星の河に願いを






 今日は七夕。
 牽牛と織姫が年に一度の逢瀬を楽しむ日。
 恋人たちの日。
 短冊に願い事を書いて、祈りを奉げる。
 今祈ることは、一番大切な存在の幸せ、それだけ。

 譲は褥の上で寝返りを打った。
 隣に眠る大切な人は少し身動ぎをした。
 起こしてしまったのだろうか、顔を覗き込めばすやすやと寝息をたてている。
 その規則正しい寝息に安堵する。
 そしてそのぬくもりに心からの幸せを感じる。
 自分が掴み取った『幸せ』。
 それを手放す気はさらさらない。
 七夕の短冊に願うのは彼女の幸せ、そして自分が傍らにいること。
 これからもずっと離れず、傍にいること。

 彼女は神に愛された稀有な存在。
 二度と召し上げられることなど無いように。
 ……なんて不遜な願いなのかと空恐ろしくなりながら、神に心の中で宣言をした。
 彼女と先月、祝言を上げたその時に。
 『望美は自分の妻だ、神であろうと誰であろうと奪うことは赦さない』と。
 それは星の一族としての自分には出すぎた願いだったのかもしれない。
 でも妻を想う、夫としては当然の願い。
 望美の龍神の神子としての役目はあの日終わったのだ。
 あの日応龍に自分を奉げて天へ昇ったあの日に。
 譲を置き去りにして、世界を救ったあの日に。

『自分を神に奉げた娘の命はいつ尽きるかわからない』

 還ってきた望美を見て星の一族は前例のないことと、不吉に打ち震えた。
 その事態を引き起こした譲の執着の深さを非難をしたものもいた。
 一族の皆に、譲が激高したのはいつのことだったか。
 還ってきた望美は確かに、少しどこか儚い存在になっていて、
 今でも譲は少し不安だ。
 時々起きて傍らにいることを確かめて眠る。
 痛がるほどの力を込めて抱きしめてしまうこともある。
 望美にずっと憧れてきた。
 儚くまた消えてしまうこともあるかもしれない。
 でも今は望美が自分と一緒にいることを願ってくれている。
 それが譲には信じられないほどの喜びだった。

 望美は熱いのか少し額に汗をかいている。
 譲はそっと前髪を指ですいた。

「織姫と彦星のように、引き離されても、俺は先輩を必ず、探し出しますよ」

 例え一年に一度の逢瀬しか赦されなくなったとしても、
 譲は望美を諦めることはできない。

「……不安?」

 望美はうっすらと目をあけていた。
 譲は起こしてしまったのか、とあやまる。

「譲くんは不安なの?
 わたしは、しあわせ、だよ」
「俺も幸せですよ。先輩と一緒にいられて……」
「望美」

 譲は、ふとした時、望美を『先輩』と呼んでしまう。
 望美はそれを嫌がった。
 今や望美は譲の『妻』なのだから。

「はい、……望美さん」
「望美、がいい」
「今は、無理です」
「望美って呼んでね」
「努力します」
「敬語もなし」
「丁寧語です」
「屁理屈ばっかり」
「そうですか」

 二人は可笑しくなって笑った。
 ぎゅっと望美は譲の手を握る。

「帰れなくなっちゃって、ごめんね」
「せんぱ……望美さんは俺の元に帰って来てくれたじゃないですか、
 俺はそれで充分ですよ。それに貴方の傍が俺の世界ですから。
 貴方のいない世界なんて、俺の生きる意味がないですよ」
「また、そんなこという」
「俺には、望美さんが全てなんですよ」
「……ちょっとわかるよ。
 あの時、わたしもそうだったもん。
 譲くんために、世界を護りたかったから」
「今度、白龍が呼んでも、ついていっては駄目です」
「大丈夫だよ。
 白龍はわたしを譲くんのところに帰してくれたんだもん」

 望美は譲の瞳をじっと見つめた。
 眼鏡越しでない瞳を。

「白龍は最後に言ってくれたよ。
『愛しい神子、貴方は誰よりも幸せになって。幸いを贈るよ』
それに……もう譲くんの奥さんだもん。きっと神子の資格ないよ」

 望美は真っ赤になって上掛けをかぶった。
 龍神の神子に処女性が必要なのか否か譲はわからない。
 ただ初めて、二人で床を共にしたとき、そういうことを考えなかったかといえば否だ。
 自分が用意した膳を、望美と共に食べる時、
 『神聖性』が少しでもこれで薄まりますように、と願う。
 どこかで聞いた昔話、地下の食べ物を食べて帰れなくなった女神の話を思って。
 羽衣を隠して、天女の妻を留めた夫の話、あながち他人ごとではないなと自嘲する。

「譲くん?」
「え、ああ……」

 また思考の迷宮か、譲は苦笑いして

「でも、貴方が龍神の神子でなかったら俺たちは出会っていなかったのかもしれない。
 そう思えば悪いだけではなかったのかもしれない」
「……どういうこと?」
「確かに望美さんとは幼馴染だけど、祖母が龍神の神子との出会いを切望しなければ
 出逢えなかったかもしれない。そう思うこともあるんです」
「スミレおばあちゃんが時空を越えなければ、
 わたしが譲くんや将臣くんと会えなかったかもってこと?」
「そうです」
「もしかしたらわたしを助けてくれる星の一族はスミレおばあちゃんだったのかもしれないね」
「そうかもしれません。
 でも、嫌です。貴方を助けるのは俺でありたいんです」
「譲くん」

 譲は望美を抱きしめる。

「もし俺が現代で出会えなくても。
 こちらで龍神の神子の貴方と星の一族の俺としての出会いであっても。
 宝玉が俺を八葉として選ばなかったとしても。
 俺は必ず貴方を愛したと思います。きっと、必ず」
「じゃあ、きっとわたしも譲くんに恋をするよ。どんな出会いでも」
「……本当にそうだといいんですが」
「あっ、信じてない〜!!」
「望美さんは、もてますから。俺と違って」

 ぷいっと拗ねてしまった譲に望美は苦笑して、
 頬に手をあててそのままぐいっと向き直る。
 譲は痛さに顔をしかめたが、その時、望美の唇がふってきた。
 その柔らかさを当たり前に受け止められる幸せ。
 この幸せをずっと望んできたのだから。

「今は、譲くんの奥さんなんだから」
「そうですよ」
「だから二人で幸せになろう?白龍も見守ってくれてるよ」
「……そうですね」

 大きくなった白龍の油断の出来ないの無邪気さを思い出し、
 『会いたかったから呼んだ』とか無しだぞ、と念を送る。
 でもいい、今はこの幸せに素直に埋もれてしまおう。
 あっという間に時間が過ぎ去ってしまえばいい、たくさんの思い出と共に。
 そしていつか年老いた二人で縁側に座って笑って思い出せればいい。
 ただの俺の、杞憂だったと。






背景画像:空に咲く花

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