小夜啼鳥




  −1−


 カインは本当に卑怯だと思う。あの子は愛を拒めない。
 好きになったものを裏切ることをできず、愛される期待を捨てられない真っ直ぐな娘。
 それを知ってカインはその好意に甘えている。
 好かれている自信があんな態度を取らせている。
 少なくともカインは自分がテレサに嫌われるという考えが微塵もないみたいだ。
 それに裏打ちされた自信がどっちつかずの態度をとらせている。
 本人は否定するだろうけれど、僕にはカインが彼女に甘えているようにしか見えない。
 ルノーの祖父の家で育てられたテレサはきちんと愛情を注がれて育った。
 後に引き取られたルノーの家でも彼女は穏やかな愛情にみちた生活をしていただろう。
 それは、他人に愛情を与えることが出来る彼女を見ればわかることだ。
 彼女のおおらかさ、力強い温かさに僕らは癒され、支えられてきた。
 家族の温もりとは縁遠い僕らに彼女はそれを惜しみなく与えてくれた。
 それが必要だったか、そうでないかは別として、僕らがそれを失っていたことは
 彼女と過ごした日々に改めて突きつけられたのだと思う。
 でも彼女も血の繋がった家族との遠慮のないやり取りは知らず、
 彼女であるからこそ愛されるという、個人に注がれる愛を知らない。
 僕ら共通にあるその寂しさを彼女もまた知っていた。
 それを直視しないことで平和に生きるすべもテレサは心得ていたけれど、
 でもいつかという期待はしていなかったとは思えない。
 恋に憧れを抱く年頃の少女にそれをするなという方が無理だと思う。
 朗らかで明るいテレサ。不穏なものは表面上何も見当たらないのに。
 カインがいつかこの騎士団に集まるものは、この騎士団の外では
 生きる場所がないものもいると言っていた。
 テレサにはそぐわないようなその言葉。
 けれど何処にも確かな居場所もなく、強大な力を持ってしまったこと戸惑う彼女は、
 今となってはこの騎士団に相応しいのかもしれなかった。
 騎士団に乗り込んできた当初、誰もが彼女に冷たかった。
 誰にでも変わらない態度をとるカインは、きっと彼女にとって誰よりも誠実な頼もしい存在に見えた。
 自分に眠る強大な力が目覚め、不安になった彼女に導く手を差し伸べてくれたカインをどれだけ信頼したか。
 いつも変わらず理性で動く彼。
 本当にカインが誰とも変わらない態度で接することを知らなかったテレサは、
 今抱いてしまった恋心の処理に苦しんでいる。
 誠意には誠意で応えることにしているらしいカインの狡さは好意に誠意で報いるつもりらしいこと。
 テレサの好意にはとっくに気付いて線を引いている。
 好意には好意で応えるつもりがないのなら、どうして期待させるようなことをした?
 カインはキュリアでの休暇中多くの時間をテレサと過ごし、
 夕日を二人で見に行ったのも見張りの連中から聞いていた。
 ……応えるつもりがないのなら、期待させるほうが可哀想じゃないか。
 最後の決戦前のあわただしさの中、時折俯き上の空になるテレサが哀れだった。





 この夜が明けたら革命が始まる。
 明日の作戦を確認する為に騎士団長が集められた。
 よどみない口調で淡々とカインが作戦を説明して、ショナが的確に補足を入れていく。
 明日が決戦だっていうのに、二人の態度は変わらない。
 いままで繰り返されてきた会議と変わらない調子で淡々と説明が続く。
 他の連中は血が騒ぐのか落ち着かない様子なのに、流石と言うかなんというか。
 僕も恐怖は感じないけれど、胸の高鳴りは感じている。
 キーファーの瞳が怪しく輝いているのは、相変わらず物騒なことを考えているに違いない。
 となりのゲルハルトとウォルターはわかりやすく興奮気味で、本当に作戦の主旨が
 飲み込めているのか怪しいくらいだった。
 まあマリアや副官がちゃんとわかってれば問題は無いだろうけれど、
 別働隊がちゃんと砲台を押さえられないと失敗するってワカっているのかな?
 ……ゲルハルトがこの時間に酒を飲んでいないのは珍しい。
 それだけがなんとなく本当に決戦前夜なんだという感じがした。
 緊張で少し青ざめるルノーとそれによりそうユージィン。
 それも見慣れた光景だ。
 だけど見慣れたはずの彼女の姿が何故かこの会議にはない。
 最近テレサも呼ばれて輸送隊のことについて話があったりするのに、
 今回彼女は呼ばれなかった。
 ……輸送隊との連携だって重要なのに、どうしてかな。
 ちらりとカインを見ても、その横顔からは何も読み取れない。
 ひととおり作戦の説明が終わると、レヴィアスがいいだろうと頷いた。
 確かに問題はないと思う。
 あったとしても僕には関係ない。
 僕の前に立ちはだかる敵を全て切り刻む。
 僕が出来ることもしたいこともそれだけなのだから。
 作戦の説明が終わったのなら、お開きだろうと空気が緩んだ瞬間、
 カインがレヴィアスにお願いがございます、と口を開いた。
 終わりじゃなかったのか、と落胆した皆の空気も読まず、カインは重々しい口調で切り出した。
 何を言うんだろう、とちらりとカインを見れば、さっき作戦の説明をしていた時よりも真剣な顔で、
 テレサをノーグに帰すことを進言した。
 カインがそういうことを言い出すことは想像がついた。
 別に間違ったことを言っているわけじゃない。
 あの真面目なカインが『そういうことを言う』のは当然のことだ。
 でも、どうして今。
 革命は明日だってのに。
 凱旋した後彼女の笑顔に迎えられたい団員だっているだろうに。
 どうして『今』、『君』が言うんだろうね。
 いつだって正論しか口にしないカイン。
 その言葉に皆は違和感を感じないのかな。
 まあ、皆もテレサの無事を願っているのは同じだから表立った反対意見は出ない。
 けれど、どうしてそんな必死な顔で今更そんな『進言』をするの?
 騎士団の深いところにまで彼女は関わってしまっているが、とか。
 彼女は機密の漏洩などしないだろう、とか。
 そんなもっともらしいことを並べ立てて、君はレヴィアスじゃなくて、
 君自身を説得したいんじゃないの? 
 僕なら彼女を守りきることを選ぶだろうけれど、基本戦闘が好きじゃないカインなら
 その選択は当然なのかもしれない。
 自分で自分の気持ちにわかっててそれを口にするのならいいけれど、
 この感じじゃ……カイン本人は気付いていないみたいだね。
 それじゃテレサが可哀想だ。
 ……でもこんなことをこの場所で口にする気も無いし、したって仕方が無い。
 だって賢いカインに何を言ったって、聴きやしないだろうし、
 僕の言葉で気付いたって仕方ないし、お膳立てなんてしてあげる義理は無い。
 断る理由も無いレヴィアスは、カインを見てため息をつくと、
 いいだろうと了承した。
 それはカインが伝えるようにとレヴィアスは言い、ちらりとこっちを見る。
 半笑いで見ていた僕の気持ちがレヴィアスにはワカっていたみたいだ。
 そんなやりとりにも気がつかず、ありがとうございます、と口にしたカインは
 見たことも無いほどの安堵の表情を見せた。

「……さぁて、どっちに転ぶかな〜」
「お、なんだなんだ?」
「ゲルハルトは今のやりとり見てて何にもワカらなかったの?」
「お嬢ちゃんを故郷に帰すんだろ、寂しくなるがいいことじゃねえか」
「……まぁね」
「フ……、あの娘が簡単に頷くとは思えませんね。
 しぶとさだけではこの騎士団でかなうものはそういませんから」
「は?
 何言ってるんだよ、キーファー!」

 わからないのなら良いではありませんか。
 そう淡々と言い放ち、イヤな笑いでこっちをみるとキーファーは迷わずに
 ラウンジへと歩き出した。
 堅苦しい席に疲れた皆の足も自然とラウンジへ向く。
 僅かにあいた扉からは暖かな光が漏れている。
 ひとりでお茶を飲んでいたテレサが振り返り、お疲れ様と迎えてくれた。
 いつものようにひとりひとりにお疲れ様、と声をかけてテレサがそれぞれに
 好きなお茶と茶菓子をセットにしてサーブしてくれる。
 テレサは本当はカインのことを気にしているのに、何でもないふりをしているのが
 少し僕には痛々しく見える。
 多分、キーファーやカーフェイ、ユージィンあたりも気付いているんだろう。
 キーファーが努めてなんでもなさそうに慇懃にお茶を受け取っているのが
 今日は何だか微笑ましい。
 ……本当は嬉しいくせに。まったく素直じゃないんだから。
 でもテレサもそれがわかっているから何も言わない。
 正直で、一途で。駆け引きなんて苦手そうで。
 恋愛なんてほとんどしたことのなさそうなテレサが、
 一生懸命にカインを想っているのは、随分前から知っていた。
 距離が少しずつ埋まっていっているのに、カインが無意識に引いた一線を
 こえられなくてうろうろしているのを見ているのは歯がゆかった。
 久々に集まった皆との会話が嬉しいのか、笑顔でテレサは頷く。
 ゲルハルトが明日の決戦が終わったらのんびり出来るなんて言い出した。
 明日の戦いは勝ったら全部おしまいの戦いじゃない。
 ゲルハルトは『革命』の意味が本当にワカってるんだろうか。
 革命は起こすよりも、起こした後の方がずっと大変だ。
 ちょっと想像しただけでうんざりするくらいなのに!!!!!
 この男の頭の中は本当に平和にできているらしい。
 そんな中テレサが作戦が終わった後お祝いしても良いんじゃない?と口にした。
 皆がなんとなく黙る中、ゲルハルトはいいな!と言いウォルターが賛同する。
 お祝いはしてもいいかもしれない。でもテレサ、君はいるのかな。
 テレサはごちそう作るから楽しみにしててね!といつものとおりに言った。
 それを素直に喜べたらどれだけいいか。
 数人がちらりとカインに視線を向けたけれどカインは何も言わない。
 難しそうな顔をして黙ってお茶を飲んでいる。
 いつテレサに話を切り出すか迷っているんだろう。
 レヴィアスはカインが直接話をするように、とあえて命じた理由がワカっているのかな?
 皆のほうに視線を戻せばゲルハルトとルノーが無邪気に楽しみにしてるね!と笑った。
 ……ここは僕も調子を合わせてあげるべきかな。
 明日帰るとは限らないんだし。
 もしノーグに帰されたとしても、明日以降にまた会えないこともない。
 楽しみにしているよと言えばテレサが笑ってくれた。
 ずっと別々に行動していた騎士団長の皆がここに集まるのは久々だ。
 ……明日になったら決戦だから。今晩はいつものとおりに過ごしたい。
 そんな空気がラウンジの中に満ちていた。
 ひととおり話が終わって、そろそろお開きの雰囲気になった時、
 意を決してカインは立ち上がった。
 片づけをしないと!とテレサがそわそわしたのは何か予感があったからだろう。
 話がある、と言ったカインを直接見ることも出来ずに、
 片づけを始めたテレサに優しくユージィンがいいですよ、と言った。
 勇気を持って、ちゃんと話をして来て下さい。
 ユージィンの横顔はそう言っていて、珍しく感心した瞬間に、
 僕にたまには片づけを手伝えと矛先を向けた。
 ……感心した僕が馬鹿だったよ。
 でもテレサを安心させてあげたくて、頷いてみせる。
 話を聞くだけじゃなくて、ガツンと気持ちを伝えておいで。
 自分の気持ちもわからない理屈に囚われた男の心を君が揺さぶって目覚めさせてやれ。
 君はそうやって幸せになればいい。
 その場の全員が気を遣っていることに気付いたのか、テレサは頷くと
 カインについてラウンジを出て行った。
 扉が閉まったあと全員がぐったりとその場に座り込む。

「はぁーやっと行ったぁ」
「……ジョヴァンニ。手が止まっています」
「いいじゃない、ユージィン。夜は長いんだしさ」
「明日は決戦です。早く休まなければ」
「そうだけどさ。
 ねぇ、皆賭けない?
 テレサが今晩自分の部屋に戻るか、戻らないか」
「!!!!」

 驚いたユージィンがルノーの耳を慌てて塞ぎ、ゲルハルトが口にしていた茶を噴いた。
 ウォルターは良くわからないようできょとんと僕の顔を見ている。

「ジョヴァンニ。貴方言っていいことと悪いことがあります!」
「別に僕は部屋に戻るか、戻らないかって言っただけだよ。
 いかがわしい想像をしてるのは君じゃないの、ユージィン?」
「な、何でいい争いしてるの?ぼく何も聞こえないよ」
「……君は何も聞かないほうがいいよ、ルノー」
「はあ、ジョヴァンニ何言ってるんだ?」
「……ウォルター、……それ以上ツッコむのはやめてくれ〜!」
「ゲルハルトまで何言ってるんだ?」
「まあ馬に蹴られてなんとやらだ。ウォルターにはまだ早いのかもしれんな」
「カーフェイ?」

 うるさいと言う様に音を立ててキーファーが飲み終わったカップを置いた。
 礼儀に煩いお貴族様の珍しい振る舞いに皆はしんとなる。

「フン、賭けるまでもないでしょう。
 それよりも明日の朝のカインの顔が見物だと私は思いますよ。
 では私はこれで」

 優雅に立ち上がると何事も無かったようにキーファーはラウンジを後にした。

「あっ!キーファーのやつ片付けしていかなかった!」
「良いよ、もう。
 ゲルハルトがキーファーのコレクションを割っても知らないから」
「俺がなんだって言うんだ」
「ああ、ゲルハルトは何も触らないで下さい。それが一番の手伝いです」
「おっ、そうか?」
「ルノー、そろそろ貴方も寝ましょうか。
 明日を万全の体調で迎えなくてはなりませんからね」
「う、うん。ユージィン」
「僕もそろそろ休むよ。行こう、ルノー」

 慣れた様子で自分のぶんの食器を片付けるとルノーとショナはおやすみ、
 とラウンジを出て行った。

「ちゃんとルノーにもお手伝いが出来るのに貴方がたときたら」
「ぶつぶつ言わないでさっさとやっちゃおう。
 出来る人間がさ」
「……ええ」
「ジョヴァンニ、それ終わったらもう少し呑もうぜ。
 何か眠れそうになくてよお」
「別にいいよ。僕もちょっと飲みたい気分だしね」
「ゲルハルト……貴方はまだ洗い物を増やす気なのですか」
「ちょっとぐらいいだろう?」
「適量の酒は眠りを促す良薬だ。少しくらいはかまわんだろう」
「おっ、カーフェイは話がわかるな〜」
「……しかし呑みすぎれば明日に響く。俺は少量でかまわんよ」
「お、おお……」
「ここによく眠れる薬酒があるぞ」
「……ま〜た苦いんだろ、カーフェイ」
「当然だ」

 棚から取り出した秘蔵の瓶をカーフェイが得意げにくるくる回してみせれば、
 ゲルハルトがうへぇと顔をしかめた。


背景画像:BGroundER
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