幸の木






 寒さで目が覚めればもうだいぶ明るい。
 褥の中の暖かな幸せを逃さないように細心の注意を払って寝返りを打つ。
 まだぬくもりの残る褥から這い出るのは至難の業だ。
 でも女房さんは容赦なくわたしを起こす。
 そうでなければわたしはいつまでたっても起きては来ないから。

「花梨様、ほらっ、朝でございますよ」
「起きます!起きますって!」
「そうはいわれましても、私がこうしていなければ再び眠ってしまわれるのですから」
「もう起きますから」
「姫様は、花梨様が疲れているから寝かせてあげてほしいと仰られますが、
 もう二週間も経ちますから!そろそろ普通の生活をして頂かないと!」
「わかったってば……」

 剥がされた褥をかき集めてみてももう幸せな空気は残っていなかった。
 諦めて起き上がればそれでよろしいのですという顔をして古参の女房さんは行ってしまった。
 娘のように目をかけてくれているとはいえ、これは少し酷いんじゃないか。
 うう、と顔を覆っていたら、女房さんは湯を持ってきてくれた。

「これで支度を整えてくださいませ」
「ありがとう」

 わざわざ湯を持ってきてくれる心遣いに感謝して、顔を洗い、髪を整える。
 それが終わる頃には、女房さんは今日着るものを持ってきてくれた。
 袴はまだ慣れていないけれど、男仕立ての狩袴は歩きやすいし、暖かい。
 女房のみんなや紫姫のような長袴はにじるように歩かなくてはならないから、
 歩くのに疲れそうだしきっと性に合わない。
 仕立ててもらった狩袴は足首までの長さで歩きやすかった。
 そのうち袿も仕立てましょうと紫姫は言っていた。
 それを着るのが普通になる頃にはわたしはどんな暮らしをしているんだろう。
 今みたいに歩き回ったりはしなくなるんだろうか、できなくなるんだろうか。
 無事に年が明けてからもう二週間。
 宮中の行事が集中するこの時期は本当に忙しいらしく、幸鷹さんからは謝罪の文が届いていた。
 お正月ってこんなに忙しいものだっけ?
 八葉の皆の訪れも減った四条の館は新年特有のピンと張った空気の中静まり返っている。
 大晦日の戦いで龍神様を召喚した時の疲れが少し残っている中、
 のんびりと過ごすわたしには想像がつかないけれど、
 年明けは神事とか決められたことが多くてすごく忙しいと紫姫は教えてくれた。
 検非違使別当というよりも、中納言として出席しなければならない儀式や宴がある。
 それが連日連夜続くのだと深苑君も教えてくれた。
 別に今までだって毎日会えていたわけではないけれど、
 こんなにも間が開いてしまうとどうしたらいいのかわからない。
 逢いに行きたいと思っても、直接何処へいけば会えるのかすらわたしはわかっていなかった。
 ずっと一緒にいられるのかとどこかで思い込んでいたから少し拍子抜けしていたのは本当。
 でももうすぐそんな一番慌しい時期も終わるらしい。
 文を書いてみようかなと思っても何を書いたら良いのか良くわからない。
 謝罪の文のお返事に気にしなくてもいいですよ、とか。
 会える日を楽しみにしていますとか書いてもらったけれど代筆じゃ気持ちも伝えきれない。
 とりあえず筆で書く練習からかな。
 おのずと目標は定まって手習いを始めている。

「花梨様。朝餉をお持ちしました」
「ありがとうってこれ、何ですか?」

 奉げ持ってきてくれた膳に乗っているのは、色のついた粥。
 いつもの色と違うそれに首をかしげると、女房さんは笑った。

「これは七種粥でございますよ」
「七草粥?ってこれ緑色じゃないですよ」
「ああ、七草粥ではありませんのよ。
 七つの種と書いて七種粥(ななくさがゆ)と言うのです」
「ふ〜ん」
「花梨様の故郷にはありませんでしたの?」
「見たこと無いです」
「そうですか」

 さめないうちにどうぞ、と女房さんは下がっていく。
 一人で食べるのも味気ないなと思ったけれど、紫姫も深苑君も尼君も
 とっくに起き出してもう済ませたと聞くと申し訳ないという気持ちになった。
 これ雑穀っていうんだっけ?
 五穀枚とかそういうののお粥なのかな?
 小豆が入っているから、何だか甘くないお汁粉みたいだな。
 食べているうちに体がぽかぽかして動けるようになった。
 ごちそうさまです。手を合わせて膳をよけておく。
 台盤所へ膳を下げに行ったらそんなことはしなくていいですと
 やんわり言われてしまったのでそれ以来すみに置かせてもらっている。
 一応下げているのに気がついた時はありがとうと声をかけるようにしているけれど、
 わたしの態度のほうがどうも珍しいらしい。
 でもありがとう、ごちそうさまと言わないのも気持ちが悪い。
 お互いが気持ちよくすごせるのが一番だよね、そんなことを思いつつ背伸びしてみた。
 今日は気持ちよく晴れている。
 だからといって一人で出かけられるわけでもない。
 どうしようかな。
 とりあえず机に向かってみようかな、と思ったら紫姫の声がした。

「神子様おはようございます」
「おはよう。紫姫」
「六条から遣いが来ているのですがお通ししてもよろしいですか?」

 六条?誰だろう。
 少し考えて幸鷹さんが六条に住んでいることを思い出した。

「うん、どうぞ」
「ではお通ししますので、少しお待ちくださいませね」

 紫姫が女房さんに頷くと、男の人がこちらに歩いてきた。
 あの人には見覚えがある。
 御簾も几帳もないこの部屋に通されたことにその人は一瞬面食らったようだけれど、
 わたしの顔を見て、にっこりと笑った。

「こんにちは、神子様」
「ええと、検非違使佐さんですよね」
「覚えていただいていたとは光栄です」
「何度かお会いしましたよね。
 幸鷹さんは元気ですか?」
「その、別当殿のことでお伺いしたのです」
「そうなんですか?」
「はい。
 ご存知かもしれませんが、年明けは儀式に宴が連なる忙しない時期です。
 通常の業務はお休みしてもいい位なのに、
 別当殿は検非違使別当としての職務を全うされようとなさっている。
 私たちも承知しては降りますが、大晦日の戦いよりずっと別当殿は休みなしなのです。
 どうか神子様より休むように言っては頂けないでしょうか?」
「はぁ」
「それに同居されている兄君である右大臣から、右大臣の北の方の妹君を娶れ娶れと
 しつこくされている様子で、邸にいても気が休まらないご様子。
 連日の宴でも酒の席で縁談をしつこく薦められたりとかなり参っておられます」
「それって結婚を迫られているってことですか?」
「そうなりますな。
 神子様の顔を見たいと思っていらっしゃるのに酒の席が続いたせいで、
 こちらへ通うこともご遠慮されている様子。本当に不器用でいらっしゃる」
「そうなんですか?」
「お疲れになっておられますので、
 よろしければ神子様にお休みになるようにとお言葉でも文にしたためて頂けたらと思いまして」
「文、ですか?」
「我等がどんなに休みたいと思っても、……いや、失敬。
 我々がどれほどお休みになられたほうがよろしいかととすすめても、
 首を縦に振られることはないので、神子様にお力添えを願った次第でございます」

 検非違使佐さんはいたずらっぽく笑った。
 要するに自分たちも休みがほしいから幸鷹さんを休ませたいってことでいいのかな?

「検非違使の皆さんにお正月休みをあげて下さいって言えば良いですか?」
「そんなあからさまな」
「でもそういうことですよね」
「まあ、だいたいそうですな」
「じゃあ、幸鷹さんのところに連れて行ってください。
 多分文じゃきかないと思うので」

 検非違使佐さんはわたしの顔をまじまじと見た。

「!!
 そうして頂けるとありがたいのですが、よろしいので?」
「わたしが直接行くのって変?」
「まあ、変わっておりますな。
 こうしてお顔を拝見してお話できるのも嬉しいこととはいえ普通では有り得ません。
 それに昔は別当殿の邸だったとはいえ今は右大臣邸。
 いきなりのご訪問は」
「それはわたしがわたしとして行けば問題があるってことでしょ?」
「……どういうお考えで?」
「水干姿の男の子ってよく牛車に従っていますよね」
「牛飼い童に化けられると?」
「そういうのってダメですか?」
「別当殿がなんと仰られるか」
「迷惑かけたりするのは嫌なんです。でも……」
「神子様が、牛飼い童になられるなんて!」
「いい考えだと思ったのになぁ」
「それに神子様に徒歩を強いるなど……」
「わたし六条くらいまでなら普通に歩けますよ?」
「だとしても」

 ここで押し切られたら幸鷹さんには会えない。
 会えるかもしれないと思ってしまったら、もう引き下がれなかった。

「じゃ、邸の手前で牛車から下してください。それでどうですか?」
「神子様がそこまで仰られるのなら」

 検非違使佐さんはおかしさをこらえるように小刻みに震えて笑っている。
 紫姫は根負けしたという風にため息をつき、
 ではもう少し渋めの水干を用意させますと女房さんを呼んでくれた。
 支度を終えたわたしが乗り込むと牛車はごとんと動き出した。
 久々の外出にうきうきする。

「神子様は外に出られたかったので?」
「まぁ、そうですね。
 家に篭ってばかりなのは初めてなので」
「なるほど。
 確かに京を巡って怪異を鎮めていらした頃は溌剌としておられましたな」
「何度かお会いしましたよね」
「別当殿が別人のように朗らかに笑っているのを見て、
 一同がびっくりしたものです。
 別当殿の為に天へお戻りにならなかったとか。
 別当殿の想いが報われて良かったと皆思っておりますよ。
 何せ女人にとんと関心が無い方でありましたからな」
「そうなんですか?」
「あの姿、あの生まれで女人に関心が無いとはと皆ため息をついておりました。
 けれど、神子様が残ってくださったのなら安心です。
 別当殿が無理を重ねるたびに叱ってくださったでしょう。
 別当殿も神子様のお言葉は渋々受け入れておられましたから。
 邸の工事が終わるのが待ち遠しいですな」
「え、えと…………はい」
「これは余計なことを申し上げましたかな。
 けれど別当殿も、隙を見て邸を見に行かれておりますから。
 きっと楽しみにされておるのでしょうな」

 お兄さんの邸を出るという話は聞いていた。
 けれど、そこまで直接考えていなかった。
 そこで二人で住むなんて。
 その考えに照れているのを見て、検非違使佐さんは時折笑うものの、
 暫く黙っていてくれた。
 六条に差し掛かるところで牛車を降りて寄り添って歩く。
 人や落ちているものを避けながら牛車と一緒に歩くのは意外と難しいな
 なんて考えているうちに邸の正門についた。

「検非違使佐殿の車でありますな、お通り下さい」

 無事に正門を潜り抜け、幸鷹さんの住む対の屋へ向かう。
 検非違使庁は検非違使別当の私邸があてられるのがならいらしい。
 見知った顔の検非違使さんたちが唖然とした顔でわたしを見送る。
 そのうちの一人が自然な様子で歩幅を合わせて寄ってきた。

「あの、神子様」
「神子様って呼ばないで、今は牛飼い童です」
「何故こんなことを?」
「こうしないと正式にここに来るの難しいじゃないですか」
「場合によっては誰何しなければならなくなってしまうのですが」
「私がお願いしたことだ。見逃してくれ」
「検非違使佐殿!」
「大きな声を出すな」
「!!
 申し訳ありません」
「とりあえず下がって、あくまでも普通にしていろ。
 あと……右大臣の渡りがありそうなら早めに知らせてくれ」
「わかりました」

 車止めに牛車を止めると、申し訳なさそうに一瞬頭を下げて、検非違使佐さんが降り、
 目線であっちの階から上がってくるようにと教えてくれた。
 沓を脱ぎ検非違使さんがくれた手ぬぐいで軽く手足を拭い、階を上がる。
 ここで幸鷹さんが暮らしているのか。
 きちんと手入れされた庭。
 華美ではないけれど使い込まれ、趣味のいい調度品。
 一瞬見とれてぼんやりしてしまっていたら、
 誰かに見られるのもまずいからとりあえず早くお入りくださいと検非違使佐に急かされて、
 下ろされていた御簾をくぐる。

「誰」

 鋭いその口調はわたしの聴いた事のない幸鷹さんの声。
 几帳から部屋を覗くと、積まれた書簡の中に幸鷹さんがいた。

「幸鷹さん?」

 声をかけると、書簡に没頭していた幸鷹さんがふっと顔を上げ、
 信じられないという顔でこっちを見た。

「神子殿?
 私は熱に浮かされて幻でも見ているのか」
「別当殿。本物の神子様です。
 こちらにいらっしゃいます」
「そうですよ、幸鷹さん」
「神子殿」

 幸鷹さんは熱があるのか少し顔が赤い。
 普段着ている直衣の上に衣を肩に重ねてかけていた。

「何も言わずにいきなり来てすみません」
「こちらこそお訪ねすることも出来ず」
「無理しないで下さい。顔赤いじゃないですか
。  熱でもあるんじゃないですか?」

 書簡をよいしょとどけて、場所を作ると呆然としている幸鷹さんの額に手を当てる。

「やっぱり熱がある」
「貴方の手はひんやりとして気持ちいいですね」
「もう。
 ちゃんと休んでいるんですか?」
「もう少しすれば休めますので」
「検非違使佐さん。今急ぎのお仕事ってあるんですか?」
「今はとくにはありません」
「じゃ、今日一日くらいお休みしても大丈夫ですよね」
「ええ、まあ、そうですなぁ」

 検非違使佐さんが幸鷹さんを見てくっくっと笑い、
 幸鷹さんはばつが悪そうな顔をした。

「しかしこちらを早めに片付けてしまいたいのです」
「……今の状態で早めになんて無理です。
 休むときには休まないと。
 検非違使の皆さんもお正月は休めたんですか?」
「特に休暇は」
「検非違使佐さんがお休みあげてくださいって言ってましたよ」
「神子様っ、別当殿にそれは内緒と」
「……だいたい状況はわかりました」

 はぁ、とため息をつき幸鷹さんは苦笑いした。

「神子殿に私に休めと言ってほしいと頼んだのか」
「はい」
「でも来たいって言ったのはわたしだもん。検非違使佐さんのせいじゃないよ。
 幸鷹さんに会えたら嬉しいなあって」
「神子殿……私も久々にお会いできて嬉しいですよ」

 ぐう、とお腹の鳴る音が聴こえ幸鷹さんがくすりと笑う。

「このところ疲れて食欲も無かったのに。
 私は正直ですね、神子殿」
「食べられるのなら、ちゃんと食べてください」
「そうですとも。
 何か持ってこさせましょうか。神子様は如何です?」
「わたしも久々に歩いてお腹すきました」
「ははは。元気が一番ですな。
 何か持ってこさせましょう」

 幸鷹さんは立ち上がり、普段私用で使っている部屋にわたしを案内した。
 きょろきょろと見回してしまうわたしを幸鷹さんはにこにこと見つめている。

「珍しいものはありましたか?」
「よくわからないんですけど、ここで普段幸鷹さんが暮らしてるんだな〜って思ったら、
 何だかじわっと感動して」
「そうですか?
 いつもは神子殿の部屋に通されていましたからね。
 自分の暮らす場所に人を通すのは少し気恥ずかしいものですね」
「きちんと暮らしているんだなって。
 わたしの机書き損じとかいっぱいですから」
「そうなのですか?」
「人が来ると恥ずかしいので隠してますけどね。
 あんまりだらしなくしてると女房さんとか深苑君に叱られますし」
「元気に暮らしておられるようで良かった。
 こちらに留めたのは私の都合だったのに、なかなか会いにも行けず申し訳ありません」
「忙しいのはわかってましたから」
「……そうですか?」

 幸鷹さんは少し寂しそうに笑う。
 その意味が知りたくてじっと見つめていたら、検非違使さんたちが膳を運んで来てくれた。
 誰かが来ているのかとあっちの対では興味津々らしく、
 わたしを見せるまいと女房さんが途中まで運んでいた膳を
 検非違使さんたちが機転を利かせて代わりに運んできてくれたらしい。

「この色は、そうか今日は七種粥か」

 幸鷹さんは嬉しそうに粥を見つめた。

「神子殿が今日来てくださったのは龍神の御褒美だったのかもしれませんね」
「どうしてですか?」
「……すっかり日にちの感覚を失っていましたが、
 七種粥を食すということは今日は15日。
 ……私の誕生日にあたる日です」
「幸鷹さん、今日誕生日なんですか?」
 どうして教えてくれなかったんですか?
 知ってたら何かプレゼント考えたかったのに」
「私もすっかり忘れていたのです。申し訳ありません」
「何も出来ないけど、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます。久々にこうして祝われるのもいいものですね」
「来年はもっとちゃんとお祝いしたいです」
「そうですか?こうして来て下さるだけで嬉しいですよ。
 ずっとお会いしたかったですから」
「わたしも」

 素直に口から出た言葉におろおろしてうつむいたわたしを、
 幸鷹さんは目を細めて笑うとさめないうちに粥を頂きましょう、と言った。
 誰かと食べるご飯は久々で、朝食べたものとはあまり変わらないはずなのに
 何だかとても美味しく感じた。
 幸鷹さんは貴方と頂くご飯はとても美味しいですと言ってくれたので、
 多分同じ気持ちだったんだろう。
 食べ終わると何だか幸せな気持ちでいっぱいになった。
 こうしていつも一緒にいられたら幸せでしょうね。
 幸鷹さんはぽつりと呟いた。
 一緒にいましょう、と幸鷹さんの隣に座りきゅっと手を握ると、
 外からごほんと咳払いが聴こえ、御簾を上げて検非違使佐さんが入ってきた。

「神子様これで、別当殿の尻を叩いてあげてくださいませんか」
「検非違使佐!それは」
「いいですから、神子様。どうぞ景気づけにどんとやってください」
「何ですか、それ?」
「まあ幸運の木ってところですかな」
「わかりました」

 わたしは検非違使佐さんが差し出した木の枝を受け取る。
 よく見れば片方が焦げているけれど、これはなんだろう?
 がつんと行け、と言わんばかりに検非違使佐さんがこっちを見ているので、
 恐る恐る握り締めて、幸鷹さんに向き直れば、幸鷹さんは頬を染めて俯いた。

「いきますよ、いいですか、幸鷹さん」
「……………………どうぞ」

 ぱしんと腰のあたりをその木の枝で叩けば、外から拍手喝采が巻き起こった。

「幸鷹さん、どういうことなんですか、これ」
「知らないほうがいいことかもしれません。
 じゃ、私も貴方をそれで叩いていいでしょうか」

 おお、と外からどよめきがおこる。
 よくわからずに頷いて、幸鷹さんに枝を渡すと、幸鷹さんはわたしの腰を
 軽く三度叩けば、意外との掛け声や拍手が起きた。

「あのう、これ何だったんですか?」
「幸運の木で叩けば授かるものがあるってことで間違いありません」
「……検非違使佐……もう、いい。
 神子殿をお送りしてくる。牛車の用意を」
「おや、今晩は留め置かれないので?」
「まったく何を」
「ははは、申し訳ありません。
 すぐに用意させますのでしばしお待ちを」
「幸鷹さん体調は大丈夫なんですか?」
「……風邪というよりも気が滅入っている方が大きかったものですから。
 もう大丈夫ですよ。
 それに」

 ここでは落ち着いて話すことも出来やしませんからと囁くと、
 幸鷹さんは苦笑いした。
 用意された牛車に、幸鷹さんはわたしを抱え上げて乗せてくれた。
 恥ずかしくて自分で乗れますって言っても、
 これが女人を乗せる作法ですからと涼しげな顔でさらりと言ってのける。
 こうやって一緒に過ごせる時間を増やしていけたらよいのですが。
 幸鷹さんは静かにため息をついた。
 わたしにはわからない事情で幸鷹さんは悩んでいる。
 それをいつか話してくれるといいなと思った。
 ごとごとと揺れる牛車の中でとりとめのない話をする。
 あの場所に行ってみたいとか、また皆で集まりたいとか。
 そうやってわたしの話を幸鷹さんはにこにこと笑って聴いてくれた。

「それでさっきの幸運の木って本当は何ですか?」
「どうしても聴きたいですか?」
「……ええ、一応」
「紫姫などに訊かれても困りますから、一応お教えしたほうがよいのでしょうか」
「是非」
「……あまり驚かずに聴いて下さいね。
 幸運の木と彼は言っていましたが、正確には幸の木、粥杖と言います。
 今日は七種粥だったでしょう。
 七種粥を炊いた竈の燃えさしで、男の尻を叩くとその人の子を宿し、
 女の尻を叩くとその女は子宝に恵まれると言われています。
 ……つまりそういうことです」
「えっと……」
「やはりお教えしないほうが良かったでしょうか。
 貴方は検非違使佐に体良く焚きつけられたのですよ」

 どういうことなのかな?
 思考で真っ白になったわたしを幸鷹さんは苦笑いして見つめると、
 隙を見せたわたしが悪いとばかりに、さらりと口付けた。


背景画像:てにをは

多分花見月に続いている予感がします。
お気に召していただけたらぽちっとして頂けると幸いです