魔法使いの弟子




  −1−

 聞こえてきた泣き声に何かと思って台所を覗けば、
 振り返ったのぞみちゃんのエプロンはよくわからないほどどろどろに汚れていた。
 クリームでべたべたの手で顔もこすったのか、
 前髪までぐしゃぐしゃにしてしまっている。
 作業に飽きたのか、途方に暮れたようにこっちを見た将臣と、
 それでも何とかしようとする譲が縋るような眼差しでわたしを見上げた。

「……これはどうしたの?」
「まさおみくんのケーキ……つくろうと思ったの」

 冷蔵庫を見れば、将臣のケーキ用に買っておいた生クリームのパックが無い。
 テーブルの上には何だかよくわからないものがのっている。
 黄色いものと、白いものがまざりあったそれは、
 生焼けのケーキに生クリームをかけてしまったのだろう。
 飾りつけなのか輪切りのパイナップルが乗っている。

「あらあら」

 ……これはどうしたものか。
 勝手に作ってしまったことを叱るべきかと思うけれど、この状況に三人は充分に後悔している。
 甘すぎるんです!と後でまた言われるかもしれないけれど、注意をするのを思い留まった。
 孫を甘やかすのは祖母の特権なのだから。

「おばあちゃん」

 涙目で見上げるのぞみちゃんの顔と手をとりあえず拭う。

「のぞみちゃん。おうちに帰って着替えていらっしゃい」
「でも」
「……わたしのお手伝いをしたらこうなったってお母さんには言うのよ?
 のぞみちゃんが戻ってくる頃には、わたしがなんとかしてみますからね」
「ほんとう?」
「ええ」
「……ばあちゃん、オレのケーキ大丈夫?」
「……大丈夫よ、将臣。
 譲とシャワー浴びていらっしゃい。
 あ、洗濯機には脱いだ服そのまま入れたらダメよ。
 お母さんが帰ってくる前に先に洗ってしまいましょ」
「うん」

 のぞみちゃんは乗っていた椅子から飛び降りると、たたたと家に帰っていった。
 クリームまみれの服は怒られてしまうかもしれない。
 でもきっとこの失敗のケーキがこのままになってしまうほうが、
 きっとショックは大きいに違いなかった。
 将臣も走って風呂場に行ってしまったのに、黙って譲がクリームを混ぜている。

「ごめんなさい。おばあちゃん。
 ぼくおばあちゃんといっしょに作ろうって言ったのに」

 瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちる。
 小さな譲には、将臣やのぞみちゃんが止められなかったのだろう。
 それでも一生懸命作ろうと頑張った。
 そのいじらしさに頭を撫でると、譲はさらにしゃくりあげた。

「大丈夫よ、譲。
 綺麗にクリーム泡立ったわね。上手よ」
「ほんとう?」
「ええ。
 ちゃんと氷も敷いて、頑張ったのね」
「うん、おばあちゃんがやってたのをいっしょうけんめい思い出したの」
「そう。
 これは使えるから冷蔵庫で冷やしておきましょうね。
 譲もお風呂に行ってらっしゃい」
「うん。
 その後ぼくもおてつだいする!」

 譲はほっとしたように手から泡だて器を離すと、
 乗っていた椅子から飛び降りて風呂場へ走っていった。
 風呂場から悲鳴が聞こえるのはまた将臣が譲にいたずらをしているんだろう。
 悲鳴が歓声に変わったのに安心して作業に取り掛かる。

「これ、どうしたものかしらね」

 恐る恐る舐めてみると味はそんなに悪くない。
 中途半端に加熱されたこの生地はもともとの泡立てが足りず、
 このままもし焼いたとしてもクッキーかタルトの土台のように硬くなってしまうだろう。
 載せられたパインにもうかけられてしまった生クリーム。
 輪切りのパインにヒントを得る。
 お中元の頂き物にたしかあった筈……良かった。まだあった。

「やくそくしたのだからちゃんと魔法をかけてあげないとね。

 エプロンをきゅっと締め、気合を入れなおし、ぐちゃぐちゃの台所と向き合うことにした。











「うわ〜!」

 オーブンを開け、取り出したそれを三人は目を輝かせて見つめた。
 三人の歓声を聞くといつも焼いて良かった、と心から思う。
 生焼けのケーキはパインケーキに生まれ変わった。
 生焼けの生地をタルト生地に、より分けた生クリームを足したカスタードクリームを
 流し込んで、パイナップルの輪を飾って焼き上げたそれは、
 夏にふさわしい出来になった。
 頂き物のパインジュースは子供たちはすっぱいと嫌がるけれど、
 生地に、焼き上がりにたっぷりと使えばとても良い風味だ。
 ゆっくりと冷ましながらジュースを塗るのは子供たちにやってもらった。
 冷蔵庫に残しておいたクリームを袋につめて絞ってもらう。

「まわりをこんな風に飾ってみたら素敵だと思わない?」
「うん」
「さあ、じゅんばんこにやってごらんなさい?」

 外周部分を一周するぐらいしか生クリームが残っていなかったので、
 お手本をまず見せて四分の一ずつやってもらうことにした。

「のぞみへたっぴー!」
「まさおみくんうるさい!」
「だってオレの方が上手じゃないか。
 全部このままオレがやる!」
「将臣!」

 調子に乗った将臣が自分の分以上もやろうとしたので嗜めると
 残念そうに譲に渡し、つまらなそうに向こうへ行ってしまった。
 一生懸命譲が生クリームを絞る。

「うわー、ゆずるくんじょうず!」
「本当、上手ね」

 のぞみちゃんが感心したように譲を見たので、
 譲は照れたようににっこり笑った。

「ゆずるくん、ほんとうにじょうず!すごい!」
「そうかな」
「……そうね。
 さて、出来上がり。皆で食べるまで冷やしておきましょうね」

 お片づけはしておくから、遊んでいらっしゃい?
 そう言うとふたりは勢い良く将臣の後を追って走っていった。


背景画像:ミントBlue

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