願いの糸




 ビルも街灯もないこの世界の夜の空は、多くの星が瞬いている。
 煤けて汚れ、街の光が乱反射したあの空では4等星が見えるのがやっとだったけれど、
 こちらの空は星が多すぎて馴染んできた星座を見つけ出すのも難しい。
 今年も七夕は無事に晴れた。牽牛と織姫は再会を果たすことが出来たのだろうか。
 あまり馴染みのない風習だったけれど、竿に五色の糸を垂らし飾っている。
 願いの糸というのだという。
 機織の名手の織姫にあやかって、織物が上手くなるようにと願うのだろうか。
 ずっと続いていた戦が終わり、ようやく平穏な生活が出来るようになったこの場所に、
 貴方は次第に馴染んでいった。
 禁忌を犯すようなことをして貴方を連れ帰ったとき、一族の皆は恐れおののいた。
 不吉だと貴方に冷たかった他の一族の皆も、暖かくて明るい貴方を次第に好きになり、
 神子様と呼ばれることを嫌った貴方を望美様と呼んで慕っている。

「凄い星だよね。
 天の川も凄く綺麗。どうしてこっちの七夕は晴れるのかな。
 あっちだと七夕って結構雨だったり曇りだったのにしたのに」

 廂に腰掛けて貴方と空を見上げる。貴方の横顔のシルエットを満点の星空が縁取るように彩る。
 星明りの中、貴方はいつもよりも綺麗に見えた。

「それはきっとこちらの暦のせいですね」
「こよみ?」
「太陽暦と、太陰暦。
 こっちの暦は太陰暦ですから俺たちが元いた場所より一月くらいずれているんです。
 今はこちらは七月ですが、向こうの八月くらいになるんです。
 望美さんだって中華街の旧正月は知っているでしょう?そういうことです」
「……そっか、梅雨が明けてるから晴れてるんだね」
「そうです」
「じゃあそっちのほうがいいね」

 貴方は廂から立ち上がって庭に降り、俺をちらりと見て背中を向けた。

「だって会えないのは嫌だもん。
 一年に一度しか会えないのに、それもダメだなんて悲しすぎるよ」
「俺は一年に一度しか会えないなんて耐えられない」

 俺は立ち上がり、貴方を後ろから抱きしめた。
 首筋からのぼる髪の甘い匂い。緊張して汗ばんだ肌。
 驚いて一瞬身を硬くした動揺。全てが愛おしい。
 こうして今貴方が腕の中にいることが奇跡なのだとわかっているから。

「こうして今傍にいるのに。またあの時みたいに隔てられたら、俺は……」
「でも、譲くんならきっとまた迎えに来てくれるよね」
「当たり前です」

 思わず力を込めた腕の中でくすぐったそうに笑った貴方の余裕が面白くなくて、
 俺は体勢を変えて貴方の唇を貪った。
 余裕がないのはいつも俺のほう。貴方に翻弄されてばかりだ。
 息が上がるような口付けのあと、貴方は無理やり話題を変えようとした。
 俺から不穏な空気を感じたからだろう。

「譲くんは何か願い事ある?」
「今となっては何もありません。
 こうやって貴方が隣にいてくれるから」
「……譲くんってば」
「だって、本当のことですから」

 今の俺はとても満たされていて、これ以上望むものは殆どない。
 そう思ったけれど、それではつまらないだろうから。
 俺は貴方に願いを囁いた。

「譲くんのバカ!」
「本当のことですから」

 しれっとした俺が貴方は面白くないのか、少し考えて

「じゃあ、昔叶えて欲しかった願い事ってあるの?」
「そうですね」

 昔なら願いは色々あった。
 神様に願っても叶わないような願いばかり。
 口に出しても問題なさそうなものを選んでみる。

「兄さんより、貴方に先に出会いたかった。
 一つ下よりは一つ上に生まれたかったっていうのはありますね」
「……どういうこと?」
「その通りの意味ですよ。
 本当は貴方と同じ歳に生まれたかったけれど、
 貴方と兄さんが同じ歳で、俺が違う歳に生まれるのなら  せめて貴方のひとつ上に生まれたかった」
「譲、お兄ちゃん?」
「いい響きですね。
 でも、ひとつ上くらいじゃ、こっちに来た兄さんに抜かれるわけだし
 ……その方がきっと情けなかっただろうからこれでよかったんでしょう」
「ふーん?」

 貴方が素直に良くわからないという顔をしたので、俺は思わず噴き出した。
 貴方の頭をぽんぽんと撫でると貴方は不服そうな顔をする。
 こうしていると貴方と俺の間にあったひとつの歳の差が解けてなくなって、
 ただの俺と貴方、一対の男女でいられる。
 その幸せにじんわりと暖かいものが心に満ちた。

「良くわからないって顔してますね。
 わからなくっていいんですよ。
 俺は今も昔も貴方だけが好きで、貴方だけが欲しかった。
 一番欲しかったものは今この腕の中にあるんですから、それでいいんです。
 これ以上望んだらきっとばちが当たりますよ」
「でもさっき譲くん言ったよね」
「そうですね」

 俺と貴方に似た子供が……そう、三人は欲しいな。
 一人っ子や二人っ子じゃなくて三人。
 色々会ったけれどやっぱり兄さんと貴方と俺で過ごした子供時代は幸せだったのだから。
 今は二人でもいい。
 でも二人で生きた証がこの地に残せるのなら幸せだろう。
 その幸せを守る為に俺は何だってしよう。
 だから。

「もうちょっと見てようよ」
「いいですけど、折角の一年に一度の逢瀬の邪魔をしたら悪いですから。
 さっさと二人っきりにしてあげませんか?」
「どういうこと?譲くん」
「それに、俺の願いは神様じゃなくて貴方にしか叶えられないんですが、
 叶えては貰えないでしょうか」

 耳元で滅多に言えない貴方の名前を囁けば。
 貴方は観念したように、俺の胸に体を預けた。






背景画像:深夜恒星講義

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