掠めていく花びらのように






 ゆらりゆらりと望美が舞う。
 扇をひらり、ひとひらひとひら。
 桜の花びらの向こう側、なぜかおぼろげに見えて……
 先輩どこへ行くんです?
 何故九郎さんの腕の中にいるんですか?
 許嫁ってどういうことですか!?
 貴女はまた去ってしまうのか、桜と共に、また……

「痛っ」

 譲は痛みで我に返る。
 弓を張る手に一筋の傷。弓弦に力を入れすぎて切れたのだ。

「手入れをしているのに、傷めてどうするんだ、俺は」

 切れそうに張り詰めているのは自分の精神の糸。
 弓弦はそのかわりに切れてくれたように思えた。
 もう一度弓を丁寧に調べる。
 どこも折れてはいないようだった。
 落ち着いて弓弦を張り替える。
 自分の相棒である弓はいつも万全にしておきたい。
 そう思って手入れしているのに。
 譲は眼鏡のブリッジを上げ、平静を取り戻そうと深く息をはいてみる。
 ゆらめくあかりを眺めるうちに昼間のやり取りを思い出したのだろう。
 昼に忙しく立ち働いている間はいい、余計なことを忘れていられる。
 でも夜一人で静かにしていると思い出したくもないことばかり浮かんできた。
 あっさり色々忘れられたらいいのに。
 譲は記憶力もよかったが、厭なことを忘れられない性質でもあった。
 そんな自分の癖を呪ってみる。
 あの時は息が止まるかと思った。
 もし本当なら息が止まってもおかしくはなかった。

「馬鹿だな、俺は……」

 ふと振り返るとどこから迷い込んだのか桜の花びらが落ちていた。
 譲は桜は嫌いだっだ。
 美しすぎるから。
 望美に似合いすぎるから。
 ひらひら舞う桜の花びら。
 望美をいつも遠くへ連れ去ってしまう。

「いいなずけ……か」

 幼馴染とどこか響きが近いのに。
 許嫁、婚約者。
 そうだったらどれだけいいだろう。
 譲は自嘲する。
 自分の気持ちを押し込めて伝えることすら出来ないでいるのに?
 どこまで自分に都合のいい考えなんだろうと呆れてみた。
 確かにあれは狂言だった。
 ああ言わなければ後白河法皇という権力者は望美に何をしたかわからない。
 九郎の機転だったとはわかっている。
 でもまんざらではなかったような二人の態度が、
 譲を激高させたのだ。
 自分らしくなかったと思う。
 でももしそれが本当だったら?
 確かめずにはいられなかった。
 十余年告げられなかった自分の気持ち。
 あの二人は出会って日も浅いのに、いつ、何処で。どうして?
 くだらないとは思う。でもぐるぐる考えてしまう。
 剣で二人で向かい合ううちにそういう気持ちが通い合ったとでも?

「それじゃあ、俺はずっと一人ですね」

 弓は打ち合うことなどない。
 放ってしまえばそれだけ。反れてしまえば届くことすらない。
 受け止めてもらえることなど、ない。
 まるで自分の思いも、矢のような気がしてくる。
 距離が遠すぎて、的にすら当たっていないような矢。
 過去に放った想いの矢は少しはかすってくれただろうか。
 望美のまわりをそんな折れた残骸がぐるりと囲んでいる図を想像してみる。

「くだらないな」

 吐き捨ててみても厭な想像は消えてはくれなかった。
 あの時確かに望美は否定してくれた。
 嘘は、なかったように思う。
 でも九郎はまんざらでもなかったような様子だったと譲は思う。
 九郎を尊敬してはいる。でも望美は譲れない。
 弓の手入れを終えて譲はごろりと横になる。

「今日は月が綺麗だな」

 まるで月のようにあの人には手が届かない。
 京邸にも何本か桜の木が植えてある。
 その花びらが風に乗って運ばれてきた。
 舞い散る桜の花びらもこの情緒不安定の原因だと譲はわかっていた。

「桜の花は先輩みたいで……、似合いすぎて嫌いだ」

 桜の季節はいい思い出がない。
 真新しいランドセルを背負った望美、
 セーラー服を誇らしげに見せに来てくれた望美、
 ブレザーを着て……あの時望美は言ってくれたっけ……
 『譲くんも同じ高校がいいな。またみんなで一緒に通いたいよ』
 桜の花びらとともにフラッシュバックする記憶。
 くるくると舞う桜の花びらの下、望美はいつも笑顔で。
 望美の傍らにはいつも当たり前のように将臣が立っていて、
 じゃあなといつも二人で先に行ってしまう。
 空っぽの教室、真新しい制服……蛍の光。
 いつまでも二人には追いつけない。
 春の記憶はいつもそんな息苦しい思い出ばかり。
 譲は春が嫌いだった。
 今日も桜の花の下舞っていた望美……、
 夢のように美しくて、どこか遠くへ行ってしまいそうで怖かった。
 その矢先のあの騒動。
 本当に生きた心地がしなかった。
 いつからあんなふうに望美は美しく舞えるようになったのだろうか。
 確か朔に教わったとは言っていたけれど、美しすぎて幻のようだった。
 望美がまた一歩先に行ってしまったようで寂しくなる。
 そう、寂しいのだ。
 子供の頃、幼稚園へ一緒にいけなかった自分。
 寂しくて祖母の膝で泣いてばかりいた。
 あの小さな子供がまだ胸の中にいる。
 こんなに背も高くなったのに、寂しさは子供のままなんて。
 譲は階に出て、膝をかかえて桜をみつめる。

「子供だな、俺は」

 何も、出来ない。
 膝を抱えて、隅に座って。
 自分が行けない場所への憧れに胸を焦がしてただ泣いているだけの子供……

「あれ?譲くん?
 約束したのにこないから心配しちゃった。どうしたの?」

 望美が持っているのは夕方譲が用意した団子。
 今日は月も綺麗だし、庭の桜でも眺めましょうか……そう言ったのは確か自分だった。
 もう少し月が高く上ったらお花見しましょう、と確かに提案したのに。

「すみません、先輩。
 桜が綺麗でつい……」
「いいけど。こんなに綺麗なんだもんね。
 いつも譲くん絶対約束守ってくれるのに、来てくれないからびっくりしたよ?」

 ねえ白龍。
 と望美は白龍をふりかえる。
 白龍はにっこり笑って、はやく譲の作ったお団子が食べたいと催促した。
 他の八葉たちはとっくに酒がまわり、
 朔と白龍をつれてこちらの対に避難してきたのだと望美は笑う。

「待たせてしまってすまなかったな、白龍。
 もう食べていいよ。食べ過ぎておなかをこわさないようにな」
「譲殿の作るものはみんなおいしいから、つい食べ過ぎてしまうのよね?」

 朔は白龍の髪をなでて、自分も団子を口に入れる。
 望美は団子を口にして満面の笑みを浮かべた。

「譲くんの料理って本当においしいよね!
 譲くんのお嫁さんって本当に幸せだと思うんだ〜」
「そうですか?」
「望美、貴方の世界では男(おのこ)が料理をするものなの?」
「ううん?でもわたしより譲くんの方がずーっと料理がうまいんだもん。
 どうせ作るなら上手い人の料理のほうが幸せじゃない?」

 譲は思わず団子を喉に詰まらせる。
 朔の差し出した白湯であわてて流そうとして、咳き込んだ。
 そんな譲に朔は苦笑する。

「じゃあ望美は、譲殿の料理と添い遂げるの?」
「うーん。それもいいと思うんだよね。
 少なくともご飯がおいしいのは幸せだと思うしね!」
「……先輩酔ってるんですか?」
「望美はお酒を飲んではいないわよ」

 にこりと朔は譲に笑う。

「でも昼間は九郎さんと許嫁だとか言っていたじゃないですか」
「あれは違うの。あの時は法皇様がね!」
「……わかってます。
 でも先輩の口から違うと言ってほしかったんです」

 力いっぱい否定する望美を見て、譲は思わず苦笑する。
 自分の料理となら結婚してもいい、だなんて。
 なんて花より団子なんだ、貴方は。
 とても貴方らしい、と思うけれど。
 貴方の笑顔が俺の料理で見られるなら、何だって作ろういつでも。
 それで傍にいられるなら本望だ……男としてどうかとは思うのだが。

『情けない男だな、俺は。でも貴方の笑顔をいつだって見ていたい……』

 貴方の笑顔を見ていると俺のくだらない物思いが飛んでいくようで。
 いつだって貴方をみていたい。
 貴方の幸せが、俺の幸せ。
 その気持ちは偽りがないから。

「でも譲の料理は本当においしいよ。
 神子を本当に大切に思っている気持ちが入っているのがよくわかる」

 にっこり笑う白龍に眩暈がする。
 が、望美には伝わっていないらしい。
 本当においしいよねと望美と白龍が笑いあうのを見て、
 これも幸せのかたちのひとつなのかなと譲は思った。
 こうやって幸せな思い出をひとつひとつ重ねていけば、
 素直に桜を眺められる日が来るのかもしれない。
 そんな日がいつか来たらいいと思う。
 安心して美しさに心を委ねられる、そんな日が。






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譲は桜が嫌いなんだろうな、と思って書きました。
桜が嫌いというか、なんというか。
卒業、入学シーズンの譲を思うと涙がでます。
この時点で望美に恋心はまったくありません。ですが、無意識に譲を救う望美です。
こうやって救い上げて、次の瞬間また突き落とす。無意識って怖いですね。
救いあげられて、落とされて、そのたびに恋心が募る譲。
おかしいと思うかもしれませんが、存外そういうものではないのかと思います。【090623】

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