見せばや 彼の花






 あの頃、貴方のためなら何でも出来ると思っていた。
 若かった。十七歳の俺。
 あれから幾年過ぎ去っただろう。
 貴方と今も共にある幸せ。
 それは今でも変わらない。
 ただ一緒にいられたら。それだけを望み貴方と共に戻ってきた。
 貴方がいれば、俺は何でも出来ると思っていた。
 でも俺に何が出来るというのだろう。
 できるのはほんの細やかなことばかり。
 この世界に墜ちてきた時とほとんどかわらない。
 貴方がいたら何だって出来る。その気持ちは変わらない。
 大人になるということは自分の力を知ることかもしれない。
 十七歳の俺が望んだような、力は自分に無いと知り、
 自分の力の及ばなさを知りながら、精一杯に今日を生きる。
 貴方の笑顔が、家族の幸せを自分に出来る精一杯の力で護っていく。
 その気持ちは変わらない、けれど。

 運命の嵐は止まずに日々吹き荒れ、
 小さな俺たちはそれに翻弄されて生きるしかない。
 大人になるということは己の小ささを知るということかもしれない。
 十七歳の俺が今の俺をみたら失望するだろうか。
 俺は無力だ。
 けれど貴方と家族を護りたい。
 その気持ちは変わらない。
 けれど、現代と違いこの世界では生きることが難しい。
 ささいな病で命を落とす危険も高く、天候で食物の収穫も左右されやすい。
 貴方と子供たちに一つでも幸いがあるようにと願い、
 身を粉にして励んでも与えられるものはわずかだ。
 無力さに打ちのめされ、何度貴方に謝ったことだろう。
 貴方は笑ってこんな俺を励ましてくれる。
 こどもたちの安らかに眠る顔が俺の心を和ませる。
 ひとつでも多くの笑顔を見ることが出来るのなら。
 それを願い俺は今日も生きる。
 傍らにある貴方の笑顔が曇ることのないように。
 精一杯の力で。

 今年もみせばやが咲いた。
 毎年この花に願う。
 来年もこうして貴方と笑顔で過ごせますように、と。
 そんな時期に星の一族の館に、珍しい客人が訪れた。

「兄さん、久しぶりじゃないか」
「よう、譲」

 南の海へ平家と流れた兄、将臣。
 以前より威厳と風格が漂っていた。
 平家の人々を束ねているのだそれは自然なことに違いなかった。
 ようやく落ち着いたからと尋ねてきたのだという。
 お互いに老けたなと笑いあう。
 簀の子縁に簡単に作ったつまみと酒を並べて月見酒と洒落込んだ。
 お互い何から話してよいのやらと、ゆるゆると酒とつまみばかりが減ってゆく。
 望美が子供達を寝かしつけるからとその場を立って、
 目をこする子供たちと共に部屋へ向かう。
 その背中をじっと見つめる将臣の横顔を譲は見ていた。
 望美の姿が見えなくなると、将臣がぼそりと話し始めた。

「景時の京邸行ってみたけど、朔も景時もいなかったな。
 お前の居場所を聞いたらここだっていうから来てみたんだ」
「ああ……景時さんと朔は鎌倉だから」

 景時は戦奉行としての功を称えられ、幕府で重鎮として働いてきた。
 将軍であった頼朝の突然の死で、鎌倉は今騒然となっている。
 九郎は、蟄居を申し出、京の邸に篭っている。
 ……北条家に対する勢力は、九郎を担ぎたいであろうから。
 先の戦で先陣を切り、総大将として戦った九郎には人望がある。
 頼朝の息子を鎌倉殿としたい北条家としては、勿論九郎は目障りで。
 ……無用な争いを避けたいと願う九郎らしい行動だった。
 平和を取り戻したようにあの時には思えたけれど、今もなお混乱は続いている。
 あんな戦はしたくない、とは思う。
 けれど戦で功を立てたいと願う武士はごまんといる。
 功を立て、褒美をと。
 譲も今は幕府につらなっている。
 戦になれば自分も行かねばならなくなるだろう。
 鎮圧は何度かしてきた。しかしこれ以上混乱が続けば、
 何がおこってもおかしくないのだ。
 この世界の歴史は、自分達のいた世界とは違う。
 平家が滅びなかったように。
 自分が覚えているよりも少なくとも頼朝の死が五年は早いような気がした。
 どうなってしまうのか。
 先がまた見えにくくなっている。

「九郎にきいたよ。あの後色々あったんだってな」
「あの後って?」
「俺が残して行っちまった、後のとばっちりが望美に返って。
 あの世みたいなところに行って半年返ってこなかったって」
「ああ」
「お前が迎えに行ったんだろ、どうやったんだよ」
「……若さの勢いかな、今思えば」

 若さか。
 ひっそりと将臣は笑う。
 今だって望美が消えてしまったら、譲はそう思うことはある。
 勿論今だって迎えに行こうとするだろう。
 けれどあの頃の恐れを知らない情熱は、今振り絞れるものだろうか。
 もちろん望美を愛している。愛情の深さは今の方が勿論深い。
 でも温度は、もう違ってしまっている。

「まあ、そうだろうな。
 あの頃のお前は望美がすべてだったしな」
「今だってそうだ」
「……昔と違うのはそうやって口に出すようになったってことか」
「まあ、そうだな」
「子供、なんだか俺らに似てるな」
「……可愛いだろう」

 そう笑う晴れ晴れとした顔をした弟の顔を感慨深げに将臣は眺める。
 これが自分の一番得たかったものを得た男の顔か。
 自信に満ち溢れているというものではないけれど、
 気力に溢れたいい男の顔というのだろうか。
 自分と望美の存在で押しつぶされそうになりながら必死で立とうとしていた弟の顔ではない。
 一人の、護るべきものを得た男の顔。
 いい顔になったな、将臣は素直にそう思う。
 幸せなんだろう。
 それは望美が幸せである証。
 少し悔しいのは仕方ない、けれどそれでいいのだと素直に思える。
 あいつにならと認めてしまえる、そんな男になったのか。

「惚気はほどほどにな」
「……兄さんは」
「ん?ああ、まあ……ぼちぼちだな。
 それどころじゃなかったし。まあそろそろかな」

 こう諦めもついたことだし。
 心の中で将臣は呟く。望美は綺麗になった。
 もともと美人だったけれど、快濶な少女から大人の女性へ。
 母親の顔、妻の顔……時々動作のはしはしに色気のようなものがにじみ出るようになった。
 風情というか、なんというか。笑顔は変わらないのに。
 いい女になったなあ。
 かつてのような熱さはないけれど。やはり見とれてしまう。
 つい、目で追いかけてしまう。
 譲がやきもちひとつ焼かずそれを認めているのは自信か。
 少し悔しい気もするが。
 南の海に流れた時に未練は捨てた。思い切ったはずだった。
 けれど昔の思い出は綺麗なまま色あせることはないのだろうか。
 ……綺麗なまま終わった想いだからか。

「兄さんはこっちに何しに来たんだ。
 ただ会いに来たってわけじゃないんだろう」
「……ん?まあな」
「危ないことだけは止してくれよ」
「……まあ危険な橋は渡らないさ。お前らの顔を見たかったからな。
 そっちの用事のほうがむしろついでだ」
「別にいいけど」
「まあ……鎌倉が混乱してるからこそこっちに来れたんだけどな。
 ……余計なことを言っちまったか」
「兄さんはどうやって来たんだ」
「琉球の商船に乗っけてもらったんだ」
「で、こっちを探れと」

 にやりと将臣は笑った。
 琉球に流れた平家を受け入れされるのは色々あったのだろう。
 こっちに伝手のある将臣に鎌倉方のことを探らせようとしたのか。
 まあそんなものだろうと譲は思う。

「……まあ、そんなもんだな。そんな警戒はいらないぜ。
 ただの様子見だ、様子見」
「戦になるって見てるのか」
「そんな風には見てないがな。本当に様子見だ。
 介入する気はまったくねえし。ただどうなるのかってことだな。
 湛増、ん、ああヒノエか。あいつはよく会うぜ。
 北にも、南にも。大陸にもあいつは行ってるみたいだな。
 まああいつは熊野のことが一番みたいだけど」
「ヒノエか」

 まさかヒノエが熊野別当その人だったとは。
 平家との戦いが終わった後にそれを知り、驚き、妙に納得をしたのを覚えている。
 時々顔を見せに来ては望美に熊野に来ないかなどと言ったり、
 娘にいつか迎えにくるよなどと言って相変わらず腹ただしい。
 将臣の無事を教えてくれたのは、ヒノエだった。
 その点は感謝しているの……だが。

「……もし、戦になってもお前は行くなよ」
「……」
「そういうわけには行かないってお前は思うか。
 お前義理堅いもんな。でも行くな。絶対に行くな」
「戦にはならないと思う。景時さんも踏ん張ってるし。
 よくわからないけど、そう思う」
「……それが星の一族の予感ならいいんだがな」

 でも、行くなよ。と真剣な顔をして将臣は言い杯をあおった。
 卑怯者といわれても良い、お前は行くな。
 望美の為に。家族の為に。
 俺たちは十分人殺ししただろう?もうあれで充分だ。
 もう、殺すな。お前の手はそんなことに向いていない。
 花を咲かせ、料理を作り、子供を護り、望美を抱く手だ。
 もう、血にまみれるな。
 夕方に眺めた庭を思い出す。どこかここの庭は有川の家のそれに似ていた。
 菫がこちらを懐かしんであの庭を整えたのか、
 譲があちらを懐かしんでこの庭を整えたのか。
 久しぶりに見たなつかしい花。
 みせばや……と言っただろうか。
 祖母が好きだった花。お前はそれを覚えていて植えたんだろう?
 そういうことが出来るお前だからこそ、もう戦には出るな。
 お前達には幸せになってほしい。
 また会えるかどうかもわからないのだから。

「みせばや」
「ん、ああ見たのか」
「ばあさんが好きだったな、あれ」
「そうだな。……まあ、願掛けだよ」

 優しい目をして庭を見やる譲に心の中で、将臣はもう一度言った。
 戦にはいくな、と。
 伝わったのだろうか。譲は一度頷いて、

「戦にはしないよ」
「そうだな」
「もう、あんなのはこりごりだし。
 望美が、悲しむ」

 望美。
 自然に、いとおしむように『望美』と口にする譲を将臣は思わず凝視する。
 寄り添う二人を見ても、子供を抱いていても、それほど感慨にはふけらなかった。
 けれど、『望美』そう自然に口に出来る譲を見て本当に時間は流れていくな、将臣は思う。
 それが二人が重ねていった時間。自分がいなかった時間。
 かなわないな、そう素直に負けを認める気になった。
 譲には本当に望美しかなかったのだ。
 愚直までのあの視線を何度恐れたことだろう。
 途中で自分に大事なものが出来ても、望美が大切なことは変わらなかった。
 けれど譲は、何をおいても一番が望美なのだ。
 もし、あの視線に望美がつかまったらきっとかなわないと思ってきた。
 それが現実になったのだ。
 ……幸せになれ。
 お前達が大事なことは変わらない。どんなに距離が離れても。
 もしかしたらもう会えないかもしれないが。
 同じ空の下、幸せを願う。その気持ちに嘘はない。

「そうだな」
「ああ」

 ひっそりと笑う自分を不思議そうに眺める譲を見て、
 自分も幸せにならなくては、と思う。
 負けないくらいに、幸せにならなくては。
 やっと平家の皆の暮らしも落ち着いて、そういうことを考える余裕も出てきた。
 この世界に骨を埋める覚悟も。
 ばあさん、あんたのように見事に世界と調和して生きてみるさ。
 あのみせばやに願おう。
 みんなの幸せを。そして平和を。
 それは、時空を超えた菫の願いでもあったのだろうから。

「呑もう。まだ夜は長いし」
「望美は眠っちまったかな」
「……相変わらず夜が弱いから。
 子供って体温が高いだろう。添い寝してるとついそのまま寝ちゃうんだ」

 微笑する譲に、将臣は
 惚気はほどほどにしてくれよな、と笑う。
 譲は一瞬すまなそうな顔をして将臣の杯に銚子を傾けた。






背景画像:空色地図

何故か兄さんが……。将臣好きです。
多分十年後くらいです。頼朝好きな人すみません。五年も短命にしてしまいました……。【090927】
本編みせばやはこちらから。

お気に召していただけたらぽちっとして頂けると幸いです