咲光映(サキハヤ)
今年も、桜が咲いた。
もう一度咲いたら、それはまた貴方と別れる時。
……桜は好きじゃない。
綺麗だから、嫌いにはなれない。でも、好きじゃない。
貴方に似合いすぎるから。貴方をいつも連れて行ってしまうから。
俺の前から貴方がいなくなる。
今だって、いつも一緒にいられるわけじゃない。
……わかっているのに。
新しい制服に身を包み、貴方は背筋を伸ばして一歩先へ。
俺よりも先に進んでいってしまう。……兄さんと一緒に。
あの桜の花びらの舞い散る先へ。
待ってるね、と微笑んでくれたけれど。
いつまで待っていてもらえるのか不安だった。
当たり前のように並び立つ二人。
いつかきっと、二人で二人の世界へ行ってしまうのだとそう思っていた。
かの神泉苑で舞った貴方の美しい姿も、まるで夢のようで。
神子、と呼ぶに相応しいものだった。
何かに魅入られて浚われてしまってもおかしくないそんな幽玄な姿。
貴方に請われて一瞬おちた雨粒でさえ、すぐにさした陽の光に煌いて神々しくて。
貴方がまた遠くへ行ってしまう気がして息が詰まった。
「譲くん?」
薄紅色の風景をぼんやりと眺めているうちに、
考えこんでいたらしい。
貴方が覗き込んでいるのに気付かずにぼんやりとしてしまっていた。
「はい、……先輩。すみません」
「考えごと?」
「なんかぽかぽかして気持ちいいからぼんやりしてしまって」
「春だからね〜。
お花見行きたいなあ。譲くんのお弁当リクエストしてもいい?」
貴方は桜を眺めて微笑んでいる。
やっぱり貴方には桜が似合うな、と見とれてみても、
桜はいつも貴方を連れて行ってしまう。
「そう、ですね」
「……やっぱり、譲くん何か変だよ」
「変ですか」
「うん、変。
何か心配事でもあるの?」
「いや、ただの考えすぎだってことはわかってるんです」
「うん」
「でもこれは根が深いから、今はどうしようもないんです」
「……そうなの?」
「ええ」
本当に?
そう言いたげな先輩の視線を正面から受け切れなくて、
俺は目を逸らしてしまった。
「言えないこと?」
立ち尽くした俺に気付かず貴方は数歩進んで振り返った時、
……風が吹いて、花びらが舞った。
ふわふわと舞い散るその薄紅色の花びらの向こう側に、
解けて消えてしまいそうな予感にかられ、貴方を思わず、抱きしめた。
「ちょっと、譲くん!?」
「……すみません。
貴方がまた、行ってしまうような気がして」
「行くって何処に?」
「桜が咲くと、貴方はいつも先に行ってしまうから」
「先に?」
貴方は怪訝そうな顔をする。
「貴方はいつも桜が咲くと先に行ってしまうから。
こうやって一緒に学校に通えるのも、あと一年しかない」
「……」
今だってどこかで恐れている。だから、抱きしめる手を緩めることができない。
貴方を信じていないわけじゃない。
でも、……貴方を想っていた時間が長すぎて。
貴方をこうして抱きしめているのに、どこか実感が薄くて。
貴方が痛いと思う様な力で腕の中に閉じ込めてしまう。
このまま時間が止まってしまったら良いのに。
「こら!」
貴方は俺の頬をぺち、と叩いた。
はっとして腕を緩めれば、苦しそうな貴方の顔。
「考えすぎなのは、譲くんの悪い癖だよ?
何で将臣くんと私がずっと一緒だと思うかな」
「……ずっと一緒だったじゃないですか」
「まあ、そうだけど」
貴方はするり、と俺の手をとると、強く握った。
「痛っ」
「毎日剣の稽古して鍛えた握力を甘く見ないでね。
今、わたしと手を繋いでるのは、誰?」
「……俺です」
「譲くんと手を繋いでるのは?」
「……先輩です」
ぎゅっと握り締めた手。
貴方はひょっとして怒っているんだろうか。
俯いてしまった貴方の表情は見えない。
ぐっと握られた手が、俺に貴方の顔を覗くこともさせてくれない。
「もし、
……わたしが留年でもしたら安心する?」
「そんなことは!」
「してみよっかな、留年。
それとも浪人しようかな〜」
「何、言ってるんですか」
「……だって、そうしたら一緒にいられる時間が増えて、
もしかしたら譲くんと同じクラスにだってなれるかもしれない」
「そんなことは、させられません!!」
ああ、譲くんは理系だから同じクラスは無理だよね、と
ぶつぶつ言う貴方が何を考えているのかわからなくて。
頭の中がぐるぐる回る。
「わたしだって、譲くんが普段どうしてるのか見てみたいと思うとき、あるよ」
「…………そうなんですか?」
「譲くんわたしには敬語だけど、同じ学年の子とかは普通に話すよね。
……ちょっとうらやましいなあって思うとき、あるよ」
「だって、先輩は先輩で……」
「前はのぞみちゃんって呼んで、普通に話してくれたよ?」
「それは、子供だったから」
困惑しきった俺に貴方は、ぽつり、と零した。
「いつまで、敬語なのかな」
貴方が、大事すぎて。好きになりすぎて。
先輩、という呼び方と敬語で気持ちを隠した。
全て隠してしまいたかったわけじゃない。
でも、敬語で話せば、敬語の言葉の堅さの中に、
気持ちから滲み出る熱を巧妙に隠してしまえたから。
素直に貴方の名前を口から発してしまったら、
その声は、音の波は貴方を好きだと告げてしまうから。
『ただの先輩』と、『後輩』。
その形に押し込めてしまえば、形がわからないおさななじみなんて
あやふやな関係ですら誤魔化してしまえたから。
自信が無くて、ただ照れくさくて、貴方に拒まれるのが怖くて。
でも諦め切れなくて……やっと貴方に想いを、願いを伝えられて、
今一緒にここにいる。
一緒にいることすら信じられないのに。
もし、敬語をやめたら。
貴方が一緒にいてくれることで新しく生まれた希望や、想いを
貴方に押し付けてしまいそうで。
貴方と俺が本当に先輩と後輩で対等じゃないなんて思ったことは無いけれど。
想いが堰を切って溢れてしまいそうで。
……いいのだろうか、と踏み止まってしまっていた。
でも、貴方は寂しそうな瞳で俺を見つめている。
それは、どうしても一歩先へ行ってしまう貴方を見つめる俺の瞳と同じ色なのか。
貴方は敬語で距離を置こうとする俺に、寂しさを感じてくれているのか。
「……怖いんです」
「どうして?」
「敬語をやめてしまったら、貴方に自分の気持ちを押し付けてしまいそうで。
それに」
「……それに?」
「どんな風に話したらいいのか、わかりませんから」
本当は、そうなのかもしれない。
敬語をやめたら、貴方と俺の関係が本当に変わっていく。
そんな気がしていて。
俺はどうしていいのかわからないのかもしれない。
幼馴染でも、先輩と後輩でもない関係がどんな形なのか想像もつかなくて。
壊したくない、失いたくない一心で、今の状況を変えたくなかったのかもしれなかった。
でも冬から春に時間は流れて、俺と貴方と距離は縮まったり離れたり。
まるで桜の花びらみたいにゆらゆらと揺れている。
貴方の俺を見る目が変わっていく。
日々、変化していくその関係に俺がついていけていないのかもしれなかった。
どんな風に話したらいいのかわからなかったのは中学に入った頃の俺。
制服を着て少し大人びた貴方にのぞみちゃんと呼びかけることを躊躇って。
貴方が好きだと思うのに、どうしていいのかわからず、とりあえずとった距離。
あの時の戸惑いは残ったままで、今もそれを持て余している。
貴方はどうしていいのかわからないと口にした俺を呆れるだろうか。
目をそらした俺の目を貴方はじっと覗き込む。
俯いても、俺より目線が下の貴方は容赦せず覗き込む。
こんな時背が低い貴方を少しだけずるい、と思う。
「どうしていいのかわかんないのは、わたしも同じ、だよ」
多分耳まで真っ赤になっているであろう俺の照れが移ったのか、
貴方の頬も赤い。
「こんな風に、道端で突然抱き締めるするくせに。
どうしていいのかわかんないとか、言うんだもん」
「すみません」
「わたしだって、こうやって男の子と付き合うのはじめてだもん。
ずっと一緒でたくさん知ってるはずの譲くん相手なのに。
どうしていいのか時々、わかんないよ」
「…………」
「でも、敬語は寂しい。
ずっと寂しいって思ってたし」
「……そう、ですか」
「ずっと一緒だと思ってた譲くんがいきなり距離をおいて。
何か寂しかった」
「俺は、……先に中学生になった貴方が
一気に先に大人になってしまった気がして寂しかった。
幼稚園、小学校、中学校、高校。
貴方と兄さんはいつも一年先に行く。仕方が無いってわかっていても。
ずっと追いつけなくて。寂しかった」
「……うん」
「貴方達がいない学校は何だかがらんとして、寂しいんです」
「…………うん」
「桜は綺麗だけど、好きになれないんです。
どうしても思い出して寂しくなるから。貴方と俺の埋まらない距離が。
貴方は桜が良く似合うから。
貴方は桜が咲くと、新しい制服で新しい世界に行ってしまうから。
桜が貴方を連れて行ってしまう気がして、俺は桜が好きになれない。
だから……」
「お花見は、したくない」
「……」
目をきつく閉じて唇を引き結び、俯いた俺の頬をふわりと、何かがかすめた。
桜の花びら、かと思ったけれど、目の前の貴方が真っ赤になって照れている。
「……お花見、しよ」
「……」
「もう少しして。
学校を卒業して、大人になったら。どっちが先にいくとか、なくなるよ。
そしたらきっと譲くんも桜が好きになれるよね。
わたしは桜が好き。今年も本当に綺麗に咲いてくれてる。
だから譲くんと一緒に見たい。
今年も、来年も再来年も一緒に桜見たいよ」
「……でも」
「好きな人と一緒に見たいから。
一人で見ても綺麗だけど、好きなひととみたらきっともっと綺麗だから」
「……先輩」
「わがままかもしれないけど。
今年も譲くんと見たいの。いつかじゃなくて今年から。
もし、わたしがどっかにいっちゃいそうで怖かったら。
こうして手を握っていれば大丈夫、だよ」
ぎゅっと繋がれた手から伝わるぬくもりに眩暈がするほどの幸せを感じていたら、
貴方はギリッとさらに強く握ったので我にかえる。
「……痛いです、先輩」
「ちゃんと捕まえておかないと、屋台にふらふら行っちゃってはぐれちゃうかもよ?」
そういって手を離して駆け出そうとした貴方を、捕まえる。
引き寄せた俺の腕の力に貴方はよろけて、腕の中に収まった。
おかしさにこらえきれずひとしきり笑った後、貴方はぽつりと呟いた。
「……譲くんの気持ちもわかったけど。
やっぱり敬語、寂しいよ」
「…………。
今はまだ、無理ですけど」
「譲くん」
「ちゃんと、聞いて下さい。
今は無理でも……いつか俺に自信がついたら、きっと自然に無くなると思うんです。
敬語も、貴方を先輩と呼ぶことも。
だから、待っていてくれませんか?」
「……うん。
待ってるね」
待ってる。
貴方が口にした言葉がじわりと胸にしみこんでいく。
俺は貴方に待っているとはっきり言って欲しかったんだ。
今は貴方と並んで進むことは難しくても。
貴方が待っていてくれたら、きっと手を携えて歩ける日が来るから。
きっとそうしたら、もっと貴方と自然に話すことも、
貴方の名前を呼ぶことも出来るから。
いつか、桜の美しさを知りたい。春が来ることに喜びを感じたい。
貴方が消えてしまうとか、いなくなるとか、そんな不安で曇った眼ではなくて、
ただ桜を美しいと素直に見つめられる日が、早く来るといい。
今は、まだ無理でも。
来年も難しいかもしれないけれど。
いつか、貴方と二人で綺麗だ、と桜を眺めたい。
もっと穏やかな心で。
隣にいる貴方を見つめれば。
お花見に行くともう決め込んで、お弁当のリクエストを考えている。
……さっきまで桜が好きだって言っていたのに。本当に仕方の無い人だな。
そんな花より団子な貴方は、まだ俺の知っている貴方で。
そんな貴方に安堵する。
「楽しみだね」
そんな風に満面の笑みを浮かべる貴方の期待に精一杯応えたくて。
俺は弁当の内容を検討し始めた。