が減りますけど、いいんですか?」
「うー。それは」

 考えてなかった!と顔に書いてあるのがまるわかりで、
 将臣はもう笑いすぎで息も絶え絶えになっている。
 譲は考え込んでしまった望美に仕方ない人だな、と苦笑いをして

「美味しくできたのなら先輩に食べてもらえたら充分なんですよ。
 不特定多数の為に心を込めて作れるほど俺は優しくないですし」
「でも、譲くんのケーキは食べた人を幸せにするんだよ!勿体無い」
「じゃあ先輩が幸せならそれでいいんですよ。
 先輩がたくさん幸せを感じてくれるならそのほうがいいです」
「でも!」
「俺は先輩の専属のパティシエになりたいくらいなんですが、ダメですか?」
「!!」

 受け取りようによってはこれはプロポーズだ。
 将臣は笑いをやめて神妙な顔で望美の反応を見ている。
 譲は気持ちを少し込めた言い方をしてみた。しかし、伝わるという期待はしていない。
 期待しても望美は鈍い。
 そういう好意に対しての感度は『マイナス』に近い。
 ハッキリ口にしたところで好意が伝わるとは限らないくらいなのだから。

「ずーっと譲くんがわたしにケーキを作ってくれるの?」
「!!
 まあ、そうです」

 嬉しそうに見上げてくる望美の笑顔に、譲は照れの極致になり、
 下がってもいないメガネのブリッジを上げる。

「いいなぁ〜幸せ〜。じゃあ、今度はシフォンケーキがいいなあ!!」

 ああ、やっぱり。
 俺は隣のケーキ屋さん、ですか。
 がっくりと肩を落とした譲を、笑いを堪えた将臣がぱんぱんと叩いた。
 こんな遠まわしな言い方じゃ伝わらないのはわかってましたが。
 わかっていたけれど、若干挫けてしまった気持ちを立て直して問う。

「わかりました。シフォンケーキは何味がいいんですか?」
「!!!!
 えーと。えーと。普通のにフルーツ乗ってるのも捨てがたいし、
 この前のレモン風味のも美味しかったし、抹茶味に生クリームとあんこを添えてくれたのも
 絶品だったし、チョコレート風味の時はバナナとカスタード添えてくれたんだよね」
「作ったことがないのにしましょうか」

 望美の目がキラキラと輝き出す。
 この顔を見てしまったら、もう作らざるを得ないのだ。
 この期待に応えたいと願ってしまうのだから。
 それが自分にしか叶えられないのなら、なおさら。
 こんなに気持ちを込めて作っていても届く気配は未だないのだけれど。
 望美の喜びは譲の喜びだから。

「楽しみにしてるね」

 満面の笑顔で望美にそう言われてしまったら。
 もう、譲には逆らえない。
 お菓子の本をめくりながら、次に作るものを構想しはじめるのだった。


背景画像:ミントBlue

『THE LAST PIECE』を書いていた時に浮かんでいたネタ、というか。
きっと譲はシェフとかパティシエを目指してはいないんだろうなーっていう話です。
内容が薄いのですが、まあこういうほのぼのもいいかな、と。
さりげなく酷いめにあってますが、譲くんは幸せなんです、よ?【090823】