破鏡不照



 −6−



後味の悪くない戦などないが、今回ほど悪いものは無かった。
わざわざ出向いた熊野ではかばかしい返事は得られず、その上、
この福原で和議を結ぶと見せかけ、それを破棄し強襲するなど。
そのためにわざわざ政子様までこちらにいらっしゃり、自ら囮になるなんて。
これが兄上の望む戦なのだろうか。
問い質したい衝動を握りつぶし、戦の後始末をする。
景時が浮かない顔をしつつも淡々と指示を下していくのを見て、
景時は何かを知っているのでは?とも思ったが、
望美が鎌倉へ行くことを提言しそれが成った今話してみてもどうしようもない。
直接顔を見て、真意をお聞きしたかった。
俺にそれを語っては下さらないかもしれないが、兄上のことは信じていたい。
負傷者の手当てに、陣の引き払いなどてきぱきと雑務をこなす弁慶の疲労の色も濃い。
初めて相対した平知盛。
底知れない強さを秘めていた。
強襲をかけたのはこちらだ。追い詰めたのに結局捉えることができなかった。
あの力量。思い出すだけで鳥肌が立つ思いだった。
そして平家の指揮をとっていると噂される還内府。
三草山の時と言い、今度の福原と言いなんと思い切りの良い将なのだろう。
守るべきものを守り、成すべきことを成す思い切りの良さ。
そして正確に状況を読む見通しの良さ。敵ながら恐れ入る。
よほど思いつめた顔をしていたのか、先生が珍しく声をかけて下さった。

「九郎。勝ちに理由はないが、そうでないなら理由はある。
考え続けることは悪いことではないが、思いつめてもいけない」
「はい……」
「勝つべき戦で勝てなかったと言われることはあるだろうが、
必ず勝てる戦などない。
それがわからぬ程、お前は愚か者ではない」
「ありがとうございます」

和議を破棄する形で始まった今回の戦は、勝たなければならないものだった。
けれど、本拠である福原を捨てても生き残りたいと闘った平氏のものたちの、
執念を上回ることが出来なかった。
文字通りの背水の陣。
心してかからなければならなかったものを。
つまらないこだわりで兵の士気を落としてしまっていたような気もする。
先生が言葉をかけてくださったお陰で肩の上に降り積もった良くないものが
払われたような気がした。
礼をいえば、先生は少し笑って望美のほうへ行ってしまった。
将となった今もあのような言葉をかけてくださる存在がいることは幸いなのだろう。
最終的な決断をし、命令を下すのは自分で。全責任は勿論俺にある。
けれど自分と違う次元でものが見える存在は本当にかけがえのないものだ。
滅多に声をかけては下さらない先生の言葉で胸が温かくなった。
誰かと話をしたい気分で、あたりを見回すとふらふらと譲が歩いてくるのが見えた。
普段姿勢良くしっかりと歩く譲が珍しい。

「譲、どうした」
「……九郎さん」
「顔色が悪いが、何かあったのか」
「いえ……」

ばつが悪そうに譲は目を逸らす。

「何があったのか言ってみろ」
「俺の師が」
「?」

譲の師。那須与一。あのいけ好かない男が何だ。
思わず眉をひそめてしまった俺を譲はやっぱりという顔で見つめる。

「那須与一がどうした」
「その、負傷して……、とても酷くて。
覚悟をしておけ、と言われました……」
「!」

あの殺しても死ななさそうな飄々とした男が、負傷。
弓を扱う那須与一が命に関わる程の負傷するということが意味するのは。
それを守るように展開していたはずの一族郎党が蹴散らされたことを意味する。

「一族郎党もか……」
「はい……稽古に行かせてもらっている時や、初陣の時もとてもお世話になりました。
……戦はそういうものだって覚悟できていた筈なんですが、
親しくしてくれた人たちがいなくなると、何だか呆然として涙も出てこないものなんですね」

俺にとってはただの嫌な男でも、譲にとっては大事な師匠。
もし、これがリズ先生だとしたら。
鬼神のような剣技を誇るあの人も倒れる事があるかもしれないと、
思いついただけで心が苦しくなった。
遠い場所から来たという譲が数少ない知人を失えば、悲しみもまた深いだろう。
ましてや、譲はまだ戦だからと割り切ることも出来てはいない。

「出来るだけ見舞ってやれ。
こちらからも見舞いを出す」
「……はい。
出来る限りのことはしたいと思います。
もしかしたら、師匠が負傷したのは俺のせいかもしれませんし」
「どういうことだ」
「いえ……なんでもありません」
「お前と那須与一は別に戦っていたのだろう。
お前が気に病むことはないと思うが。
あいつをおれは好きではないが、師を持つものとして、
師匠の負傷は辛いことは想像はつく。
それにこの戦の指揮は俺がとった。
全責任は俺にある。むしろ俺が責められるべきことだろう」

そういう意味ではないのですが、と譲は首を振る。

「俺では役不足かもしれませんが、俺が師の分まで役目を果たさなければ」
「役目?」
「……師匠がこうなって自分の役割がようやく見えた気がするんです」
「役割」
「師匠がずっと言ってくれたことが俺にようやくわかった気がします。
まだ、心眼の境地には至れそうにないですが」

じっと空を見つめる譲の表情はこちらからはよく見えない。

「ずっと俺は自分が何の力も、立場もないことが悔しかった。
ただ一人だけ、何者でもない俺が情けなかった。
でも、何もないからこそ、俺だけが全てをかけて守れると思うんです。
俺には失うものがまだ、何もないから。
九郎さんは、源氏にいなくてはならない人ですし、
景時さんや、弁慶さんだってそうでしょう?
ヒノエも敦盛も、兄さんも。それぞれ大切な、守りたいものがある」
「……そうだな」

見回せば陣を引き払う準備におわれるもの、怪我の治療を受けるものたちが
それぞれに忙しく動いていた。
ここまでついてきてくれた皆の信頼を有難いと思う。
出来れば勝ち戦の喜びを皆で分かち合いたかった。
兄上の助けとなり、この者たちと戦っていきたいという気持ちは確かにあった。
そして。
弱い、とは思えないが確かに望美のことも守ってやりたいと思う。
守るというよりは背中を預けて何処までも一緒に戦い抜きたい。
そんなことを今まで意識したことがなく、何だか落ち着かないが、
悪い気分ではなかった。
じっと空を見つめる譲に、先生の言葉が蘇る。

「考え続けることは悪いことではないが、思いつめてもいけないと、
リズ先生も仰っておられた。
あまり思い詰めずに、今はよく休め」
「はい。……リズ先生は凄いな。
俺の師匠も……歴史に名を残すほどの凄い人ですけどね」
「弓の腕だけは随一と認めてやらんことはない。
他は知らないがな」

譲はそんな俺をくすりと笑うと、

「今日はとても疲れたから、今夜くらいは夢を見ないで眠れそうです」
「そうか」

譲はひとつため息をつくとこちらをきちんと向いて頭を下げ、

「話を聞いてくれて、ありがとうございました。
気持ちが楽になりました」
「それならばいい」

頷くと、譲は軽く一礼し、兵たちに混じって手伝いを始めた。


背景素材:空に咲く花

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