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「いやー、頑張るねぇ」
一心不乱に槍を振る布都彦に、あくびをかみ殺しながらサザキはのんびりと声をかけた。
常世との戦も終わり、取り戻した橿原の宮で皆冬支度に追われている中、
布都彦は槍の稽古をたゆまずに続けていた。
確かに戦は終わったけれど、女王となる千尋の身辺を守るものは必要だ。
それ以上に布都彦にとって鍛錬は必要不可欠のものだった。
鍛錬をしなくなってしまったら、自分の本質が見えなくなってしまうと
布都彦は感じている。
戦が終わる前までは、少し前まで感じていた後ろめたさは感じずに済んでいたけれど、
こうして戦が終わり、橿原の宮に人が戻ってくると、
以前のように居心地の悪さを感じるようになった。
どれほど力を尽くしても、兄の所業が人から忘れられることは無い。
橿原の宮を追われた父の失意はいかほどだったのか。
自分がそれを雪いでみせる。
そうするためには認められなくてはならない。
そう思う気持ちが布都彦を稽古へと駆り立てた。
葛城将軍に次ぐ兵(つわもの)にならなくては。
中つ国を再興するという目標の半分が成った今、布都彦は自分の道が
わからなくなってきていることを感じ、焦り始めていた。
「そんなに頑張って何か意味があるのかねえ」
「……サザキ殿。
たわむれを言って、私を惑わせるのはおやめください」
「誰かに言われて揺らぐようじゃ、鍛錬したって意味無いだろうに」
「!!」
「おっ、痛いところをついちまったか、悪い悪い」
ぴたりと槍を振るうのを止めた布都彦に、サザキは慌てた。
「布都彦。こいつの言うことにそんなに真剣に耳を傾ける必要はない」
「カリガネ、お前酷いな!」
「間違ったことは言ったつもりはない。
サザキは深い考えもなく言葉を口にしている。だから気に病むな」
「いえ、心揺さぶられたのは確かですから。
私の不徳の致すところに代わりはなく……」
「それくらいにしたらどうですか」
おそるおそる声をかけてきたのは道臣だった。
「サザキ殿も少し言い過ぎかと。
布都彦も力が入りすぎている。鍛錬だけしていればいいわけでもないでしょうに」
「道臣殿……」
「……君について口さがない噂が流れているのは知っています。
そして君が何も悪くないことも」
「ですが、私が認められれば良いのではないですか?」
キッと目線を向けた布都彦に道臣が一瞬ひるむと、
サザキがはーっと大きなため息をついた。
「あー、そういうことねー。
まあ無駄だと思うぜー」
「何故ですか」
「頑張って完全無欠の将軍にお前がなったとしたってだ。
今度はそういうお前をやっかんで誰かがあることないこと言い始める。
これだけの人が集まって、政治や何だと勢力争いだろ。
お前がここにいる限り何か言われ続けるのはかわらんと思うけどなー。
ま、オレなんてこの翼がある限り、どんな善行を積んでも日向の民として蔑み放題なんだろうさ」
「言葉が悪いがサザキの言うことは当たっている」
折角良いこと言ってんのにカリガネうるせーぞ、とサザキが言っても、
動じないカリガネの表情はほとんど変わらない。
気を取り直したようにサザキは胸を張った。
「何を言ったってオレの翼が空を飛べることには代わりが無い。
だからオレは流せるものは流すことにした。
姫さんの為にな」
「姫の為に、ですか」
「その度に言い争えば、結局姫の心が痛むだけなのですから。
だからと言って我慢ばかりも体に悪いでしょうけれど。
……布都彦。
気にし過ぎないというのも一つの心の鍛錬だと私は思いますよ。
そして、……羽張彦は自分の信念を貫いたのです。
何を言われたとしても、弟である君だけはそれを誇って欲しいのです。
私の我侭だとは思いますが、同門の弟子としてそう願っています」
「道臣殿」
感動に目を潤ませる布都彦に、サザキは気楽に尋ねた。
「それとよ、布都彦。
お前背ぇ欲しくないのか」
「サザキ殿、それは……」
「まあオレくらいにでかくなれるかは別としてだ。
筋肉をつけすぎると伸びないって聞いたことがあるぜ。
そうやって鍛えすぎると背が伸びなくなるかもしんねーぞ」
「……それは困ります!」
「そうだろう、そうだろう」
「……お前が偉そうに首を降るな」
「なんか姫さんが『さんたさん』ってのにお願いすると、
願いがかなうこともあるって言ってたぞ」
「三太さん、ですか」
「まあ贈り物としていきなり背が伸びるってことはまあ、
怖いから無いとしても、伸びる可能性くらいは貰えるかもなあ」
「本当ですかっ」
「……サザキ、あんまり適当なことを言うな」
「いや、本当に姫さんはそう言ってたぜ。
そうそう、それとは他に今度の宴で贈り物を交換するんだとよ。
布都彦も槍降ってばかりいないで、贈り物なんか探しとかないと恥かくぜ」
「そ、それはかたじけない」
「まあそれで背が伸びなかったら、牛乳に相談だな」
「何だそれは」
「……何か那岐が言ってたぞ。良くわからないけどな!」
姫さんからの伝言は伝えたぜと笑うとカリガネと行ってしまった。
「布都彦。
お前が頑張っているのを私は知っている。
あんなことを言っているがサザキも認めているだろう。
けれどもっと肩の力を抜くことを覚えなくては」
「肩の力を抜く、とはどういう訓練でしょう?」
「……考えすぎるな、こんを詰めすぎるなということだ。
それもまた難しいことなのだけど、お前にはそれが出来ると思っているよ」
「有難うございます、道臣殿っ」
……もっと自然体になれれば、布都彦はあらゆるものが伸びるだろうに。
まだまだこれからかな。
布都彦の成長が楽しみだ、と道臣は布都彦に気付かれないようにこっそりと微笑んだ。