17
「ふむ。そのクリスマスというのが今日だと言うのかね、白菊」
「そうなんです。翡翠さん」
寒くて衣を被った花梨を翡翠はくすくすと笑う。
「それで、そのクリスマスというのはいったい何の日なんだい?」
「えっと、キリスト教っていう宗教の聖人の誕生日だったと思いますが」
「……白菊、もしかして君も良くわかっていないのかい?」
「えへへ。
楽しいからずっと習慣になってただけで詳しいことは良くわからないかも」
几帳の向こうからくすくすと笑い声が聞こえ、花梨が振り返れば
幸鷹が何かを手に立っていた。
「幸鷹さん!」
「遅かったのだね。
てっきり今日は白菊と二人きりで過ごせるかと思っていたのに」
「それは残念でしたね。
準備に手間取り到着が遅れてしまったのです。
申し訳ありません、神子殿」
「いいですよ、幸鷹さん」
「クリスマスとは、……神の子イエス・キリストが
人として生まれてきた事を祝う日で正確には誕生日ではなかったと記憶しています」
「詳しいですね」
「まあ、多少は。
冬至が過ぎ、だんだん昼が長くなって行くことを、
太陽の神の誕生として祝ったのが起源だったとも言われていたという
説もありましたね」
「……別当殿は妙にお詳しいことだ」
「そうでしょうか。
でも基本は『愛』の日ですから形などは関係ないと思いますよ」
幸鷹はいたずらっぽく花梨に笑いかけた。
「家族や大切な人と過ごす大事な日、その解釈で間違いはありません。
では、神子殿あけてみてください」
そっと差し出された塗りの箱を開ければ、
柔らかな紅白の餅とそれを彩る南天の赤に柊が組み合わされた飾りが入っていた。
「幸鷹さん、これ……」
「完全に冷たくなってしまいますと、硬くなってしまいますので
出来立てをお持ちしたのですが。召し上がりますか?
さすがにケーキを用意する時間はなかったので、このようなもので申し訳ないのですが」
「は、別当殿がこんな気の利いたものを用意するとはね。
出し抜かれたものだ。
私も知っていれば白菊に贈りたかったのに」
「そんな、気を使わなくてもいいですよ、翡翠さん!」
「別当殿だけが知っているなんて、つまらないことだ」
「秘密にしてたわけでもないんですってば」
「そうです。
私はたまたまそれを知りえる立場にいただけですから」
勝ち誇った様子もなく淡々とそう答えた幸鷹に、翡翠は少し拍子抜けしたようになり、
それも面白くなかったのか、重箱のもちをひょいとつまみ、口にした。
「ふむ。まだ柔らかいね。
白菊早くしないと食べてしまうよ」
「えっ、もう翡翠さんってば!」
「折角ですから神子殿もお召し上がりください。
あわててのどに詰まらせたりしないでくださいね」
「はい」
幸鷹さんは食べないんですか?と花梨が聞けば
先ほどそれを試しに食べたので今はそれほど食欲がないのです、と幸鷹は答えた。
幸鷹は楽しそうに餅を食べる翡翠と花梨を見た後、より端近に座り、
ゆっくりと視線を庭に移した。
降り積もる雪を見つめる瞳は遠く、花梨は幸鷹の心は今ここないことを感じた。
「別当殿にしては珍しく物憂げだね」
「幸鷹さんだって悩むことはありますよ」
「あの男がかい?
どんなときも正しい正しくないと瞬時に判断する折り目正しいあの男が悩むとは」
「何が正しいのか答えの出ないことだってあるじゃないですか」
「……白菊は、別当殿の悩みを理解しているのかい?」
「……いいえ」
本当にそうなのかね?と翡翠は花梨を見つめたけれど、
花梨はゆっくりと首を横に振った。
幸鷹の答えの出せない問いを花梨は知っていたけれど、
その苦悩を理解できると花梨には口に出せなかった。
花梨には幸鷹がその問いにどう答えを出すのか見守ることしか出来ない。
『Joy to the world, the Lord is come!
Let earth receive her King
Let every heart prepare Him room
And heaven and nature sing
And heaven and nature sing
And heaven, and heaven, and nature sing.……』
途切れ途切れに聞こえてきた歌に信じられないという風に翡翠は眉を上げた。
幸鷹さんは、今自分が歌っていることを自覚しているのだろうか?
今幸鷹さんの目に映っている風景はどんなだろう。
花梨は浮かんできた涙を、こっそりと拭って立ち上がり、
幸鷹の隣に座った。
「幸鷹さん、それ、もろびとこぞりて、ですよね」
「……ええ、そんな名前だったかと。
かつて聞いた歌が、不意に途切れ途切れに蘇ってきたのです。
思い出が溢れて、今自分のいる場所がわからなくなりました」
「幸鷹さんは、今ここにいますよ」
「……そうですね」
翡翠が大袈裟にため息をつく。
「つまり、別当殿は今白昼夢を見ていたとそういうわけか。
しっかりしてくれたまえ。
働きすぎて、過労で倒れれば神子殿に迷惑がかかる……本末転倒だろう?」
「心配されなくとも、役目はきっちりとはたすつもりですよ」
「つまらないね。
君が抜けた穴を私が華麗にうめてさしあげても良かったのに」
「……いいえ、結構。
むしろ貴方が京にいないほうが私の職責も楽になるのですが」
「もう!いい加減にしてくださいってば!!」
弱気は似合わないよとばかりに翡翠がにやりと笑えば、
幸鷹は苦笑いして、大丈夫ですよと花梨の頭をぽんと撫でた。