垂憐






「これは小松様!」

 顔を見知った丁稚が顔色を変えて、奥へ向かい、
 それを聞きつけた番頭が相好を崩して店頭へと飛び出してきた。

「小松様、久方ぶりでございます。
 ご健勝でいらっしゃいましたか」
「まあね」
「それは幸いでございました。
 京は一時よりも落ち着いたとはいえ物騒なものですから。
 近頃お顔を拝見することも叶いませんで、
 お見限りなられたのかと一同寂しく思っておりましたが」
「何分京を離れていたからね。
 ここが一番姫君たちの心躍らせる品が揃っているでしょ」
「はは、有難いお言葉で」

 で、と。
 番頭は全神経を向けて私の贈る相手を探ってくる。
 今度は誰に何を贈るのかと。
 誰に贈ると言わなくとも、私の選ぶ品物で誰あての物かを探り当てていく。
 確かにこの番頭の見立てに間違いがあったことは一度も無いけれど、
 少し面白くは無い。
 経験で、どれほどの間柄で、私の執着が如何程かを探り当て、
 店に無ければ蔵からもすぐに取って来させるほどの目利きだった。
 店中の無遠慮な興味が私の背に刺さる。
 今度は何処の宮家の姫君か、はたまた何処の芸妓やら。
 もし誰とわかったなら、きっと明日中には京に噂が広まっているだろう。
 今まではそれも良かった。
 噂は何よりも競争相手への牽制になるし、花がその気になりやすい。
 薩摩の家老とあろうものが浮名を流すのを許すなど、どれほど本気のなのだろうと。
 見目麗しい品物も、女の心をときめかすもの。
 けれど実際は人の噂こそが心をとろかすこともあるとそう経験として知っている。
 そうやって今まで女の名前を自分の目くらましに使ってきたことは幾度と無くある。
 花を盾に使うつもりはないけれど、執心と見せかけて通う傍ら、
 密談などを行うのはこの京では定石とも言える手段だった。
 情を交わせば交わすほど、想いをかければかけるほど女の口は堅くなる。
 適当な付き合いをしてきたわけではないけれど、私は花の扱いを学ばねばならなかった。
 私は花に溺れることが許されない身。
 花は扱い方を間違えれば、私の身を破滅へと導く。
 幾度か痛い思いをして私はそれを学んだ。
 自分を生かす術を知り、花の扱いを知る頃には、それなりに視線を集めるようになった。
 だからなんだというのだろう。
 その視線には少なからず薩摩藩家老という肩書きに目がくらんだものが含まれている。
 私個人を魅力と思うものよりも、きっとその名声に目がくらんでいるのだろう。
 気を取り直し、並べられた品物に目を向ければ、
 反物と、塗りの小箱などが並べられている。
 季節は冬。
 ゆき、という名に相応しく、君には少し儚いものが似合う気がした。
 けれど何だろう。
 目利きに自信がないわけではなかったのに、君に何が似合うのか
 いつものようにはっきりと浮かんでこない。

「どういったものをお探しで?」

 普段そんな言葉を発したことの無い番頭が多少顔色を変えて問う。

「お気に召しませんか?」
「とても綺麗だとは思うけれど、……そうだね」

 私の目線が淡い若い娘が着るような華やかな反物の方へ移れば、
 番頭は濃い色のあでやかな総柄の友禅や、渋い柄行の着物を片させた。
 君は色が白いから、そんなものも似合うかもしれない。
 けれど派手な着物を着る印象がわかなかった。
 退紅、薄紅、撫子色、桜色、一斤染。
 若草色、浅緑、水浅葱、瓶覗色。
 そんなところかとも思うけれど、緋色や紅もいいかもしれない。
 花丸文に辻が花、蝶に桜と目移りする私に、
 番頭はこれは年若い娘への贈り物だと察したようだ。
 何かを細かく申し付けると丁稚たちは店の奥へと走っていく。

「ふうん、私が誰に贈りたいのかもうわかったのかな」
「いえ、今度はとんと」
「……そう」
「小松様がご機嫌伺いで贈り物を成されるのか、ご執心のしるしなのか、
 それともどなたかのおねだりなのか。
 今度ばかりは私にもわかりません」
「……成程ね」

 番頭は本当に良く見ている。
 迷っているのはあろうことかこの私。
 どうしたいのか決めかねている。
 あの娘の心をこちらに振り向かせたその先に、私はいったいどうしたいのか。
 今まではその花の心をこちらに向けさせたいと思った先に、
 どうなりたいなどと考えたことは無かった。
 ねんごろになって、飽きればそれで終わり。
 私の愛おしい花が、私の愛でたい時にそこにあればよかった。
 長く続けばその花が私を長く楽しませることができた、ただそれだけ。
 その先には何も無かった。何も。

「……白無垢でもお探しですかな」

 ふと言われたその冗談に私はらしくも無く動揺した。
 好ましいと、傍において置きたいと思っていた。
 あの花がほころんでいくのを一番近くで見ていたかった。
 私はあの娘を私色に染め抜きたいと思っていただろうか?
 ゆきという名の、まだ何色にも染まらないあの少女を。
 染めたいと願っていたのなら、きっと私は迷わずに着物を選ぶことは出来ただろう。
 私は迷っていたのだ。そして知っていた。
 あの娘は私の色に染まることはないのだと。

「年若い色白の娘だ。
 華美でなく、それでいて地味でないそんな着物を選んでくれない?」
「よろしいので?」
「君の目を信頼しているから、かまわないよ。
 ああ、変に遠慮しないでくれてかまわない。
 良い物と思うものを見繕って」
「はは」
「それと君たち」

 店番の娘たちに声をかければ、色めきたって答える。

「……君たちが好きだと思う、塗りの小箱を選んでくれない?」
「わかりました」

 店の者たちがわいわいとああでもないこうでもないと、
 にぎやかに選んでいる合間、私は並べられた小物を見ていた。
 鼈甲の櫛、銀細工のかんざし、蒔絵の櫛。
 その中に少し地味だけれど小さな塗りの手鏡があった。
 ふと手に取ればそれはしっくりと手に馴染む。
 鏡を見ればいつになく自信無さげな自分の顔が写っていた。

「薩摩の小松か小松の薩摩、か。
 これが本当に私の貌なのかな」

 龍馬や桜智には心からの笑顔を向けるくせに、私には君はどこかつれない。
 どんなに口説いてみても、それは本当ですか?と首をかしげてみせるばかり。
 何故この鏡がこんなにも気にかかるのだろう。
 君にこの鏡が似合うとどうして思うのだろう。

「君は鏡か」

 水面に映る影のように、心からの愛情や親愛を向ける相手には、君はいともたやすく心を許してみせる。
 私に対して君がどこかよそよそしいのは、きっと私が君に線を引いて接している証。
 君は、本気を向けるものにしか、想いを返すことはない。
 今までこうすれば花は振り向くと、手練手管を尽くしたつもりで、私は何処かで醒めていた。
 私の手に落ちた花も、何処か今だけと割り切っていたものばかりだった。
 いつまでも落ちてこない君をからかうのが楽しかった。
 君の頬を染めてそれを愛でるのが嬉しかった。
 君といる何でもない時間が、これほどまでに愛おしいと思うようになるなんて思っても見なかった。
 思えば私はこれほどまでに欲した存在は今まで無かったのかもしれない。
 誰にも渡したくはないと。
 心の底では望んでいるのに、理性が私を止めている。
 私に恋に溺れる資格はないと。今は、……その時ではないと。
 こんな半端な気持ちでは君は振り向いてはくれないだろう。
 でも、もし君の心が私に向いてくれるのなら。
 その期待は薄だと心のどこかで知っていたけれど、今君を諦めることも出来ない。

「まったく、君は本当に手ごわくて嫌になるね」

 私をこんなに本気にさせて、君は私を想うようになってくれるの?
 私の本気に、君は酬いてくれるのだろうか。
 わからなくとも、何もしないではいられない。
 だいたい見立てが終わったのか番頭がこっちを向いている。

「これも一緒に包んでくれる?」

 手鏡を差し出せば、番頭は意外そうな顔を一瞬だけして、わかりましたと受け取った。







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